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いっぺん死んでみたら、よく生きるために大切なことに気づいた


昨日、「いっぺん死んでみる~今を生きるためのワークショップ~」に参加しました。

「治らない病気なのに病院にいるの?」


きっかけはオランダ人のパートナーとNetflixで日本のドラマを見ていたときに生まれた会話でした。

治る見込みがなく、余命わずかな人が病院のベッドに寝ているシーンを見て彼が言いました。

「治らない病気なのに、病院にいるの? 僕は病気がもう治らないのであれば、家で過ごしたい」

「え!? 治らない病気でも入院するのが当たり前だと思ってた…」

(やっぱり生まれ育った国や慣習、考え方の違いってあるんだな…)

(彼にとっては死の間際にはどんな風に過ごすのが幸せなんだろう?)

「あなたはどんなところで死にたい?」

「家か、山かなあ…」

「山!?」

(そりゃ大変そうだ…でも、自然が好きだもんなあ…)

(年齢から考えて、彼の方が確実に先に死ぬよなあ…私はそのときにどうしたらいいんだろう…彼はどんなことを大切にしたいのかなあ…)


お医者さんは死のプロセスの専門家ではない


コーチという仕事柄、そしてさまざまなご縁から、私はお医者さんや看護師さん、医療機関の経営者の方からお話をお伺いする機会が多くありました。

その中で気づいたのは、(ホスピスなどに従事されている方を除いて)多くのお医者さんや医療に携わる方は死のプロセスの専門家ではないということ。

病気を治すこと、回復させることの専門家であり、そのためにできる限りのことをしようとしてくれる。

そんな方々がいるからこそ、私たちは病気や怪我をしても、そこから日常の暮らしを取り戻すことができる。

しかし、死は遅かれ早かれ、全ての人にやってくる。

そのときにどう、そのプロセスと向き合っていくか。

そこで何を大切にしていくか。

本人に家族にも、お医者さんたちも、「正しい答え」を持っているわけではない。

大切な人が死に直面しているとき、死のときが近づいているとき、治る見込みがないとき、私たちはその人の代わりにどうするかを決めなければならない。

「治すため」「回復させるため」の治療が、「死にゆくプロセス」として、死にゆく本人にとって望ましいものとは限らない。

私は大切な人の死が近づいているとき、どんな選択をしたらいいのだろう。

自分自身は死のプロセスでどんなことを望むのだろう。



そんなことを考えてきたこと、そして実際にパートナーの「死に際」に対する考えを聞いたことから、死のプロセスとそのプロセスにおける選択について知りたくなりました。

そして以前、知人が参加してとても良かったと言っていた「いっぺん死んでみる~今を生きるためのワークショップ~」のことを思い出し、早速参加をしました。

死にゆくプロセスで学んだこと

*ここからは実際にワークショップに参加したことから生まれた気づき・学びをご紹介します。もし「まずは自分で体験して、自分自身で気づくことを大切にしたい」という方はぜひワークショップに参加してみてください。


3時間強のワークショップの中で気づき、学んだことは本当に深くてたくさんあって、これから先もきっと新たな気づきが生まれてくるだろうけれど、まずは今の時点の新鮮な感覚を残しておきます。

①死のプロセスにおいては「課題の分離」がさらに難しくなる

私たちの心を苦しくする考え方や行動の一つに「他人の課題を自分の課題にしてしまう」というものがあります。

心理学者のアドラーは人間関係における悩みを解消し、自由に生きていくために重要なことの一つが「課題の分離」だとしています。

勉強することは子どもの課題です。それに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対して、いわば土足で踏み込むような行為です。これでは衝突を避けることはできないでしょう。われわれは「これは誰の課題なのか」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離してく必要があるのです。 −『嫌われる勇気』より


しかし実際のところ、身近な人に対しては相手の課題を「解決してあげよう」という気持ちは起こりやすいもの。

特に死にゆくプロセスや死が近づいている中での暮らしにおいてはパートナーや家族、その人を支える人がたくさん存在している。

そして、死が近づいている人が精神的・肉体的苦痛を抱えるということも多く、それによって(たとえ本人に苦痛がなくとも)周囲の人にも、精神的・身体的な苦痛や影響が生まれる。

死やそのプロセスがその人自身のものである一方で、死にまつわることは関係性の中に強く存在しており、課題の分離がとても難しくなるのだということを今回のワークショップを通じて実感しました。

②私たちは自分自身や大切な人との向き合い方を知らない

もう一つ今回分かったのは「よく死んでいくこと」に関するプロフェッショナルはいないのだということ。(いたとしても、出会うことができるのはとてもラッキーなのだということ)

一方で結婚式や家を建てることなど多くの人が一生に一度(か数度)のことには「その道のプロ」が存在していて、私たちが望むプランを作り形にすることをサポートしてくれます。

しかし、本当にそうでしょうか?

私たちは「一生に一度(数度)のこと」に向き合うプロセスで、自分自身やパートナーにとって大切なことは何かということに、本当に深く向き合うことができているのでしょうか?

どんなことが、どんな背景から大切なのか。
具体的にどうしていきたいのか。

言葉にし、大切な人に伝えることができているでしょうか?

1年前の自分と今の自分にはどんな考え方の違いがあるのかに気づいているでしょうか?

大切なのは、死についてだけではない。

何を大切にして、どう生きたいのか…。


私たちはつくづく、自分自身や他者との向き合い方を知らないまま生きている。

これが、今回ワークショップに参加しての一番の学びです。

大切な人が死に向かうとき


大切な人が死に向かうプロセスにいるとき、本人の口からはもう、希望を聞くことができないということが起こることが多くあります。

選択を迫られることがあります。

そんなときはきっと、どんな選択をしても「他の選択肢が良かったかもしれない」という気持ちが少なからず残るでしょう。

相手のことを大切に思っていればいるほどに、愛しているほどに「もっとこうすれば良かった」と思う。

それはとても自然なことです。

そんな中でも、相手が大切にしていることを知っていたら、「この人はきっと、こんな形を望むはず」と思うことができたら、大切な人が死に向かうプロセスとその後の時間の質感が変わってくるかもしれません。

それは、あなたの大切な人にとっても同じです。

あなたの大切な人はきっと、あなたが死の向かうプロセスにあるとき、とても苦しむでしょう。

あなたにとって大切なことを大切にしたいと思うでしょう。

そんなときに、あなたにとって大切なことを、あなたの大切な人が知っていたなら、苦しみの中でも、少しでも何かを信じることができるかもしれません。


必要なのは「もしものとき」の話ではなく、
日々自分と相手を知ること


私が死に向かうプロセスで大切にしたいと強く感じたことの一つが「尊厳」です。

尊厳とは、自分が大切にしたい価値観が守られている感覚のことだと私は考えています。

「死に向かうプロセス」というと特別なタイミングに聞こえるかもしれないけれど、それは「生きるプロセス」でもあります。

大切にしたい価値観をお互いに守るためには、自分自身のことを、相手のことを知る必要がある。知り続ける必要がある。



これまで、コーチとして一対一もしくはグループで「自分自身に向き合う」ということを後押しすると同時に、企業の中で対話を行っていくことを後押ししてきました。

企業の中では対話が、ひとりひとりがより良いパフォーマンスを発揮するため、社会により良い価値を届けるためなどに活用されています。

それらも本当に大切なこと。

だけど今はハッキリと思っています。

対話をするのはより良く生きるためだと。

自分自身のため、大切なパートナーや家族のため、関わる人たちのために、大切なものを一緒に見つけようとする。確認しようとする。

そんな営みを日々続けていくことができたら、私たちはきっと、今日という日を、人生を、幸せに生きていけるのだと思っています。


大切な人と話をすることから始めよう


「私はあなたのことをもっと知りたいし、毎日知りたい。私のことも毎日伝えたい」

ワークショップを終えて、パートナーにそう伝えると彼はきょとんとした顔をしていました。

そして、私が体験したことや感じたことを聞くとこう言いました。

「僕はこれまでお姉ちゃんたちに『何かあったときに病院で特別なケアはしなくていい』と伝えてきた。でも今は違うと伝えないといけないね。今はあなたがいるから、もっと生きたいという気持ちがある」




自分自身や大切な人、ともに時間を過ごす相手がどんな体験をしてそこから何を感じているのか、どんな想いが生まれているのかを知ろうとし続ける。

そんなことをこれからの人生で大切にしていきたいと思っています。

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自分が実際に体験してきたからこそ伝えられることがあり、実際に体験してきたからこそ、その言葉がパワフルになるのだということも今回のワークショップを通じて実感しました。

これまでたくさんの方の生と死に関わってきた内科医であり訪問診療医の上原暢子さんの「いっぺん死んでみる~今を生きるためのワークショップ~」、とてもおすすめです。

話したいことがいっぱい出てきます。参加してみて話したくなったという方、ぜひ話しましょう。


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