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2023/07/25

任天堂は偉大である。これは間違いない。

「ポケモンと一緒に寝よう!」

ただそれだけのスローガンに流されて、ピカチュウのためならと、約束の時間に眠るようになってしまった。

人間は簡単に変わる、胡散臭い人ほどそう言う気がする。確かにポケモンと眠るようになった自分も、簡単に変わっているのかもしれない。

皆がそうなのか分からないけれど、自分は、自分が大きく変わった、という人生のターニングポイントのような点を大きく覚えている。

例えば、自分の信念を初めて曲げたのは中学校3年生の体育祭だった。成人式の日に開封した当時の自分からの手紙に「お前は腐ったんだ」と書かしめるくらいはダサかった。あれがきっかけで汚い奴になったと今でも思う。

覚えているような自分の変化はこんなくらいで、あとはちっちゃな変化がちょこちょこあるくらいだと思っている。

人間は、本質的に変わることはよっぽどの衝撃を与えないと不可能だと思う。生まれ育った環境や、それまで経験してきたもの、というのはとんでもなく大きい影響力をもってその人の中に存在していて、それが新たな価値観や考え方の介入を拒む。

今日、DINKsという、子供を持たない夫婦形態についての記事を読んだ。内容を簡単にまとめると、

「20代の価値観と60代での価値観は違うから、子供は作っておけ」

といった内容だった。

この記事の中では、子供を持たなかった理由に金銭的、時間的理由を挙げていた。自分は理由はこの通りでは無いが、自らの子供を欲しいと思っていない。

時間を子供に取られることを全く厭うこともなく、お金を子供のために使えたらどんなに幸せだろうか、と思う自分が何故自分の子供を欲しいと思わないか、それは

「子供の存在無存在に対して自分の意思が関わることが激しく気持ちが悪いから」

である。

パッと聞くだけだと、責任逃れに聞こえるかもしれない。自分が産んだ子を幸せにする責任を負いたくないんじゃないか、と思う人がいるかもしれない。

負いたくないんじゃなく、それは誰も負えないものなんじゃないのか、と自分は言いたいのです。

自分はこの価値観が、今後の自分の人生に大きな影響を与えるだろうと勘づいています。どうか、自分に子供を産んでもいいだろうという愚かさに近い考え方が生まれることを祈っています。

ピカチュウが待ってるので寝ます。

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