阿波忌部女神ツアー
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阿波忌部と大嘗祭について
天皇陛下が即位される大嘗祭麁服「あらたえ」は、天皇陛下が即位される大嘗祭でお召しになる、儀式のための衣です。 阿波忌部の末裔である三木家によってのみ、麁服「あらたえ」を作ることが許されています。 古代より「麁服(あらたえ)とは、「麁服(あらたえ)とは、阿波忌部直系氏人の御殿人(みあらかんど) が、天皇陛下が即位後、初めて行う践祚大嘗祭の時にのみ調製し・ 調進(供納)する「大麻の織物」を云います。天皇陛下が即位後、初めて行う践祚大嘗祭の時にのみ調製し、 調進(供納)する「大麻の織物」を云います。 阿波忌部直系氏人の御殿人(みあらかんど)は、古代では阿波忌部氏の中から指名されていましたが、鎌倉時代からは、 御殿人の家筋は、三木家に固定化されることになりました。 麻は、神事に欠かすことのできない神聖な植物です。麻とは「大麻」のことです。 古代、天太玉命(あめの ふとだまのみこと)天日鷲命(あめのひわしのみこと)より受け伝えられた日本の国とってとても重要なものです。 天日鷲命(あめのひわしのみこと)は、天磐船(あめのいわふね)に乗って種穂山に降臨したと伝えられています。 天日鷲命は麻・穀(かぢ)・粟・五穀の種を携えておられたそうです。「麻を植え、神と国に仕えなさい」と言い、忌部氏によって重要な役割を担ってきました。
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2015年11月15日阿波忌部とその農法に日本の未来を見る集い
2015年11月15日、阿波忌部とその農法に日本の未来を見る集い 開催しました。 先日9月5日に「阿波忌部農法が世界を変える」で講演頂いた林先生を講師に迎え前回よりもより具体的に濃い内容で講演頂きました。 講師 林 博章氏(はやしひろあき 古代史研究家) 1965年生まれ。青山学院大学法学部卒。2005年3月鳴門教育大学大学院修士課程修了(地理学)。 1997年から古代阿波の歴史研究に着手。 2004年には、阿波歴史民族研究会を発足、阿波再興と地域再生に向けて各産業界市民と連携して啓発・提案活動を行っている。 2005年6月には、第一回全国忌部サミットを企画し実行委員を務める。 2006年4月には「日本各地を開拓した阿波忌部の足跡~安房国編~」(吉野川市鴨島公民館) 2007年6月には「日本の建国と阿波忌部」を刊行、10月には吉野川市合併3周年記念事業「吉野川市と阿波忌部」を企画・運営・記念講演を行う。 2010年7月には、「倭国創生と阿波忌部(」京都大学名誉教授・上田正昭氏推薦)を出版する。 2006年から吉野川市の歴史講座の講師を務める。県立高校社会教諭 冒頭、次の時代(生命、文明)において忌部氏は大きな役割を担うという事でお話し頂きました。 阿波忌部とは 忌部氏は、古代から大和王権の祭祀を中臣氏と担当していた。本来、伊勢神宮をはじめとする王権祭祀を司っていたのは、忌部氏だった。 特に、忌部は祭祀のための祭具を調達。 阿波勢力(阿波忌部族)は海部とともに大和王権の成立直前となる2世紀後半から4世紀頃に、日本各地へ進出。 彼らは、麻・穀を植え、農業・養蚕・織物・製紙・音楽(弦楽器)・建築・漁業・農業土木技術を伝えた祭祀族、海洋民、産業技術集団であった。 また、近畿に大和王権の象徴となる前方後円墳の諸要素と古墳築造技術を伝えた。そして、大和王権成立の立役者となった。 日本の農業のルーツは阿波忌部族がもつ古代農法にあるのではないかとの事で、衣食住全てを伝えていたのが阿波忌部族。それを現代に紐解くと「地方創生事業」の大本として展開したのが阿波忌部族であり、阿波忌部族が行っていた古代農法を知り、それが数千年もの間、伝統が絶えずに続き、継承されていた農法を知り、行う事が次の時代への新たな気づき、そして文化を継承し守り続ける大切さを知る事は阿波忌部を学ぶ事につながるであろうと。 阿波忌部農法の特徴としては 「21世紀をリードする、自然循環型の、生物多用性を保障する、健康志向の農産物を栽培する最先端の伝統農業」と林先生は位置づけられ 従来の ・古い、貧しい、非効率、前近代的な遅れた山間部の農業から 限界集落化を防ぎ、豊かな日本国家創生の原点となる【ソラ世界】の最興を目指したい。ソラ世界においては、徳島剣山系の多種多様な傾斜地農業において 標高、傾斜度、日照量、気候、地勢、地質に応じ作物を栽培し、適地適作農業を営んでいるのが剣山系における傾斜地農業の最大の特徴である。 忌部は宗教改革もおこなった。 (倭国創生、つまり大和王権を成立させるに至り、現在にまで続く宗教改革を行った。)