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空を見上げて

こんにちは。
今日もご訪問ありがとうございます。

先日、リハビリ施設に入所中の
大叔父の外部受診に付き添いました。

大叔父は亡き祖父の弟。
大正13年生まれ。
今年でたぶん98歳になります。

この年代の方は満年齢よりも
お正月で一つ歳をとる「数え」の方が
馴染みがあるようで
歳を尋ねるたび数字が変わるので、
ややこしくていつも覚えていられません。

明治生まれの祖父には弟妹が
10人以上おりましたが
今やもうこの大叔父と、もう一人、
この大叔父より2つ年上の妹の
二人を残すのみとなりました。

この二人はその昔、幼少のみぎり。
旅のお遍路さんをお接待したところ
たいそう喜ばれ、

「百まで生きられるようにしてあげよう」

と、いわゆる”祝福”されたようなのです。

よほど印象深い出来事だったとみえ、
その通りになった!と、
経緯を知っている人たちは驚いています。

以前はなにかあれば両親が動いておりましたが
そちらも十分すぎるほど高齢者なため、
最近は私が大叔父のお手伝いをしています。


ところで、入所中の施設では
もう一年以上にわたって外出はおろか、
窓越しの面会も許されない状況が続いています。

今年の春には受診のための外出さえも許されず
ついぞ桜を見せることができませんでした。

平常時であればこれは
人権侵害事案ですらあるような対応。

言葉は重いですが、実際私はそう感じています。

昨年来、何度も何度も繰り返し
筋道立てて改善を申し入れても言い分は通らず。


「保健所からの指導です」

「県からの通達です」

「他所もどこも同じ対応です」


聞き飽きるほど聞きました。


副反応のリスクを冒してまで打ったのは
なんのための予防注射だったのか?

窓越しの面会さえ叶わないのは
施設側の都合でしかないのでは…


職員さんは誰も外には出ないのか?


職員さんは誰も家に帰らないのか?


家に帰っても買い物にも行かず、
他の家族とも接触しないのか?

そのご家族さんは誰とも接触しないのか?


感染症への罹患を過大に恐れ、
面会禁止にしながら
ご自分達は普通に生活しているのはなぜ?

それだけ対策していても
職員側から感染者を出した挙句、
職員さんではなく入所者の行動制限を
以前にも増して強めるのはなぜ?


答えはいつも

「指導です」

「通達です」

「入所者さんのためです」

私はときどきわからなくなるのです。


(えーっと…)

(これ…私がオカシイ、の…か…??)

(えーっと…)

(これって怒っていいとこやろか?)


ある程度、下火になっても。

医療関係者が緊張する場面ではない時期でも。

繰り返される施設側との不毛なやりとり。



そして、落胆。



大叔父は急速に意欲を失ってゆき、
認知機能の低下だけでなく
リハビリ施設にいながら
身体機能までもがすっかり衰えてしまいました。



こんなとき、同じ問題が繰り返し私の眼前に
顕れてくるのはなぜだろう、と考えます。


感謝の気持ちが私に足りないのかもしれない。



なにが答えかはまだわかりません。



どうにかならないかと思いながらも
根本的な解決策を取らない私がいます。

根本的な解決策とは、すなわち
大叔父の身柄を引き受けるということ。

それをしない後ろ暗さがあってか
施設にあれこれ掛け合うにしても
どうにも今ひとつキレが出ません。


正直なところ、私は恐れています。


これまで、火中の栗は
見つけたらことごとく拾ってきました。

なぜ自ら抱えこむのか?

そこに潜むのは

「善い人でありたい」

という、一見親切そうに見えて
実は身勝手で傲慢な、私の願い。

手放そうにもこれがなかなか曲者で…
四苦八苦しております。

相手を信じきれないという
深い心の傷がどこかに残っているようで。

心配のエネルギーは思いやりというよりは
不信感や疑いのエネルギーになり得ます。

なので、フラワーエッセンスでその部分の
癒しを進めているところです。

件の大叔父のことは
考えれば考えるほど本当に気の毒で、
身を切られるほど心が痛むのですが。

人間、どうしたって
できることとできないことがあります。

そんないろいろな言い訳を自分にしつつ、
久しぶりに直接会えたので、
その貴重な時間でできることをしてきました。

しかしそれすらも自己満足ではないかと、
そんな自問自答も続けています。

ところで、外部受診の場合の送迎は
必ず施設側がする決まりだそうです。

自分でできるのならば
あちこち寄り道をして、見せたい景色や
触れてほしいなと思う自然がありました。

しかしそれは叶いません。

せめて外の空気を胸いっぱい吸って
春の風を感じられるように、
少し早めに病院の建物から出て、
駐車場で迎えの車を待ちました。

施設では玄関先に出ることもダメで
窓も転落防止のために少ししか開かず
自然とは遠く離れた状況です。

目の前に青々とした草っ原があるのに
そこへ足を下ろすこともできません。

大叔父はもともと田んぼや畑をしていた人です。

なのに土から切り離されて、
コンクリートの床でスリッパを履いたまま。

それがどれだけ人として不自然か、
土に慣れ親しんできた人にとって窮屈で
寂しいことであるか?

どんなに言葉を尽くしても
関係者には伝わりません。

全て私の思い込み、幻想かもしれない。

しかし、たとえそうであっても私は
大叔父に今年の桜を見せたかった。

あとどれだけ残っているか分からない
生命の灯火。

自分の足で立てるうちに
肥えたやわらかい土の感触を。

記憶に残っているうちに
お陽さまの匂いのする土を、草を。

稲の葉そよぐ、水の張られた青田を。

思う存分味わってほしい、
そんなことが叶うように願っています。


駐車場で迎えの車を待つ間は、
暑くもなく寒くもなく。

雨も降らず、かといって
お陽さまが照りつけるわけでもなく。

薄曇りの気持ちのよい日でした。


会ったときからずっとうつむいて
背中を丸めていた大叔父。


「こないに長生きしたって
 周りに迷惑かけるばーっかりでのぉ」

「なんにもお返しするもんがない」

「早よぅバァさんお迎えにきてくれんかのぉ」


そんなことばかり口にしていました。

ふと気配を感じて見上げれば、
空には日輪。大きな虹色の輪。

「ちょっとお陽さんにあたろか。」

促して、二人で空を見上げました。
顔を上げ、うんと背中を伸ばして。


「おぉ…
 お陽さん見るんは久しぶりじゃのぉ…」


自然と合わさる両の手の平。

それはシワだらけの、
とてもとても美しい手でした。


もっとシビアな状況に置かれている
そんなご家族さまも多いことと存じます。

私たちが特別なのではないと知っています。

それでも、一昨日ご紹介した
高知県の山間に位置する上東地区。
あのような豊かな地で
土に触れて日々動いていれば…

大叔父もここまで意欲を失うことには
ならなかったであろうと考えています。

noteやInstagramから知って
お心を寄せてくださった方があったのか
目標金額まであと一歩まで迫っているようで
他人事ながらホッとしています。
(え?紹介しながら他人事ってオイ)

どなたかはわかりませんが
もしご興味を持ってくださったのでしたら
本当にありがとうございます。

これで終わりではなく
土佐楮を守り継いでいくには
継続的な支援が必要なのかもしれません。

それでも普段ほんの少しだけ和紙に思いを、
意識を向けてくださるだけでも
そのエネルギーは力になるのだと、
私はそう思います。

ありがとうございます。

さて話は戻りますが
先日の大叔父との会話の中で気づいたこと。

根気よく私に教えてくださった方がいたのに
今ひとつ腑に落ちていなかったことが
ストンとふたたび腑に落ちました。

それは、

人はただ生きてそこに在るだけで尊い

ということ。

生きていることはただそれだけで奇跡的

ということ。

迷惑かけたっていい、
お返しなんかなくて当たり前。

本来私たちは
何者かになろうとせずとも、命あるうちは
“ただそこに在るだけ”で必要十分だということ


あとは全部オマケみたいなもの。

勉強したかったらすればいいし、
仕事したかったらすればいいし、
ホレタハレタで大騒ぎしてもいいし、
引きこもりたかったからそれもよし。

なにをしても大丈夫ということ。

オマケやオプションを精一杯楽しむために
この世に来たのだということ。


さあ!

ならばあなたは?

この当たり前ではない「生」を、
どんなオプションで楽しみますか?

余談ですが今日はワタクシ第18,629日目
めでたきお誕生日にございます。

片や大叔父が重ねきた日数は
今日までおよそ36,000日。

まだまだ若輩者にござります。

ここに至るまで、
自らの命を絶とうとしたことも
一度や二度ではありませんでした。

それでもしぶとく生き残り
生かされて、今ここに在ります。

この歳頃になってようやく、
生かされているのだと、いや
生かしていただいているのだと、
そんなことがわかるようになりました。

今生ご縁をいただいた、あの人この人。
そしてなによりこうして読んでくださる皆さまに。

心より感謝申し上げます。
ありがとうございます。

どうぞ皆さまも今をお楽しみくださいますよう!

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#ハロ #生きる #哲学 #ただ在る #土佐和紙

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