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雑記 | 令和という平安時代

新型コロナウイルス、いつまで新型という名前がついているのでしょうか。
いつまで新型でいるつもりなんだい、君は。

マスクで人の顔がよく見えない令和という時代、平安時代みたいだなとずっと思っている。コロナ禍以降、ご飯を食べに行くとか、遊びに行くとかそういう間柄になった人にしか素顔をみせる機会がないからだ。

アルバイト中に水分補給をする時、無意識に人の目をさけて水分補給をしている自分に気がついてびっくりする。
きっと「思っていた顔と違った」と思われるのが嫌なのだろう。
わたしはマスクをしている自分より、素顔の自分の方が好きなのだが、それでも期待外れと思われるのが嫌らしい。

できるだけ考えないようにしようと思っているが、人の顔を覚える上でどうしてもなんとなくの素顔の想像はしてしまうものだ。
意識はしていないので、相手方がマスクを外した時の違和感で素顔を想像していたことに気がつくのだが、世界で5番目くらいにこの瞬間が大嫌いである。違和感を抱いたという事実が申し訳なさすぎてその場に土下座したくなる。

この問題は本当にどうしたらいいのだろうか。
四六時中、証明写真を胸あたりにはっつけておきたい。または、はじめましての挨拶をする時に一瞬だけマスクをとる風習が根付いて欲しい。

顔をみるというハードルが高い時代だと心から思う。
それが心地いい人もいるかもしれないが、わたしははやくマスクを取りたい。しっかり顔をみて会話がしたい。

マスクがいらない日々が戻ってきますように。
もうすぐ七夕だな。これをお願い事にしよう。

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