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へい拓ちゃん

このごろ、彼は私を「天下人」と呼ぶ。

渋谷の道玄坂を脇に入って、派手にギラついたラブホテルの看板が並ぶ一帯。その中に唐突に現れるこの無機質なコンクリート調の店は、珍しいクラフトビールを揃えた私のお気に入りの店である。

カウンターで適当に選んだビールが出てくるのを待っていると、背後にある店の大きなガラス窓の向こうに、白いシャツを着た背の高い男が歩いてくるのが見えた。

待ち合わせの時間を過ぎているのに、彼は特に急ぐ様子もなく、ゆっくりと店の入り口をくぐって私のほうにやってくる。私がすでにビールの代金を払っているのがわかると、手に持っていたクレジットカードを引っ込めて「なんにしたの」と口を開いた。

「わかんない。5番のやつ」

「じゃ、俺10番」

それぞれビールを手に持って、店の外の縁側のようなスペースに座る。私はレギュラーサイズのビールを注文したが、彼が注文したのは小洒落たブランデーグラスのようなものに注がれたスモールサイズのビールだった。

「それでさ、亜和ちゃんは書くものでなにを表現したいと思ってるの?」

乾杯する間もなく投げかけられる鋭利な質問に、私は動揺した。

「なんか、すごいよね。突然そういう話題に入れるとこ。当たり障りのない会話とかするじゃん普通。『天気いいね』とか『調子どう?』とかさ。」

「え?じゃあする?わぁ、天気いいね」

「もういいよ」

「ははっ。俺そういうの嫌いなんだよね」

彼のことを、私は「拓ちゃん」と呼んでいる。数人のグループで遊んでいた頃は「拓実くん」と呼んでいたが、2人で会うようになってからは「拓ちゃん」と呼ぶことにした。

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「もっと知りたい。こんなとき、貴方になんと伝えようか。もっと聞きたい。貴方はなんて言ってくれるの。」 月2回更新します。

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