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#2 中国についての雑感(思想強め)

NHK「映像の世紀プレミアム」という番組をご存じだろうか?

激動の20世紀を、各国に残された映像を基に振り返るドキュメンタリー番組。

先日、その第20集として、「中国 “革命”の血と涙」が放送された。

辛亥革命、国共内戦、日中戦争、中華人民共和国成立、大躍進政策、文化大革命、改革開放、天安門事件、北京オリンピック...

中国近代100年ほどの激動の歴史を解説しており、見入ってしまった。


私の場合、この10年と少し、中国と関わりつつ、中国の経済的台頭を内外から見てきた。

経済的台頭という光の裏で、その長い歴史の間に積み上げられた社会通念や行動様式、また現代中国の社会構造のイビツさが、見え隠れする。

特に最近では、

「高齢化社会」「学歴偏重による過当競争」「不動産価格の高騰」

これらの問題が、相互に絡み合い、中国大陸の人間のそのほとんどにのしかかっている。

中国の経済成長の地盤を支えている不動産価格の行き過ぎた上昇により、都市部においては、その価格は一般中国人の生涯所得を軽く凌駕するものとなっている。

一方で、中国では、男女の結婚に当たり、男性側は不動産を用意しなければ、経済力不足と見られ、結婚相手として不十分であると見られる傾向にある。

※これについては、まとめて私見を後で述べたい

このため、一個人の支払い能力を超えた住宅ローンを組まざるを得ず、結婚後の夫婦は共働きで、家庭を支えるというのが主流になっている。


それがまた積み木倒しのように、出産・育児にかけられる労力や資金に影響し、2人以上の子供を持つことがかなり難しいという状況を生む。

詰まるところ、”分散投資”できるほどの余裕がない...

それ故に、1人にかける期待が大きく、評判の良い学校への入学、また放課後の家庭学習や習い事の掛け持ちなどは、多くの親が考えることとなっている。

「良い学校に入って、将来有名企業に入って、安定的に高い収入を得る」

日本では20年以上前まで信じられていた宗教に、盲目的に入信し、必然的に競争に巻き込まれる。

結果、20代前半までのスコアが、社会進出後の信用力に左右し、ひいては婚姻率にも直結するといっていい。

このように、先程の3つの問題は連鎖的な事象として表面化している。

(まぁ、種類は違えど、この事象の連鎖は、日本も他人事ではない)


上述のことを踏まえた上で、私見を述べると、いくつか中国の社会通念が因習化し、それが悪腫となっている。そう思う。


まずは、「男性側は不動産を用意するものである」。

 不動産を持っていないと安定的じゃない
 賃貸の場合、将来、地上げや立ち退きがあると、生活環境が変わるリスクがある 

当人達の意見は、大体はこれらに収束する。

本質を突いていない、といつも思う。

不動産を所有できることに越したことはないが、それはお財布との相談。

都市部の場合、大抵、平均的な所得の世帯なら、賃貸の方が生涯不動産に支払うコストは安いため、その分、生活支出は節約できる。

立ち退きについては、それは私有財産になっていてもあり得る。

要するに、「家というのは買うもの、周りの皆がそうしているし、昔からそうだったから、買ってないと恥をかく」という”なんとなく”あった富や安寧の象徴としての”家”に対する社会通念に応えようとする結果、こういう意見が生まれる。

気持ちはわかる。でも、瘦せ我慢だ。「貧すれば鈍する」。暗示を解け。


次に、「良い学校に入れたい」。

はっきり言う。

2021年現在でいうと、中国国産の教育水準は大して高くない。

(日本も高いとは言えないが、こちらについては後日談とする)

故に、富裕層は、自身の子供に欧米又はシンガポールなどの先進教育を受けさせるために、中国国内にある海外の出先の教育機関に入学させたり、留学、或いは海外の永住権を取得し、その国の進んだ教育を受けさせる。

国外への教育のアウトソーシング。

以下は、富裕層とその子供達の教育現場を切り取った動画(リンク貼付)。

        中国流、エリートを育てる超英才教育

富裕層は、後継となる次代の富裕層を作る。

これはこれでいいと思う。

子供に、今すぐ一流の教育を施す最短ルート。

が、何となく、彼らの中には”焦り”、"この100年の恥辱"が透けて見えるような気がする。

”田舎者が思う金を手に入れた時にやりたいこと”を地で行く "田舎者”丸出し感がある...(文革の影響だろうか)

こういう性根だと思う、香港人や台湾人に敬遠されている所。

しかし、彼らがそれに気づいているかどうか、気にしているかどうかはさておき、このやり方では、海外との質の差を埋め、追い越すことはできない。

そう思う。

アキレスと亀

この言葉が適切だと、個人的には思う。

中国国産の教育水準を上げることでしか、これは埋まらないし、越えられない。

「ゼロイチ」の人材開発ができないと、思われることだろう。

教育には、解がない。

時代時代に合わせて変容していくものであるし、F1やコンピューターの性能のように、時間経過により線形に向上していくものでもない。

今の中国の教育に対する根源的な考え方が、”朱子学偏重”や”応試教育”である以上、天井が見えている気がする。

優秀な”大工”を作り出すことはできるが、”建築士”を生み出すことができない。これだ。

”解を探す・編み出す”教育というのが、今後重要になってくると思う。

これは、中国のみならず、全世界に当てはまる。

アメリカやイギリス、あるいは北欧や中東などの教育先進国はそれについての研究に熱心だなと思う一方で、中国は、あくまでそのお客さん。提供者ではない。

これを抜け出すには、個々の家庭が、”朱子学偏重”や”応試教育”の考えを一度捨てること。

学歴がどうこうで決まる社会通念や秩序を変えていかなければいけないと思う。

歴史的な習慣について、”古人が伝える本質は何であるか”、”なぜそうであるか”を見つめ直し、形骸化し因習となっているものは捨てる・変える。

解釈を変えることが必要だと思う。

これが、本質的な文化大革命であるし、目指すべき社会に向けたムーブメントであってほしい。

これを目指したとき、日本として”真に尊敬する”中国が生まれるような気がしている。


最近の世界情勢の影響もあり、一時期に比べて、関わる濃度が薄くなっている中国だが、それでも関わっている人間として、好意的な1つの問題提起として文を結ぶ。

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