日記(口を噛むまでの日々)

7/19(月)

久しぶりに出社。先週は丸々在宅勤務だったから不思議な感じ。個人的には、出社した方が仕事ははかどる。
ブルーレイレコーダーと、サウンドバーを買った。これで、Fire stick TVによるひきこもりながらの映画鑑賞が捗る。

7/20(火)

唐突に回転寿司の気分になり、妻とくら寿司に行った。ロードサイドのくら寿司は家族連れで賑わっている。「あぶりチーズ牛カルビ」のような、寿司というジャンルにくくってよいものかわからない邪道な寿司を食べるのも回転寿司ならではの楽しみ方。妻は「チェダーチーズ天」を頼んでいた。揚げたてのチェダーチーズの天ぷらが酢飯に乗っているのを見ると、酢飯不要では?という気にもなる。
帰りに寄ったコンビニで、「シェリーに口づけ」が流れていた。トゥトゥトゥマシェリ、マシェリ。それを聞いた妻が僕の方を見てぼそっと「八頭身モナー…」と呟くので思わず笑ってしまった。そんなフラッシュ動画があったことなんて今の今まで忘れていたし、コンビニで脈絡なさそうに八頭身モナーと語りかけられる状況に脳がびっくりした感じだ。

7/21(水)

『現代短歌』9月号届く。読みものとしては大森・藪内対談はおもしろいけども、「60人のアンソロジー」の副読本としては、参加者にはちょっと刺激的すぎて直視しがたいものがある。家族とこの件でふてくされ合うなどする。
『歌壇』8月号の特集「夏男・夏女、真夏の作品競詠」。内容はともかくタイトルの昭和感……。○○男/○○女、みたいなのってなんでこう嫌な見え方になるんだろう。僕の意識しすぎ? サマーボーイ/サマーガールだったら? いや、それもやっぱりなんか嫌だな……。
『短歌研究』8月号は水原紫苑責任編集「女性が作る短歌研究」。画期的な試みだと思う。編集長の國兼さんの編集後記には、〈やはり、「性別や年齢で括りません」と表紙でうたい、約三百人の歌人の新作を掲載した小誌五月号は、強い支持をいただき、創刊以来初の重版となりました。「女性が作る短歌研究」は、その先の世界を見つけようとしたものです。〉と書いてある。5月号で旧来的な年功序列、男性優位の在り方を解体した方が市場ニーズにマッチし、売れ行きが良かったので、この企画に繋がったということだろう。
個人的には、この一回に留まらず、重版とか売れ行きとかに関わらず、定期的にこういう企画の号があったらいいなと思った。「責任編集」というスタイルは今後流行るのかもしれない。

7/22(木)

昼からクラフトビール屋へ。その前に松屋のカレーが美味いというのは本当なのか確かめるためにカレーを食べてしまい、お腹いっぱいになりすぎた。帰ってきて、ソファーでたくさん寝た。

7/23(金)

昼から歌会。自分の歌は三票。晩ご飯は妻と焼肉屋に行った。最近は、畜産の野蛮さ、をよく考えてしまう。こういうことを考え始めると、そもそも人間が生きてるのが悪いよな……とも思う。ただ、今のところ自分は肉を食べるのを是としているというか、自らが生きるのに必要だと感じている。

帰って漫画を読んだ。『かげきしょうじょ!!』という、宝塚音楽学校をモデルにした学校を舞台にした話だ。アトロクで紹介されていて興味を持った。面白かったから明日続きを買おう。

日記を書くのは面倒くさいけど、日記を書いていないと、毎日感じていることや考えていることが全て無に帰しているような焦りが生まれる。Twitterに何かを書くことは基本的には煩わしい。Twitterは書くためのツールというよりも気持ちよくなるためのツールのような気がしている。僕は短歌を作ることと酒を飲むことにおいては気持ちよさを大事にしているけど、Twitterでそれを求めてしまうと自分が保たなくなる予感がする。

7/25

リアリズムなんて時代遅れで、ださくて、かっこ悪いと思われているのかもしれない。それでもと思う。

8/10

前の日記からすごく時間があいた。この間に、オリンピックを家では一切見ないで過ごしたり、北関東へ出張したり、自転車でこけて口の中を噛み、頬がぱんぱんに腫れたりした。
毎週の『かげきしょうじょ!!』と『Sonny Boy』を楽しみにしながら惰性で暮らしていく。いま、自分にとって短歌をつくる行為は当たり前ではなくて特別なことになっているのだが、それは何もかっこいいことではなくて、短歌をつくらなさすぎて、歌会や原稿などで短歌をつくらなければならないたびに新鮮で特別な気持ちになるということだ。毎回、短歌の韻律の中でどう遊ぶか、この"感じ"をどういう書き方で見せるか、ということを考えて楽しくなる。短歌をつくらないことによって、短歌をつくりつづけることができるような気がする。
隣で妻が寝息を立てている。『ビギナーズラック』の半分くらいは、このひとへ捧げる歌だった、と作者としては思う。(そんなことないのでは?と思う読者がいてもよいけれど。)ある時期から僕は、「きみ」にまつわる歌を積極的に作らなくなったように思う。それはまさしく「凸凹」以降で、このことについて僕はひとつの答案を持っているのだけれど、ここには書かないでおこうとおもう。

このところ、読まなくちゃならない本や歌集が洪水のようにあふれていて全然手がつかない。読書会でもあれば無理矢理にでも読むのだけれど。トリガーを自ら用意するのは大変だ。でも、この読まない時間も大切にしたい。というか、買ったもの、読んだものについて読んですぐツイートする、みたいなノリがあんまり好きじゃないなと最近気づいた。そう思ってしまうのは一種の逆張りなんだろうけど。でもそれは加速主義的で、短歌を消費していくことにつながるような気がしている。だから最近はTwitterを見ているとすこし落ち込んでしまう。自分が読むものは自分が読みたいときに読む、という当たり前のことをできるようになりたい。

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