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文字に起こす、過去に戻る

どうも、ふじむらです。夏休みが小学校の64倍くらいの勢いで過ぎ去る様子に自分の老いを感じるこの頃です。

思えば中学生活は小学校生活の4倍くらいの速度で過ぎたし、高校生活は中学生活の4倍くらいで過ぎたのだから、大学生活が小学校生活の64倍で過ぎることはなにも不思議ではないのかもしれません。

皆さんがそうかは分かりませんが、中学校の終わりがけに、「残り日数が少ないんだから、日々を大切に生きろ!」みたいなノリがありませんでしたか?僕の中学校にはありました。

僕は「いや、別に残り少ないから大事にするわけじゃないだろ(笑)」と、馬鹿にするタイプでしたが、どうにも現在は小学校生活の64倍の速度で進んでいるようで、「日々を大切に生きろ」の部分は、より馬鹿にならないものになってきているように思います。

「日々を大切に生きる」、これは何をもって?というような話がでてきてしまうような抽象的な話題なので、掴みどころがなく簡単に達成できないものであるような気がします。

こういうとき、スティーブ・ジョブズが取り上げられて、「鏡の前で明日自分が死んでしまうとしたら何をするべきなのかを考えて行動した」というスティーブ・ジョブズのマジキチエピソードがよく出てくるわけです。

確かにそれは、毎日を大切に生きているのかもしれない。ですが、僕的には「そんなに毎日を大切にしようとしては疲れちめぇよ」という気持ちが湧きます。つまり、無尽蔵の体力、精神力があるならまだしも一般の有象無象には向かないやり方なのかなと思うのです。

「大事なことは大事にできたら」

一般の有象無象の1人、しかもおそらく平均的な体力も精神力も持ち合わせない僕はそう思うわけです。

そこで、僕が提案するのが「文字に起こすこと」です。日記にするもよし、noteに書きなぐるもよし、なんでもいいから文字に起こしておくことによって、そこに重みがついて、あとから見返した時にその日のこと、その気持ちのことを鮮明に思い出すことができるとおもうのです。


今日、電車に揺られながら、小学校生活の16倍で過ぎているはずの高校生活に書いたメモを発見しました。

自己嫌悪に陥る自分、涙目であまり深く仲のいい訳では無い友達とすれ違う、早足で去ろうとするも、「バイバイ!」の大きな声。救われた気持ち、優しさに触れた気持ち。今度会ったらなんと言おう。

これによって鮮明に思い出されたのは、受験期に化学の計算が合わなさ過ぎて相当自己嫌悪していて、塾から逃げ出すように帰ろうとした時の出来事です。現在はとっても仲良い子と、まだ出会ってちょっと経ったぐらいのことで、その子は僕のことを元気な子くらいに思っていたと思うのです。元気な子の涙目っておそらく誰もが困惑するところで、まして相手は慰めたりするような間柄じゃないわけですから、その子はすっごく困ったと思うのですが、その子の底なしの明るさによって発された「バイバイ!」という声の持つ、平等さ、優しさに僕はとっても感動したのです。確か声が出なくて振り返って全力のお辞儀をした気がします。泥沼のような気持ちから、「今度会ったらなんと言おう」というような明るい気持ちに変わった感謝しかない出来事でした。

と、長々と説明してきましたが、これだけの出来事がこの文章には付随していて、このメモを見つけたことによって、僕はそれを鮮明に思い出したわけです。

これの凄いところは、「小学校生活の16倍で過ぎている高校生活」の大事な思い出がよみがえる部分にあります。既に日々を捉えにくくなっているはずのものを正確によみがえらせる、そういうパワーを文章は持っているのです。

これは日々を大切にできている訳ではないかもしれないけれど、「大事なことは大事に」できているのではないかと僕は思うのです。

はちゃめちゃにでっかな嬉しさや悲しさも、些細だけどかけがえのない喜びも、文字に起こしておくことで、その当時を取り戻せる、過去に戻れるわけなのです。

現在は高校生活の更に4倍(個人差あり)のスピードで進んでいて、日々とか、日常とかはさらに掴みにくいものになっているはずです。

そんな時こそ、セーブデータを保存するように、もらった大切な気持ちだけは文字に起こして保存して、後から思い起こせるようにしておくのはいかがでしょうか。

(書いていてたまたまたどり着いた「大事なことは大事にできたら」という一節は、そのまんまのタイトルがネクライトーキーにあって、めっちゃくちゃいい曲なんで良かったら聴いてください!)

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