日記の練習(2023.05.20〜2023.06.02)
5/20
東京へ。中野で寺井龍哉くんと福田節郎さんと飲む。こう並べてみるとふたりとも名前がかっこいいなあ。僕は子供の頃自分の名前が嫌いだったのを思い出した。そういえば、最近は「ハンドルネームっぽい」筆名を使うひとが増えてきているように思う。短歌の世界だけではなくて一般書とかを見ていても。インターネットやSNSの発達とリニアに起こっているのかな。すこし気になるのは、みんな自らの名付けに気合い入りすぎてるような気もする。人間っぽくない筆名よりも、気合い入りすぎてる筆名の方がなんか気になる。それは名前に自己愛の表出を感じるからなのかもしれない。何度か言ったことがあるけどすごく昔に、Nintendoゲームのファンサイトのお絵描きチャットで「破壊野郎」というあまりにも痛いハンドルネームで入ったことがあることをたびたび思い出して自分でもウケてしまう。
中野の「中野ビール工房」でクラフトビールを飲む。存じ上げないブルワリーだったけど、自社ビールがちゃんと美味しくて好感。
寺井が僕の短歌に対する考え方とか姿勢みたいなものをたくさん言い当ててくるので、なんでそこまでわかってくれるの?と思ってすこしじんときた。僕の歌集は批評会を行っていないけど、批評会をやったらこんな気持ちがもっと増幅したかたちでやってくるんだろうなもおもうと、やってもいいのかもなとおもう。今更誰が来るんだ、ともおもうからたぶんやらないけれど。
飲み終えて予約したカプセルホテルへ入る。東京のホテルの価格はとても高くなっていて、安いシティホテルでも1.2万円ぐらいするのでびびる。カプセルホテルはけっこう好きだから平気だろうと思ったんだけど、カプセル内があまりにも蒸し暑くてかなりキツく、これぐらいの外気温の季節でも持ち運べる扇風機などの対策が必須だと学んだ。
5/21
文学フリマのために流通センターへ。浜松町のモノレールのホームで、「この空港快速は流通センターには止まりません」という内容のアナウンスが流れていた。人が多く来るイベントだから配慮してくれてるのかな。いいかんじだ。
モノレールは好きだ。地元のモノレールにもよく乗っていたからだとおもう。空中や水上を車両が進んでいくのはなんだか気持ちいい。南茨木駅で乗り換えまくった大学生の日々を思い出す。万博公園前駅でレールがスイッチするのを眺めるYouTubeの動画を見たことがある。なぜだかそういうものばかり見てしまうし覚えてしまう。
文フリでは日記本と歌集を売った。日記は20冊ずつぐらいはけて、もうちょい売りたかったけどまあこんなもんか。詩歌ではなく「ノンフィクション・その他」のブースで出したから、短歌に興味があるひとの目にあまりとまらなかったのだとおもう。次の大阪文フリでブースを出すのにどういう風にするか考えなきゃいけない。
文フリではサインを何個か書いた。僕は字が上手くないのですこしはずかしい。わざわざ自分のためにブースまで来てくれるひとがひとりでもいるということはうれしいことだなとおもう。
帰りは品川駅で大塚凱と飲む。駅直結でクラフトビールが飲める場所があってかなりよかった。
5/22
午前休でごろごろした。
午後、出社して研修。その後なんやかんや20時まで残業する。
明日は健康診断がある。憂鬱だ。採血は苦手だし、血圧を測られるのも苦手だ。そして結果が芳しくない想像がついているから余計に。
結果が出てから再検査までに時間はあるから、そこまでに頑張りたい。秋には兄の結婚式もあるし。ジムに通うか。家から徒歩10分ぐらいでジムはあるけど、その距離で通うのがつづくのか不安ではある。やらないよりはマシだろうけど。縄跳びは縄跳びでやりたいけど砂場でやると足が砂まみれになるから困る。
こんな不安な気持ちになるなら普段から酒なんて飲まなければいいという話だけど、お酒を飲むことはたのしいしうれしい。木曜日から日曜日まで連続で飲んでしまったのが検査結果にどう響くかな……。
5/23
血圧が終わっていた。もうだめかもしれん。
5/27
僕は昔から、歌人である自分が俳句や川柳をなんとなしに作ることに対してなにか後ろめたい気持ちを抱いてしまっていたけれど、自分を短歌のなかに閉じこめることで何かから逃げようとしていたのではないかと思い始めるようになった。ロクに作品も知らないのに俳句や川柳をつくるのは恥ずかしい、という自意識ゆえの後ろめたさだと思うが、そもそも短歌だってロクに知らないままにはじめたのだ。形式に対する理解というのはインプットからはじめるよりアウトプットからはじめてインプットに戻るほうが圧倒的にはやまるはずだ。
『ねじまわし』を読んでたら俳句をつくりたくなった、というそれだけの気持ちに整理をつけるのにこんな文章を書かないといけないあたりに自意識のこじれを感じる。
5/28
ほんとうはもっと自由に短歌を作っていたはずなのに、いつの間にか嫉妬や打算や自分の期待値を超えられない焦燥によって、短歌に向かう気持ちが霧のように散ってしまいそうになっているように思う。
しかし、どれだけ気持ちがどん底にいようとも、自分の短歌を、たとえそれが醜くつまらないとしてもそれを手放しで肯定することが可能なのは自分自身でしかない。
5/31
5月が終わる。妻とスパイスカレーを食べに行き、ふたりで酔っ払う。何を話してくれたのか酔っ払った頭では精細に思い出せなくて、彼女の声や表情のひとつひとつだけが、意味内容を放置したままぼくの記憶の領域へと入ってきている。最後に飲んだスタウトがとても美味しかった。
6/1
佐々木朔と3時間ほどLINE通話で話す。羽根と根の次号のこととか、最近の短歌のこととか。僕は短歌のメインストリームからは離れている(ように見えると思う)ので情報交換しながら刺激が得られた。
短歌ブームというけれど、短歌が人気というよりは人気者の歌人が増えたというのが実感で、みんなが人気者になれるわけじゃないよな……という悲しい会話をしたり、最近の歌集のトレンドはポップでバズる短歌で、僕たちは必死に文体やニュアンスや語彙でポップさを醸そうとしていたけどそんなことしなくてもポップさって成立するんだね……という悲しい会話をしたりした。
僕は自分の短歌が「ナメられやすい」作風である自覚(被害妄想と言ってもいいかもしれない)がある。それは、短歌知らない人にもとっつきやすく、プロパー向けにも噛めば味わいがある、みたいなところを狙って歌集をつくったゆえに自分の中に湧いてきたものな気がする。もちろん、自分のつくる歌は面白いと信じるしかないのだけど。
6/2
夢の中で「はよ死にた協会会長 阿波野巧也」とサインしまくっていた。「はよ死にた協会」は妻の口癖?のようなもので、「早めのパブロン」と同じイントネーションで歌い上げるように口ずさまれる。会長は彼女のはずなので僕が名乗るのはおかしいのだが、夢とはそういうものだ。
今日は大雨が降って、明日は晴れる。明日は晴れて、ビアガーデンでビールを飲む約束がある。約束があるから生き延びてゆけるのかもしれない。
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