#夏の1コマ
30年前、1994年の夏休みに入ってすぐごろだったか、京大文学部フランス語専攻(当時)の金銘(仮名)とかから”獄門島(仮名)君も来るから一緒に行こうよ”とかとか誘われて、 現在は廃園になっていてもうないエキスポランド(当時)で ”風のようなインド少年(仮名・京大法学部)”、 ”すかしたチャラ男(仮名・京大教育)”、 ”持田香織似の京女短造から大造へ編入で卒業(当時)の顔に頬袋(仮名)”、 ”イカ京の宍粟君(仮名・京大工学部)”、 ”クチビル少し青いよ君(仮名・京大理学部)”、
私は合唱団では特に上のほうの人たち、上級の先輩たちからも、同回生同士からもとにかく活躍もさせてもらっていたし重宝もされていて、1994年の「女性ジョイントコンサート」 (京都フラウエンコール×東京家政大学女声合唱団) に向けての準備では「日めくりカレンダーCAP」を担当させてもらったり、 私が描いたりしていた絵とかも特に同性同士から褒めてもらったり、 喜んでもらったりもしていて、日めくりカレンダーを1人2枚提出とかで、 当年の女声の指揮者(”おんせん”(仮名)としておきます)
私と同回生だった京大の女子学生だった人で、顔が金銘という中国の女優にそっくりだった聖心女子学院から浪人を経て京大に合格して、1か月の家賃が16万円だったとかの人もいました。 彼女のここでの表記は「金銘(仮名)」としておきます。 獄門島(仮名)は石川県立金沢泉丘高校から京大理学部で家賃が月に18000円ほどの4畳半の「若竹荘」というアパートに下宿、私は兵庫県立姫路飾西高校から現役で京都女子大学文学部史学科に合格後、その年のクリスマスの直前ぐらいまでは日吉寮にいました。 当年
1994年、今から30年前は京都女子大学には学生寮が4つありました。 「監獄日吉」「ホテル東山」「パラダイス錦華」、正確ではないですが小松寮も「牢屋」だか何だかの「仇名」のようなついていて大勢の学生の間で騒がれたりしていました。 私(文学部史学科=大史卒)は日吉寮、そして私の母も京女のOG(文学部児童学科=大児卒)で日吉寮在住の経験者 私は「京大合唱団」の「新人コンパ」に、当時福島県の県立高校(女子校)から来ていて錦華寮にいた同回生(文学部国文科=大国)、大史の同級生で
今は知らないですが、今でもでしょうか。 私が京女生だった時は「藤花祭」は京大との共同開催だったと記憶しています。 京大の男子とかとの出会いがなかったら藤花祭実行委員会に人が入るわけがない、残るわけがないとかは日常に普通に騒がれたりしていました。 精神論、家族で親や親戚とかからの老婆心とかでの「京女の中だけで、同じ学部、学科の中でだけ友達を作りなさい」みたいな「親の言うこと」とかは私は聞くことができませんでした。 私がいた時は初めの頃ほど優しかった…明るかった…練習もイ
1994年といえば、私が生まれて初めて「テレビに映った」年でもありました。 番組内容、題名とかは覚えていないですし調べても確認が取れないですが、 MBS(TBS系列、大阪茶屋町に本社ビルがある放送局)で当年放送されたバラエティ番組の公開収録かなにかで間寛平、島田珠代が当時のE校舎の近くとかだった中庭で撮影があって、私を含めた大勢の学生たちとかが集まったりしていて、あとで「(寮での部屋番号)111の子(私)がテレビで映っていたって言っていた子がいるよ」とかとか教えてくれた日吉寮
当時大学で「パラダイスキンカ」とか呼ばれたりしていた寮にも私の同級生は大勢いて、同じ学部、学科とかだった同級生は私が知っていた限りは3人ほどで、特に遠い福岡から、九州からとかで見た目とかが奥田民生に似ていた、私が見たり読んだりしていたドラマやドラマの原作マンガのキャラクター「梨田友子」(「悪女(わる)」)とも被って見えていた同級生S子は、 「地元の国公立大学に行きたかった、共学がよかったのに行けなかったから京女に来ているけど、仮面浪人をして地元の国公立に転学して地元に帰りた
1994年、京都女子大学には寮が4か所あって、錦華寮、日吉寮、東山寮、小松寮に住んでいた寮生は年末頃に日吉寮を退寮(=脱出≒脱獄。爆)した私も含めて800人くらいいたとか言われていました。 「監獄日吉」「ホテル東山」「パラダイス錦華」、小松寮はなんて言われていたのかは忘れてしまいましたが「日吉寮と小松寮は厳格」、他2か所は天国、みたいな騒がれ方をしていたりは強烈でした。 私は入学後に大学側に必要書類を提出する時に「宗教に対しての考え方を教えてください」のような質問に対して
1994年度前期に私に割り当てられた部屋番号は「111」 中国語読みをすると「要要要」(欲しい、必要) 大学の第二外国語は私は中国語を取りました。 あとあとにもつながっているので京女でのこと、当時所属をしていたことのある京大のインカレサークルでのことは私の「グラウンド0」とかとして覚えていたり、思い出したりを語っています。 そのうち「退廃的な初めての両想いの恋」とかの話もしますのでお楽しみに…(^。^) 部屋は4人部屋で、私以外は全員短大に地方から”遊学”で来ていた人たち
私は京都女子大学文学部史学科を卒業しています。 日本近世史を専攻、卒業論文は江戸時代の火事と防災とかについてでした。 関西学院大学の受験に落ちて、文学部史学科に合格したのが京女でした。 関西学院大学は文学部(日本史)と社会学部を併願で受けて、文学部には不合格で社会学部には合格しましたが私は歴史学が学びたかったので京女に行くことに決めました。 私が卒業した高校は兵庫県立の当時まだ新しかった共学の高校で、今はどうかは知らないですが私がいた当時はいい先生も多かったし進学校としても
はじめに 2022年7月8日、元首相が暗殺で死去してから大きく騒がれ出した旧統一教会ほかのカルト宗教のこととか、人の心、精神的なこととかつながりということとかについてあれこれ考えたりしていて、遠い昔のこととはなっていたけれどいろいろ思い出したこととかをぼちぼち書いていこうと思いましたので、よろしければお付き合いいただけると幸いです。 今から30年前、私が1994年に大学に入学してから起きたことととか。