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錫と木星

占星術で用いる天体は、関係がある金属の割り当てがあって、入門書などには必ず、この天体はこの金属です、ということがさらりと触れられる。なのだけど、「なぜこの金属なのか」について丁寧に解説してあることは基本ない。わたしはこの「なぜ」が解消されないと気になってしょうがない。

そういうわけで、まだ全部の天体について私なりに咀嚼したわけではないのだけど、とりあえず木星と、その金属とされる錫についてメモしておきたい。

錫は、下の写真のように、日常においてははんだ付けとして身近な存在だ。身近といっても、はんだでバインドされた機械を知らずに使っているだけで、自分でやってみたことがある人は、意外と少ないのかもしれない(学校の授業とかで一度はやらされたっけ?)


Photo by ThisisEngineering RAEng on Unsplash

しかしこの錫、実は木星管轄ではなく、水星管轄だった時代もあって、「なんやテキトーやないか!」と思ってしまったのだが、それは錫の性質を理解すると、間違いといえるものでもないな、と思ってしまった(このことは、天体の役割、サインの意味などが、結構混線しているという話でもあるので深入りするときりがないんですが、、)

錫は、どうしてはんだで用いられるかというと、非常に拡散係数が高いから、と説明がされる。平易な言葉になおすと、くっつけようとするときに、相手側の金属側に容易に入り込む力を持っているということ。なので、合金層を形成しやすいということらしい。

この拡散していくという力は、木星的でもあるし、水星的でもある。木星はどちらかというと、立体的に空気中でも広がっていくイメージが強いが、水星はのっぺりと平面的な広がりをみせる感じがある。

たぶん肝なのは、木星も平面的な広がりをやらせればやれる。水星に擬態することもできるってことなのではないかしらん(逆は不可能)。

木星が、物理的な世界で働く様子がまさに、この錫という金属の性質=バインド力を端的にあらわしている。

木星は古い時代、いて座だけでなくうお座の支配星でもあった。そして、キリストはうお座のシンボルとされ、それは油である、とオカルト生理学では言われたりしている。

これは、世界をメカニックに捉え唯物論だとみなし、その潤滑油、バインド係として木星をみたてる発想なのではないだろうか。

占星術において木星の性質に「善性」があてられる。ポジティブだとか楽観的だとか、ノーテンキとは言わないが、木星が支配しているいて座はそのように形容されることが多い。

で、この「善」を英語で調べると、たくさん言葉がでてくるが、その中のひとつに、「stunning(人を魅了してやまない様子)」という単語がでてくる。これがまさに、錫(Stannum)の性質の領域違い、なのだろうなと気づいた。

錫のレメディ像は、この木星的、善にあふれた気質が弱っている状態を指す。ボリケによると「悲しい、不安、落胆、人に会うのが怖い」とされており、木星が持つ陽のキャラクターとまったく反対の状態を示す。
レメディ像は基本的に、物的な資質に憑依されて自分を見失っている状態をあらわす。プルービングはまさに、わざと憑依させてその様子を調べる行為ともいえるだろう。

では、いったいこの陽気なキャラクターと陰気なキャラクター、同じ木星のエネルギーが注ぎ込んだときに、なぜ違いが出るのか?

それは、その人が、天体のエネルギーを物的領域に注ぎ込んだのか、それとも霊的領域に注ぎ込んだのか、の違いということだろう。

木星を、水星に擬態させるように、物的領域でのバインドとして活用し、たくさん増殖できるように使用することが行き過ぎてしまうと、その人の霊的エネルギーとしての陽キャ成分が失われてしまう。

病というのは基本的に、このエネルギーを注ぎ込む領域が偏りすぎた結果、というところにあると思う。そしてそれは、あるテーマを生きるためにやむを得ないこともたくさんあるだろうし、あるいは、ほとんど自分でやめられない悪癖のせいで、止められなくなっている、ということもあるかもしれない。

ただ、そうなっているときに、からくりをしっかりと顕在意識で知ることは、この暴走を止めることになる。

そういうきっかけに、わたしの書き物がなっているとしたら嬉しいと思って書き続けている。

天体と人体や社会とのかかわりの反転構造は、基本これだと思う。どれにも応用が効く話で、またひとつひとつ追っていこうとは思っているが、シンプルでありながらも、なかなか言及されることがないと思うので書いてみた。

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