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人間は単なる「自動機械」なのか?(149/365)

ChatGPT ブームの影響もあって、最近AIと人間の関係について考えることが多くなりました。究極AIと人間は区別がつかなくなるのではないか?逆に言えば人間の選択行動のかなりの部分は「自動機械」として理解可能なのではないか?という問いです。

だいぶ以前のベストセラーにこんな本があります。

自然淘汰に見られる利他的選択は、個体を犠牲にしても生存しようとする遺伝子の利己的選択で説明でき得るというもの。いわば遺伝子中心仮説です。

少し関連すると思うのですが、最近面白い記事を見つけましたので紹介します。

そもそも行動遺伝学という分野があることを知りませんでした。

記事によると、親や生育環境や、教育よりも、結局遺伝的性質が優位であること。年とともにその傾向は強まることが示されています。

つまり、私たちは長い年月をかけて、個体としての自分を本来の遺伝的特性に合わせこむように選択を重ねているというのです。

にわかには信じがたいですが、そういう視点を持って自分の経歴を振り返ることも無意味ではないと思います。

三つ子の魂百まで

とも言いますが、この考え方と関係あるでしょうか。つまり性格の本質=遺伝的性質はそう簡単に変わらない、ということでしょうか。

しかし、こういう考え方は、人間が自分自身をいわば

自動機械

と捉えることにも通じ、虚無感を感じるのも事実です。だって、自分の人生は自分の意図で動かしていると思いたいではないですか。

しかしどこまでも抗い続けるのもこれまたつらいものです。一旦、遺伝的性質が優位であることを受け入れて、それを逆手にとってはどうでしょうか?

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

という言葉もあります。こんな記事も書きました。

おそらくこの議論は、

宿命と運命

に関する哲学的思索につながっていくと考えています。

AI視点でも、

AIは心を持ち得るか?

という大きな問いがありますよね。

これも、人間の行動遺伝学の議論と無関係ではないと思います。

AIの幾何級数的進展にともない、我々は必然的に人間の本質に目を向けざるを得なくなっています。あらためて自分の存在と本質について探求の旅に出てみませんか?

人間の本質の探究に関する話題は今後も取り上げていきます。

特に、最近幸福学の第一人者として活躍している、前野先生の自動意識仮説については近いうちに深堀りしてみたいと思います。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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