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カミの教え ~あるクラウドファンディングから

こんにちは。
今日もご訪問ありがとうございます。

「カミ」といえばなにが思い浮かびますか?

神、髪、紙、上…

「カミ」にもいろいろありますが、今日は
「紙」から得た気づきについてのお話です。

よろしければご覧くださいませ。

|ご縁

このお話を書くきっかけとなったのは
こちらのクラウドファンディング。

クラウドファンディングcrowdfunding
crowd群衆funding資金提供を合わせた造語。

なんらかの目標を達成する計画、
つまり「プロジェクト」のために
まとまった資金を必要とする方の思いと、
その熱い思いに共感し、
応援したいと考える一般大衆から
広く資金を募る仕組みのこと。

募金と違い、
提供資金の額面によって異なる
”リターン”と呼ばれる”返礼品”が
得られることが一般的です。

広義で考えれば、ふるさと納税制度も
もしかしたらこの範疇に入るのかもしれません。

古くからの手法が少しずつ形を変えて進化し
インターネットの普及や
度重なる大災害時の互助精神の経験からか
今や日本でもグッと敷居が低くなりました。


その昔、縁あって
学生時代を同じ場所で過ごした友人の一人が
上記リンク先のプロジェクトに携わっています。

特段頼まれたりしたわけではないのですが
まずは2022年5月20日23時59分までの
プロジェクト終了まであとわずか。

まだ目標金額には到達していないようです。

先に上のリンク先から詳細をご覧いただき、
細々と、しかし誠実に、生涯をかけて
この日の本の伝統技術を支えてこられた方々に
温かい思いを寄せてくださるお人が
一人でも増えれば大変うれしく思います。

返礼品に含まれる和紙は友人である
その彼が漉きあげるもの。

外国産素材を使ったり合成糊を利用した
”なんちゃって和紙”も数多く出回るなか、
正真正銘の国産天然素材100%製。

そしてこちらの記事のおむすび同様、
手仕事には創り手のエネルギーが乗ります。

まだ幼さの残る子供同然の学生時代から
とても大人びて誠実な人でしたので、
その彼が真心込めて漉きあげるものであれば
波動の高い紙になることは間違いありません。

伺ってはいませんが、写真で拝見するに
原料が育った土地の気も高そうな感じ。

紙は書くもの・描くものではありますが
植物繊維をいたものなので、
折り紙としてカタチ造ったものに
フラワーエッセンスやアロマオイルを垂らし
机の上や玄関先に置いておくのも相性が
いいかもしれないと思っています。

|紙のもと

さて、前置きが長くなりました。

紙にもいろいろな種類がありますが
そのもとになるのは植物の繊維。

現在主流の洋紙、つまり工業製品としての
「紙」は、木片から造られています。

一方、昔ながらの和紙の原料は
楮(コウゾ)や三椏(ミツマタ)といった
比較的小柄な木々の、
皮に近い部分の繊維から。

幹のようにゴツゴツしていないので
繊細でしなやかな紙が出来上がります。

私がこうぞということばと
そういう植物の存在を知ったのは
まだ就学前か小学校低学年の頃でした。

幼き日々のこころの友であり
愛読書であった『まんが日本昔ばなし』。

その中の一話に、山で楮を採って
紙をくお話がありました。

その民話のあらすじはすっかり抜けても、
なぜか”こうぞ”や”三椏みつまた”というものに
強く心惹かれた記憶は、今に至るまで
長く印象に残ることになりました。

今にして思えばそれは
四国の山間やまあいで暮らしていたという
前世の記憶の一つであったのかもしれません。

この記事を書くにあたって気になり
ネット検索をかけてみたところ

『紙すく里』

というお話で間違いないと思います。
(おぉ!なんと便利な世の中!!)

子供時分の思い出で今に残るようなものは
なにかしら後に意味を持つという経験が
ここ数年続いています。

昨年にはちょうど、
長年見てみたいと思っていた
ミツマタの花を初めて見つけていました。

このクラウドファンディングについても
ひょんなことからご縁がつながり知ったこと。

なにかしら意味があるのだろうと思っていたら
やはり大小様々の気づきがあったため
急ぎ、ご紹介させていただきました。

|植物とカミと人

かつては麻からも紙がつくられていました。

むしろ原点は麻の繊維の方だったのではと
個人的には考えます。

ここでいう「麻」は「大麻」のこと。

タイマと読むと差し障りがありますので笑
人前ではオオアサと読むのがおすすめです。

大麻は今やすっかり悪者で取締対象ですが
終戦後GHQに統治されるまでは
ごくごく普通に日本人の生活に取り入れられ、
いにしえより当たり前に利用されていた植物。

いわゆる「タネ・茎ルール」というものがあり
ハッパ(ハッパって言うな?)や花穂以外の
種子や茎については、許可を受ければ
合法に扱うことができます。

許可を受けられれば、の話ですけどね。

近年、大麻成分のカンナビジオールなどが
健康食品としてにわかに注目を集めていますが
日本ではまだまだ広まるのは難しい感じ。

この話はまた別の機会に譲るとして…


ところで紙と布の共通点はなんでしょう?

…それは、どちらも平面ということ。

切ったり折ったりすれば
どちらも共に、立体化が可能

紙は細かくした植物の繊維を重ね合わせて
平らに仕上げる感じ?

布は獣毛や細かくした植物の繊維を
まずはよりあわせて糸にし、
その糸を縦横に織って平らに作ります。

布も紙も、繊維が太く短ければつなぎ目も増え
ゴワゴワと張りのある仕上がりに。

繊維が細く長ければしなやかなものに。


古事記が編纂されるような時代より前は
大麻は紙としてよりも布としての用途の方が
ずっと多かったんじゃないかなと、
よく知らないけれどそう想像しています。

衣服は古今東西老若男女、誰でも着ますが
「文字を書く」という行為は当時
官僚などのお役人さんだけだったろうと
なんとなくのそんな印象から。

古来、献上品目録に「紙」が残っているように
紙は本来、高級品。

材料を育てるところから始まって、
数多くの工程と、たくさんの人の手と時間、
それ相応の手間ひまをかけないと
創れないものだからこその高級品。

そうやって生み出され創り上げられた
紙は神聖なものでもあったのだろうと思います。

中でも大麻は浄め祓いの力が強力。(シランケド)

今でも神社さんの鈴の緒は
大麻が用いられていることが多いです。

栽培のハードルが高いことから国産品は高価で
最近では合成繊維製のものも増えましたが…。

麻製の鈴の緒

古来より、お詣りして鈴の緒を振れば、人は
その都度ケガレを祓い落としてもらえる仕組み。

そしてまた、カミは火と水ともよく言われます。

カ=火、ミ=水。

「紙」もまた、読んで字の如く
火と水から創り上げられるもの。

カミは紙に通じ、紙は神に通じるのかも。
ふとそんなことが浮かびました。

だから、リターン品の中に

「かみそノまもりがみ」

なるものが含まれているのかも。

いや、違うか…
でも単なる偶然ではない気がしました。

応援してくださる方
一人一人が「まもりがみ」ということだそう。

神は外にいるのではなく
内なる存在であるという考えにも通じます。

私たち一人一人が実はご大切な、カミなる存在。

火と水の間に我=ガ、があるから
神社での拝殿正面にあるのはカガミ、
つまり、御神鏡という説もありますね。

今でこそ御守は錦の布袋で授けられたりしますが
昔は紙だけでできていました。

こんな感じ。
シンプルですね。

このこんぴらさんの御守は
いつ頃のものかわからないのですが
少なくとも昭和初期より前のものと思われます。

|ほんとうの問題

このクラウドファンディングでは
90歳を超えてなお
和紙の原料となるこうぞ栽培を支える
筒井さんとおっしゃる方の畑の
維持管理費を募っています。

パッと見、

(え?個人の畑の維持管理費?)

と思う方もあるかもしれません。


私はまだここに伺ったことも
皆様にお会いしたこともございません。

ただ、ここ2年ほどで同じ四国の山間部を
いくつか巡る機会を得ました。

そうして里山の様子や
険しい山間部での暮らしをこの目で見、
耳で聴き、五感で感じた経験から、
これは実のところ
筒井さんという個人の方のためでは
決してないのだということがわかります。

個人の問題でもなければ
この吾北ごほく地区だけの問題でもなく、
高知県、四国、だけの問題でもありません。

日本という国の、都市部ではないあちこちで。

便利さあふれる都市部に住まう、私も含めた
大勢の人たちの陰で
淡々と、ただひたむきに
伝統を守り続けてくださっていることの
有り難さ、尊さというものに
ほんの少し意識を向けると
違う風景が見えてきます。

実はどこにでも起こり得る問題であり
気づかないだけで静かに全国的に広がっている、
そんなちょっと重大な問題でさえあるような…。

今からどうにかしないと
将来にわたって影を落とすであろう問題の
ほんの一端を見せられたような気がしています。


過疎、高齢化、限界集落。

人の手が入らなくなり荒れる里山。

崩れゆく生態系のバランス。

そこへ入り込む、共生型には程遠い海外資本。

絶たれる伝統。

継承されずに消えてゆく、その土地固有の文化。

一度断たれてしまった技術や経験知は
取り返しがつかないことが、ままあります。


もう、どうしようもないのでしょうか?

これらの問題は、無力感や手遅れ感から

「このままでもしかたがない」

そんなふうに諦めていいことなのだろうかと
私個人は疑問に思っています。

かといって、一人の力でできることはごく僅か。

それでもこうして書くことで、
読んでくださったお一人お一人が
ほんの少しずつでも意識を向けてくだされば。

誰の上にも関係する問題だと思って、
もう一人、別の方にもお話をして
広めたりしてくだされば。

まだ間に合うのではないか…

そんな希望も持っています。

|さつまいも畑の異変

先日、サツマイモの品種のひとつ
鳴門金時なるときんときで有名な鳴門市に行きました。

鳴門金時のオブジェ(道の駅くるくるなると)

この時期はサツマイモの苗の植えこみが
それぞれの畑で始まったばかりな様子。

遠くに見えるは淡路島

スマホなどでご覧の方には
写真が見にくいかもしれませんが。

写真下部に見える黒い筋状の部分は、
マルチシートと呼ばれる農業資材で覆われた、
苗の植え付けを待つサツマイモ畑。

その左奥で白っぽく見えるのはたぶん、
植えつけたばかりで遮光のため
新聞紙?で保護されたサツマイモ畑。

さらにその続きのところには、苗が根づいて
緑濃くなったサツマイモ畑も見えています。

こののどかな風景の中で
すかさず私の目を引いたのは、
茶色のグラウンド左上の区画。

縦方向に見える芋畑のうねとは異なり
横方向にずらりと並んだソーラーパネル群。

おそらくもとは周りと同じ
鳴門金時の畑だったに違いないであろう区画。

苦手なのでつい目につくせいもあるのでしょうが
どこか出かけるたびにソーラーパネルの設置は
山間部を中心に増えている気がしています。

この頃はこうした平地でさえも
新たに見かけることが急に増えました。

そこは耕作放棄地であったり、
不便な場所であったり。

過疎地であったり、
売買しても安い値段で買い叩かれがちな場所。

たとえば川土手の少し低くなった土地とか、
海岸沿いの、宅地には適さない砂地の土地とか。

うーんんん…

たしかに二酸化炭素の量だけ見れば
クリーンなエネルギーかもしらんけど…

パネルの耐用年数過ぎたあとどうするんやろ…

全部がゴミになるよねぇ…

もし台風来たら海へ川へ流される場所やし…

地球には還らない優しくない素材よねぇ…

電気無いとスマホも使えないとか困るし
電気が大事なのは私もやけどさぁ…

本末転倒ってこういうことじゃないん…

電気が無いとほんとに暮らせないんやろか…
(ミミコココロノコエ)

日本のとある会社が、
持ち運び可能な原子力発電装置、
小型原子炉とかいうモノを実用化に向けて
目下、研究開発中というニュースを
昨年の暮れ頃だったかに目にしました。

私自身が疑い深い慎重な性質なので
安心安全と言われても今ひとつ信じられず。

しかし二酸化炭素もダメ、原子力もダメとなると
いっそもう、電気を使わないでも済むような
昔の暮らししかないのでしょうか…。

|もしもの話

「もしもの話はするでない!」

とはよく耳にすることば。
(え?)

仮定の話をいくらしたところで
建設的な議論には至らないことが多いです。

でもちょっと、想像してみてください。

高齢を理由に、
あるいは山の暮らしの不便さを理由に、
和紙の原料となる楮の山が手放され、
誰も手入れをしなくなった里山を。

人の手が入らなくなれば、
山は途端にスピードを上げて
本来の荒々しい自然の姿へと
戻ろう戻ろうとします。

シカやイノシシなどの野生動物による
農作物の食害が増えているのは、一説には
里山の手入れがされなくなったために
人と野生動物それぞれの生活圏の境目で
緩衝地帯となっていた
わかりやすいゾーンが消えてしまうためとも。

生息域の境界線が曖昧になった結果、
人里に動物が容易に近づけてしまうからとも
聞いたことがあります。

荒れた里山、獣害の多い土地では
人もやがて離れていくだけでなく
新たな人材の流入も見込めません。

もしも、そこを狙って海外資本が
土地や水源を買い占めに来たら。

もしも、買い占めた土地に
メガソーラーの建設なんてされたら。

元々いた人たちに水を使わせない!
なんて。
もしも、そんなことを言い始めたら。

幾代にもわたって耕されてきたり
手入れがされてきた畑や樹々など
豊かな土地はあっという間に失われ、
電気を大量に必要とする人は
まず居ないような土地なのに、
後に残るのはコンクリートの台座と
不細工で眩しいソーラーパネルの数々。


それは私たちが見たい風景でしょうか。


私たちが望む未来でしょうか。


30年後の子供たちに残したい景色でしょうか。


不便極まりなくともこうして集落に住まい、
協力しあって土地を、
伝統を守ってくださる方々があることの、
当たり前では決してない、有り難さ。

全国各地にまだたくさんのこうした土地や
このような市井の人々がいらっしゃること、
想像に難くありません。

土の大切さについては
繰り返しお伝えしてきました。

豊かな土壌・豊かな土地にするには
気の遠くなるような時間が必要。

それを壊したり穢したりするのはほんの一瞬。

水にしても、同じこと。

こうした一部の方々にのみ
負担を強いるのではなく
一人一人の強い思いと少しの工夫、
ちょっとばかりの助け合いで
将来にわたって豊かな土地の恵みを
どの子供たちにも残せるように。

また、
ギリギリのところで踏ん張っているであろう
地球というこの星が失われてしまわないように。

そんなことも頭に浮かんだりしました。

とはいえ
小難しいことは傍に置いておいて…

百聞は一見に如かず。

この地の温かい人々の手を経た楮で
精魂込めて漉きあげられる、
そんな波動の細やかな
本物の和紙を実際にお手に取ることができる
またとない機会と思います。

当地四国の豊かなエネルギーも
身近に感じられるかもしれません。

紙もまた、植物からの愛の一形態。

クラウドファンディングに間に合えば
ぜひ癒されてみてはと思います。

間に合わなかった方も
『明日をへぐる』という
ドキュメンタリー映画があるそうです。

DVDもあるそうですが
お近くで上映のある際には、ぜひ。


それでは最後までのお付き合い、
ありがとうございました。

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