見出し画像

タカミムスビと高木神

熊野本宮の記事は1つ前に書いた。いろいろな人からあそこはいいよと聞いていたので、自分で訪れてみたかったのだが、わたしの思っていたベクトルと違う豊かさに満ちていて、そのことが自分で予測してたのと違う方向から謎を溶かしてくれている。

熊野本宮は、建物の形状や立地(やたら湿度が高く、さわやかではない)から考えても、出雲の系統の神様をまつってあるようだ。鳥居のサイズ感なんかも、出雲と通じる。もっといえば、トルコなどの、イスラム系のモスクの、人間を想定してないサイズの建物なんかと同じ感じ。

少し離れてより水気が多そうなエリアに、跡地。昔はここに本殿があった。水害で移転
現在再建された本宮大社の本殿。出雲系の建物や、インドネシアの建物にそっくりな屋根

神道の神様は、その漢字でそう読むんかい!とつっこみたくなるような、ヤンキーが夜露死苦なんて当て字をするノリと変わらないとしか思えないような変な名前が多い。しかも、別名も多すぎる。

その中でもずっとよくわからない神がいる。それはムスビの神だ。
古事記にちょこちょこっとでてきたりしているが、やっぱり謎な存在。

今日は別件で調べていてひっかかってきた、主山倫太郎先生の古事記におけるタカミムスヒの役割、という論文がとてもおもしろかった。

ここで、タカミムスヒと、高木というのは別者なのにくっつけたのではないか、高木というのは木の神様を指すが、それは雷が落ちやすい=実は雷の神ってことじゃないか、という考察は非常に納得が行く。

タカミムスヒの世界観は、湿度が高く、水の神様という感じなんだよね。このことと、どう考えても火の要素である樹木の神が一致しないのだ。

wiktionary先生で音をおっかけると、フィンランドあたりで、同じ音で意味が通じるものがいくつかあり、
takka の音は、フィンランドで暖炉、koasati語ではなんとナマズである。
ナマズ=電気に関連し、天王星や雷に通じるではないか。

あと、干し草の山とか、燃やす前に、燃やすためのなにかが積みあがってる風景(暖炉に放り込まれる前)。
豊かさとか、(豊かさに対して)感謝する、賛美する=thankの古い語源なんかにつながっている。
behind という意味もある。

このあたり、古事記の描写してる風景なんかと、確かに一致するといえばそうだ、光り輝く太陽のひとつまえ、である。

君の名は、は非常に神道ベースの世界観がちらついていたが、あのなかの重要な登場人物の名が瀧君だったっけ。
タキ(takki)の音は、takkaの元型。ボタン・スイッチ・コンピューターのキー、を意味する。
そして、このtakkiにはまた、coverやsurfaceといった意味があり、表面を覆うという風景がある。ここから派生して「布団」という意味がでてくる。

これって、天皇が代替わりするときに、胞衣にくるまれて、憑依する儀式があるけど、あれっぽくもあるんだよね、、、

儀式というのは、自然のセオリーを必ず模倣している。その意味を知らず、ただ儀式だけをみたら、何意味不明なことを、、と滑稽にすら思えるかもしれないのだけれど、製鉄、錬金術、たたらの風景を踏まえると、非常に納得が行く。

あと、語源をおっかけていてよくあるのが、物的でない何か、を表現するときに(たとえば雷とか、スープとか)、それそのもの、をあらわすのではなく、その依り代というか、入れ物を、それ本体のように呼ぶ、みたいな例がいっぱいある。カップ、は、中に入れるお粥と一体化した意味となり、樹木は、雷が落ちやすいので、雷そのものと取り扱われる、、などなど。

それが、この、あまり語られることがないひとつまえ、の神、の世界なのかもしれない。

私自身はまったく、神道の世界と無縁で生きている。七五三とかも行ったことがない。成人式もボイコットしてる。厄払いみたいなのもやってない。

だけど、あちこちを旅した時に、訪れてご挨拶はしている。好きな場所もある。神社は自然が気持ち良い場所にあることが多い。
しかし、そこでまつられているのは、自然ではなく、人工的な秩序なのだ。

今日は忘れそうだったのでメモ。またそのうち書き直すかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?