クイーン×ディズニー考察9/12〜疑いの「カインド・オブ・マジック(一種の魔法さ✨)」〜
ディズニーの1992年のアニメ映画「アラジン」のモデルは、もしかしてQueenのフレディじゃないか?
それだけが考察したかったのに。
ディズニーが沼すぎた。
もう9回目。
前回まではアラジンについて本題として述べていた。
主にクイーンの歴史をさかのぼり、デビッド・ボウイがクイーンと新ディズニーに与えた影響を考察した。
しかし、ここで後回しにしていたジーニーのイラストについて調べるうちに、疑わしき関連情報が現れ、マークすべき登場人物も増えてきて、収拾がつかなくなってきたので、ここらへんでまず、情報を整理したい。
それから、次に進む手がかりを示したい。
よろしくお願いします。
ディズニー・サイドの歴史ふりかえり
まず、1901年ウォルト・ディズニー様が生誕する。
これがはじまり。
兄のロイさんと一緒に、アニメーターや作曲家などと仕事する。
1930年頃からシリー・シンフォニーやミッキーなどの短編アニメを作って、アカデミー賞短編アニメ賞などを連続して得る。
1937年に初の長編アニメーション映画、「白雪姫」を作り、大ヒット。
その時の作曲家は、フランク・チャーチル。
ウォルトとおなじ1901年生まれ。
医学部中退とあるので、インテリ系アーティストだろう。
白雪姫のほとんどの曲(いつか王子様が、ハイホーなど)や、ダンボ(機関車ケイシー?はよく聞く)など。バンビは遺作と言われる。ピノキオの星に願いをはテーマソングだ。
30年に入社し、短編時代にも担当していて、「Thru The Mirror」(ミッキーの「鏡の国のアリス」のようなお話)などの音楽も担当。三匹の子豚の「狼なんか怖くない」とか。
1942年に41歳の若さで亡くなるが、
1953年のピーターパンの「ワニを冷やかすな」「右から2番目の星」なども日の目を見る。あとは「イカボードとトード氏」など。
その死から世界大戦も挟み、ディズニーアニメは一時ヒットがない時期もあるが、
1950年、ウォルトが念願だった「シンデレラ」からまたヒットが続く。
前述のピーターパンや、アリス、わんわん物語、101匹わんちゃん、眠れる森の美女など。
1966年、ウォルトがなくなるまでヒットは続く。
ちなみにメリー・ポピンズなどの実写+アニメや、実写映画も制作し、一部ヒットしていた。
兄のロイが引き継ぎ、その死後(1971)も70年代くらいは何とか維持していた。
ここまでが第一黄金期。
※クイーンは1970年ごろに発生し、1973年にデビューする。
80年代は息子で、ウォルトの甥のロイ・E・ディズニーが経営を引き継いでいたが、ヒットが維持できない暗黒期を迎えていた。
第二黄金期(新ディズニー/ルネサンス)
そして、まずCEOを刷新すべく、1984年に経営に迎えたのが、
マイケル・アイズナー。
彼が呼んだフランク・ウェルズと二頭体制で経営する。
アイズナーは前述したが、インテリの多い東欧系のユダヤ系で、
性格もかなり激しくて有名だった。
ディズニーに呼ばれる前はパラマウントという映画製作会社におり、
経営を立て直した。
77年のサタデー・ナイト・フィーバーや、
スピルバーグの81年インディ・ジョーンズ、
スタートレックやビバリー・ヒルズ?
などをヒットさせる。
一緒に仕事したのがこれも前述のカッツェンバーグで、同じく東欧系ユダヤ系。
アイズナーはカッツェンバーグをディズニーに呼び、担当させた。
カッツェンバーグだったかによって、アニメ部門が削減されそうになり、必死の彼らが呼んだのが、
製作総指揮、兼、作詞家のハワード・アッシュマン。
さらにアッシュマンが呼んだのが、もとビジネス・パートナーの作曲家
アラン・メンケン。
生けるディズニー・レジェンドだ。
この4人は全員ユダヤ系。
最近、新ディズニーがユダヤ系になったと言われる所以がここにあるのか。ユダヤ系は、金融や商売系が得意と言われる(銀行やハリウッドやITやGAFAなど世界を征しているケース多し)。
ここら辺からが新ディズニーと言えると思う。
1989年にまず、この2ペアで、リトル・マーメイドがヒット。
ここから10年10作品(アラジン、ライオン・キング含む)が、第二黄金期と言われる。
きっと構想は二、三年前くらいか。
クイーン・サイドの歴史
引き算して1986年とすると、振り返ると、
Queenは12作目のアルバム「カインド・オブ・マジック」のリリースの頃。
この構想は半年から1年前くらいか。
Queenはサン・シティ問題から政治的にブラック・リスト入りで国内で悪者のイメージになり(元から金持ちバンドのイメージだった)、1985年のフレディの初ソロアルバムは商業的失敗。
そもそも1980年にアメリカから世界を征して、フレディはヒゲ・デビュー。映画のサントラに呼ばれちょっと失敗しつつ(特にアメリカ)、デビッド・ボウイとの共作が話題になり、ベスト盤とも言われるグレヒツ(グレイテスト・ヒッツ)を出す。しかし1982年のホット・スペースでファンクに移行し、ファンが離れ、84年にちょっと懐古しながら、あの二人がガガやブレイク・フリーをヒットさせる。だが、アメリカツアーを82年以降行わなかったせいか、米で女装ビデオが禁止されたり、大ヒットは制限された。
そこへ来て、サン・シティーとフレディソロの失敗。大卒からの遅いデビューから10年以上の老いていくメンバー(フレディはアラフォー)と飽きられムードと、新しいピチピチのミュージシャン達の追いあげ(マイケル・ジャクソンは10くらい若いし、あとマドンナとか?)。
そして、ついに
1985年7月13日のライブ・エイド(エチオピア飢饉のチャリティー)出演(出演者は若者メインと大物)で巻き返し。
まさに復活と言えるらしい。
映画ボラプ(2018)のハイライトだ。
ハイランダー
その勢いか、クイーンは映画「ハイランダー」のサントラ作成に呼ばれ、
それらの曲のアレンジに、他の映画の曲や新しい曲などを加え、12作目のアルバム「カインド・オブ・マジック」が作られたらしい。
オープニング・トラックの
「ワン・ビジョン」はライブ・エイド主催者のボブ・ゲルドフに捧げたともいう。彼はアイルランド出身、ユダヤ系だった気がする。レジェンドの一人。
ワン・ビジョンはドラムのロジャーにマーチン・ルーサー・キングJr.の演説にインスパイアされ書かれたが、フレディによりワンづくしのQueen名義の曲にされてしまう。優しいロジャーさん。印税やFの一人勝ちなどで揉めない寛容さがこのバンドの魅力。ビデオもメイキングも楽しい。
とにかく、
このアルバムの歌詞カードのところに
「アラジン」の登場人物、ジーニーそっくりのキャラが既に存在する。
アラジンの制作は「リトマ(リトル・マーメイド)」と並行するので1986年くらいかもしれないが、Queenとディズニーに関係はあるのか?
チアソン
このイラストレーターは、ロジャー・チアソン氏とある。
1988年、ディズニーの関連するロジャー・ラビット(頭文字R一致)に関わり、
1990年、ディズニーのリトマの次の作品、「続・ビアンカの大冒険」に関わり、
その後も第二黄金期の
「ノートルダムの鐘」と「ヘラクレス」のビラン(悪役)
フロロー判事とハデスを担当、
最後の「ターザン」も関わる。
これはかなり怪しい。
歌詞カードにはロジャーのようなウサギのようなキャラも描かれる(マジシャンの帽子から出るウサギのようだが)。
チアソン氏について調べたが、
おそらくカナダ人。
まずキャリアの最初は
1986年「ハイランダー」のビジュアル・エフェクト(特殊映像効果?)に関わるようだ。
煙のような襲ってくる髑髏(ドクロ💀)みたいなのか?CG?アルバムの最後の曲の「プリンシーズ・オブ・ザ・ユニバース(宇宙の王子たち?)」のMVかなんかにでてきたかな?ハイランダーの俳優も共演。
おそらく、ハイランダーを通じてチアソンはクイーンと出会い、もしかしたらフレディにたらし込まれたのかもしれない。フレディはアートスクール出だし、クイーンのビジュアル・コンテンツのほぼ全て彼がやるらしいと初期はロジャーが言ってた。BQ(ブラック・クイーン)のように。
イッツ・ア・カインド・オブ・マジック♪というロジャーのハイランダー用の曲のアレンジ曲のM Vは、
まさにチアソンのイラストのアニメと実写がコラボして、
魔法のように展開する。
そこには青くはないが肌の色が変な三人の女性(マジシャンの助手のバニー・ガールズ?耳や尻尾はないか)が登場する。
アラジンやその前の美女と野獣にも三人娘というのは存在する。アリ王子やガストンに夢中の美女クローン。
ディズニー・ランドのアトラクション「ホーンテッド・マンション」みたいな、ポルターガイストみたいに劇場のアンティークな椅子や家具、ドクロやら何やら浮遊する効果もチアソンなのか?
MVのコンセプトは、ステッキをもった魔法使いフレディが寂れた劇場(ロイヤル・アルバート・ホール?)に眠る三人の浮浪者をロック・ミュージシャンに変えるストーリー。
ハハハハハ、魔法だ!
と叫ぶ。
因みに
カインド・オブ・マジック
のフレーズは、
シアーのオープニングのブライトン・ロックから始まり、それは
死後のアルバム「メイド・イン・ヘヴン」のウィンターズ・テイル(遺作とも)にもブライトン・バージョンが使われた。新しいボーン・トゥー・ラブ・ユーには「魔法だ!」という部分のサンプリング。遺作アルバムとも言われる前作「イニュエンド」のオール・ガッズ・ピーポーのマジック・ライトとはこのステッキ?
ブライトン・ロックでは、マジック(魔法)という表現と並行して、
spell(スペル)という表現も使われる。
スペルは陽気な「マジック」に比べて、呪いなどの陰気な怪しいイメージも含む。つづりという意味(スペリング)もある。
スペルもクイーンでは、初期からフレディに詩に使われ、他にも時々よく見られる。クイーンは初期から物語など魔法のイメージもある。ディズニーと同じだ。
脱線したが、チアソンとクイーンはここで関わり、
なぜかここら辺から彼のアニメーター、イラストレーターの手腕が発揮されたように思える。
ハイランダーでは担当はあくまでビジュアル・エフェクトであり、クイーンのジャケットではイラストレーターなのだ。
ハイランダーを見たことないからアニメが出るのかはわからないが。
そして、おそらくこの後、88年より前にディズニー社にアニメーターとして入っていくようだ。
ここまでがざっとしたこれまでの状況だ。
今日のまとめ
D(ディズニー)サイド。
作曲家フランク・チャーチルから始まり、
'84年の新ディズニーからは、
作詞ハワード・アッシュマン、
Dレジェンド・メンケンや、経営陣のアイズナーと部下?のカッツェンバーグ、この4人衆
など、
個性的すぎるキャラが集まりすぎている。
1.音楽、
2.アニメーション、
3.ミュージカル・エンターテイメント。
異種格闘戦の予感。
これらは似てるようで、
1.目に見えないもの、
2.二次元、
3.実写、
という拮抗する分野。
このようなものの戦い、影響のし合い、コラボレーション。
そんな気がする。
これこそがウォルトの夢かもしれない。
1.実写から起こした二次元アニメの魔法のような動きと、絵画のような背景、可愛らしいキャラ、幻想的な世界。
2.クラシックからジャズ、口笛や警笛まで使った、ノリノリの音楽、歌詞。
そして
3.テーマ・パークの体験。
1.手塚治虫も憧れた卓越したアニメーター達、ビジュアルセンス、
2.秀逸の音楽と、クラシックの選択、バレエ趣味、
3.テクノロジー、エンターテイメント、空間。
その芸は受け継がれ、真似され、発展していく。
クイーンも似ている。
クイーン・サイドでは、ボウイに続き、'86年から新たにチアソン氏がキーパーソンとなる模様だ。
次回は、次回こそは核心に触れたい。
これではまだ説明に過ぎない。
本題と言ってたのに戻っちゃった。
もう、宣言しちゃおう、
あと3回で終わらせる。後日談やおまけ含め、全12回で完結!
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
続けて読んでくださる方もありがとうございます。遅くてすみません。
次回もよろしくお願いします。
お楽しみに!
追記、次回はこちら
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