見出し画像

湿度とトーンポリシング

こんにちは。
冥王星がやぎ座から水瓶座へ移ろうとしており、
世の中でもそれに連動した大きな切り替わりが来ているな、と感じる今日この頃です。

さて、今日のテーマは湿度とトーンポリシングです。
トーンポリシング、という言葉をご存じの方は少ないかもしれません。
直訳すると、「口調や声色を規制する」という意味ですが、これではちょっとわかりにくい。

たとえば、AがBに対して、約束を守らなかったり、嘘をついたり、Bが大事にしていることを踏みにじるような酷い行為をしたとします。そのことに対して、Bが腹を立てて強い口調で反論したり、汚い言葉で罵りを交えて異議を申し立てたときに「そんないい方では人に伝わらないよ。お前はもののいい方を直さないといけない」と言って、いったいBがそこまで取り乱して怒っている理由(論点)には一切触れず、言い方(論調)だけを揚げ足取りする手法、ということですね。
事実や論理的な内容ではなく、言い方(論調)に焦点を当て、相手の主張を否定することを目的とした技法。いわゆる、論点のすり替えであり、主にモラハラの現場でよくみかけます。

もう少し、トーンポリシングの例を拡張解釈すると、こんな事例も含まれてくると思います。
子どもが日々、親やまわりの大人から、一挙手一投足すべてに「いけません」「それは違う」などとやかましく言われ続けているとします。子どもは自分の尊厳、自分の意志というものを常時虐げられ、物凄くストレスがたまっているとします。そうやって虐げられて弱っている様子をみて、また大人たちが嘲り、からかわれたりしていたとします。
そんなとき、その子がほんとうに腹にすえかねて、物を壊したり、誰かに暴力をふるったとします。

その時、周囲はどんな反応をするでしょうか。

物は壊されたら使えなくなって困ります。修理にお金がかかります。高価な一点ものなら、取り返しがつかないかもしれません。
また、暴力をふるわれた人は、そんな目にあっていいわけがありません。傷つきます。
そういう意味で、暴力をふるったその子が怒られ裁かれるのは、当然かもしれません。

でも。
なぜそんな衝動が抑えられないくらいになってしまったのか。

そこを紐解くことがない限り、ほんとうの解決はないですよね。
理不尽な暴力が、次の代の弱いひとたちに連鎖していくだけ。

体育会系の世界における先輩の後輩に対する嫌がらせ、というものが、自分が先輩になったときにやり返すことで回収されるようになっているので、なくならないのと同じ構造、、、
これが家族であった場合、女性は構造的に男性から力のしわ寄せを押し付けられ続け、その次はどうなるかというと、たいてい、子どもやペットへ向けられていく。そうやって育てられた子どもは、大人になった時に無自覚に鬱憤を晴らすようにふるまって憂さを晴らそうとする、、、

土星に守られた世界というのは、このような不毛な連鎖を繰り返す世界なのだろうな、としみじみ思います。

よくスピリチュアルや量子力学の世界において、過去も未来もない、あるのは今だけだ、という話があります。
土星は実際、時間を支配する天体であり、土星が持つ権力もまた、時代がかわれば、それまでとまったくひっくりかえったルールになる、その程度の権力です。トーンポリシングというのは、土星のコバンザメのような係で、力に媚びた世界に寄生する寄生虫のようなもの。

過去も未来もない、という世界はどんな世界なのか?
それは、土星的なものに権力をもたせない世界なのだと思う。年金や保険なども土星の価値観だ。未来のために、今の充実を欠けさせる構造だから。

これに対し、時間を超えた世界というのは、
究極的に、するされる、がひっくりかえったロールプレイングをしてもOK、という世界を生きるということ。
するされる、が究極的に分岐した状態は、殺す殺される、ですよね。

支配的な世界というのは、どちらかの立場だけが得をし、どちらかが損をする構造に固定化された世界ということ。
支配的でない世界=時間を超えた世界は、自分がされてもいいことしか他人にしないという世界。

時間を超えた感覚というのは、愛の世界かもしれない。
それは、相手のことが自分のことのように感じられる世界だ。
相手が喜べば自分も嬉しい。相手が悲しめば自分も悲しい。
その喜怒哀楽が2倍になる世界。

あるいは、物語に対する責任を、常に個人単位で担っている世界。
食べ過ぎておなかを壊すのは誰かではなく、自分。
だから、他人が食べ過ぎていても別に咎めない。あとでおなかを壊すのは私ではない。

陰謀論界隈でよく話題になるアドレノクロムという物質があるが、
あれもほんとうに「するされる」が分かれた究極状態に酩酊する世界観なのだなとしみじみ思う。
ほんとうにセレブがあの成分を常用しているのかは知らないが、
ノイトロピンという薬は、まさにアドレノクロムの製造と同じ方法で、ウサギを虐待して分泌された成分を取り出したものである。これが、痛みを和らげるとして一般人も処方してもらえるのは事実、ということを最近知っていろいろ驚いたっけ。

で、本日のタイトル、湿度とトーンポリシングがどう関係するかって話。

殺す殺される、という態様ありき、で組まれた世界では、自分は決して「殺される」側にならないように、境界をしっかり引いて生きなければならない。それは、黒い魔法の基本である「結界」の考え方だ。

タオの世界では、人の生き方に「道」と「器」があるという。
タオとはそのまま「道」なのだけど、器はこの、物語を切り分けて結界で断絶し、断絶した空間にいろんなものを貯めこむ「器」の活用の世界だ。

この「器」として高機能であるということは、基本的に、水を漏らさない=通気性の欠如、が副作用としてついてまわる。確かに貯める機能は高まるかもしれないが、循環が悪くなり、そこから腐敗や菌の繁殖などが生じて、内部からやられてしまう。

昔から、水をきちんと取り扱えるということは政治的手腕と切っても切れないものだったよね。治水=権力。

今月末、冥王星が移動した先のサインはみずがめ座になる(正式には逆行が入るので、11月なんだけど)。
感情や水を、「器」に入れてなかったことにして涼しい顔をしているサインともいえる。化学的には、ナトリウム(塩)がまさに、この水瓶座をあらわしているとされる。

土星の世界観を、どこまで乗り越えることができているかによって、
これからの時代、どう生きるかが二極化していくのかもしれない。

土星のコバンザメだったひとたちは、超管理社会に突入した風景の中で、何もかも他責にまかせて、それなりにふわふわと、楽しく生きて行くのだろう。
対して、土星を自分で生きることを観につけた人は、自分の決めたルールを生きて、その果実を自分で収穫する、ということができる時代になるのだと思う。

さて、わたしはこのどちらを生きるのだろうか?

味噌や麹がうまく発酵する環境をつくるというのは、感情を尊重した世界ととても似ている。むやみやたらとプラスチック容器やラップ、消毒アルコールなどに頼りすぎると、かえってカビが生える。対して、蓋としてラップの代わりに和紙を使ったり、容器を木材にしたり、綿や麻の晒し布で蒸すと、べちゃっとならず上手に仕上がる。

権力をふりまわし、トーンポリシングをして無茶な暴力を押し通そうとする輩がほんとうに求めているのは、実は幼い頃に蹂躙されて奪われた、自分の意志や感情なのではないだろうか。

感情は占星術で「水」の元素に該当するとされる。自然の世界では、水や湿気を上手に調整するが、デジタルな世界は、水を毛嫌いする。水没したらパソコンやスマホはアウトだし、デジタルな処理は、基本的に人の感情を無視してどんどん進んでいく。

殺す殺される、に縁のない人の体内は、腐敗にひっぱられにくいので、体内は良い発酵環境にととのいやすい(といっても、個々の星の配置による気質の違い、テーマの違いがあるので、腸に負荷がかかりやすい人も存在する。一概にはいえないけれど、、)

奪われたものを取り返そうとする原動力もまた、低次元の感情には違いない。この種のお気持ちを満たそうと生きると、土星のコバンザメになるのは必須。

そうではなく、高次元の感情をきちんと育てた人は、力におぼれないで愛の世界を生きるだろう。
それこそが、時間を超越した、みずがめ座の時代の生き方になっていくと思う。

Photo by Timo Volz on Unsplash

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?