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京都女子大学文学部史学科の仲間同士、寮生同士でのこととか。その3

今は知らないですが、今でもでしょうか。

私が京女生だった時は「藤花祭」は京大との共同開催だったと記憶しています。

京大の男子とかとの出会いがなかったら藤花祭実行委員会に人が入るわけがない、残るわけがないとかは日常に普通に騒がれたりしていました。

精神論、家族で親や親戚とかからの老婆心とかでの「京女の中だけで、同じ学部、学科の中でだけ友達を作りなさい」みたいな「親の言うこと」とかは私は聞くことができませんでした。

私がいた時は初めの頃ほど優しかった…明るかった…練習もイベントも楽しかった…

京都大学男声合唱団、京都フラウエンコール、京大合唱団は今は知らないですが、過激派、旧統一教会、原理とのつながりとかもあったとか、悪評や危険情報も私がいた当時はとにかく騒がれていました。

同性の上級だった人たちからの大歓迎とか

そして

私とは「新人コンパ」で席が向かい同士になったのがきっかけで始まった石川県松任市(当時)の実家から京大理学部に進学、4畳半の下宿で自炊をしたり勉強をしたり寝起きをしたり洗濯とかの家事をしたりしていた生い立ちが双子で長男坊だった獄門島(仮名)との儚く散った恋

そして私の成長、強靭化とか

長いお話ですので長くなりますが、よかったらお付き合いくださると幸いです。

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