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遠く離れて(3)

こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。

これは私自身を癒すためのアウトプットです。
「喪の仕事」と呼んでよいものかもしれません。

よろしければご覧くださいませ。

ひとつ前の記事はこちらです。

|動物病院で

そうこうしているうち、夫の携帯電話に
一軒の動物病院から比較的すぐに
折り返しの着信がありました。

そこは全く行ったことがないけれど、
地元の中学生がかつて職場体験学習で
お世話になっていた動物病院。

普段は意識にも上らなかったのに、
思いがけず頭に浮かんだところでした。

こういう非常時というのは
余計な思考が出るスキがなかったりして
インスピレーションが冴えていたりします。

なんの確信もないのになんとなくの確信を以て、
そこへすぐに連絡してくれるよう
早い段階で夫に頼んでいました。

ただ、最初の架電時はここも留守番電話でした。

メッセージは残さなかったと聞いた私は
その病院に再度かけてメッセージを
残してくれるように強く迫りました。
そんな態度にムッとすることもなく
すぐにかけ直して留守番電話に吹き込んでくれ
ほどなく連絡をいただけたと記憶しています。

大急ぎで車を出してそちらへ移動すると
離れたところからも灯りが点いて見え、
スタッフの方々3〜4名が既に診察衣で
待機してくださっていました。

動物病院に着いてこんなに安堵したこと、
ありがたいと思ったことはありませんでした。

このご時世です。

感染症のリスクもある中で
一度も受診したことのないものを
夜間の、しかも時間外にこころよく受け入れて
体温測定もアルコール消毒も求めず
玄関をくぐって猫を受け取るやいなや、
すぐに奥の診療台へ運んでくださいました。

その間、処置の様子が見える場所で
別のスタッフさんが丁寧に到着までの経緯を
聞き出し、その間ずっと診療台までの視界は
遮られることはありませんでした。

話しながらも処置の様子を気にしていたとき、
心電計の画面に、乱れた波形が見えました。

(あっ… 生きて、る?)

しかしそれは計測コードを付けた一瞬のこと。

すぐに心電計の波は平坦な線になり
無情なアラームの機械音が鳴り響きました。

(T-T)ブワッ

現実を見、再び涙があふれます。

猫の体からは赤や青のコードが伸びていました。

夜間時間外に診てもらっておきながら
平坦な線形とその姿を目にした私は、反射的に
これ以上もうなにもしないでほしいと
身勝手なお願いを口にしていました。

大の大人、それもプロフェッショナルを複数人
時間外に呼び出して動かしておきながら
もうなにもしなくていいとは、口にしながら
自分でもこんな失礼なことはないだろうと、
どこまで自分は傲慢なのか…と思いました。


ただ、おそらくもうそれ以上は
尽くせる手もなかったとは思います。

繰り返し繰り返しお願いする私に気を遣い
スタッフさんはすぐにコードを外し

「消毒にアルコール使ったので、それだけ今から拭きとりますね」

と、心電計のコードを装着していた部分を
そっとこちらに見せてくださいました。
つんと鼻をつくエタノールの匂いがして
あぁ、いつもの猫の匂いが消えてしまう…
そんな不安をほんの少し覚えました。

そのことにも気がつかれたのか、
拭き取れば、被毛はしばらくしたら乾いて
元通りになりますから、と説明がありました。

こんな夜間に、こんな非常識な私に、
なんと濃やかな気遣いをいただけるのか、と
心底ありがたく、見つかった動物病院が、
最後が、ここでよかったと思いました。

寒さのせいもあってかどうか
私は到着したとき体が震えていました。
グラウンディングもセンタリングも無く、
口からタマシイがスコン、と飛び出して
完全に身体からはお留守の状態。

あっさり地から足が浮いてしまった。

そう知りながらも
自分ではどうすることもできませんでした。

放心状態に近い精神状態ながら、
どこか冷静に自分を見ている部分もあり

(グラウンディング弱いやんか…)

(まだまだ修行が足りんな…)

などと考えてもいました。

|定義上の死

死亡を示す機械音が聞こえた直後から、私は
すぐにでもコードを外してほしい
もうこれ以上なにもしないでほしい
もうこれ以上誰にも触れないでほしい
一刻も早くこの手に抱きたいと思いました。

なかなか手元に戻らない猫を待つ間
再三再四「もうなにもしなくていいです」と
言い続けていました。

そんな焦りと執着がすごかったのは
冷静になって後から振り返ってわかること。

スタッフさんも、側で様子を見ていた夫も、
誰一人そんな私を咎めるでも諌めるでもなく
誰もが静かに私と猫にとっての最善はなにかに
思いを馳せて動いてくださっていたのでした。

これを人の愛といわずしてなんというのか。

これぞ思いやりと感じた、後から後から
じわじわと沁み込むような温かさでした。


先生に招き入れられて診療台近くまで行くと
これが…と心エコーの画面を見せられました。


もう、なにをどう言われたかは覚えていません。


ただ、慎重に丁重に、言葉を選びながら
よく説明してくださった、そんな印象だけが
強く残りました。

説明があるより先に、私の方から次々に
質問していたかもしれません。

誠実に答えてくださった、
こちらの話を聴いてくださった、という
安堵感とありがたさも記憶に残っています。

蘇生が難しいのであれば
もうなにもしてほしくないこと。
(しつこい)

こうした突然死はよくあることなのか。

誤食誤飲や中毒の可能性について。

死後硬直はどのくらいで始まるのか。

獣医さんは
「気道確保の挿管はすんなりできたのですが
エコーで見ると心臓がギュッと固くなっていて…
ここまでになるともう…」

と言われた気がします。

ここまでなると蘇生は難しいと思われること。

こうした突然死は残念ながら
猫にはときどきあること。

年齢的にも、過去の病歴からも、もしかすると
もともと心臓がそれほど強い子ではなかったのかもしれないということ。

誤飲や誤食があれば嘔吐するはずなので
そうではないということ。

死後30分ほどで硬直が始まること。


そんな、おそらくこれまで何百回と
繰り返し説明してこられたと同じことを、
まるで今日初めて人に説明するかのように
親切に丁寧に教えてくださったのでした。

不躾な質問にもひとつひとつ、丁寧に。

実質的な死亡宣告と同じことでありながら、
納得のいく説明が聞けたと感じたことで
どこかホッとした部分もありました。

|救い

獣医さんはもとよりスタッフさんたち皆様の
思いやりや優しさに加え、私にとって
もうひとつ救いだったのは、
獣医さんが断言してくださったことと
逆に断言しなかったことについてでした。

ハッキリと断言してくださったことは、
「誤飲誤食ではない」点。

この日、夫が持ち帰った稲穂に
農薬でもかかっていたのではないか、
同じく持ち帰ったバレンタインの義理チョコが
なんらかの経緯で猫の口に入ったのではないか?
ベッドの上で倒れた猫を目のあたりしたとき、
私が第一発見者の夫に対して、うっかり
いの一番にそんなことを訊ねてしまったため、
子供はまだその可能性を疑っていました。

犬や猫にとってチョコレートは毒です。

また、残留農薬が人には基準内であったとしても
体の小さな猫には命取りになることもあります。

それらの可能性をプロの獣医さんから
ハッキリ否定されたことで安心しました。

もう一点の断言は
「突然死はあり得る」ということ。

数々の症例を見てこられたプロの獣医さんが
おっしゃるのだから、これはやはり
いたしかたないことだったのかもしれない、
いつか子供がそう理解してくれるといいなという
私の勝手な願いがありました。


一方で、断言しなかったのは

蘇生は難しいと“思われる”、との言。

これは、万が一飼い主が蘇生術を希望すれば
施すこともやぶさかでないという、
含みのある表現でした。

私は別に蘇生術を否定するものではありません。
場合によっては期待できることもあり
当然、可能性のある処置のひとつだと思います。

ただ、うちの場合はもうそれは必要なかった。
それだけのことですが、それでもなお
“思われる”という含みを持った表現には

「飼い主さんが後悔の念を残さないように」

という、そんな深い配慮が感じられたのでした。

それは決してお金目的ではなく、シンプルに
飼い主への純粋な思いやりから出た言葉だと
瞬間的に感じとれるほど、この動物病院では
スタッフ皆様の態度が一致していました。

|エゴ

飼養動物や愛玩動物といった呼び名から、
今やさらに格上げされて
“伴侶”動物と呼ばれるまでになった
犬や猫、鳥や爬虫類といった生きものたち。

その喪失が人に与える衝撃や影響というものは
私たちが普段想像する以上のものがあります。

保険診療の病名としては認められていませんが
ひと昔ほど前から、伴侶動物を亡くされた方が
長く立ち直れないまま生活に支障をきたす状態は
「ペットロス症候群」と名づけられ、
対応策などの研究も一部でなされているほど。

人にとっては大変な喪失感を伴う死別ですが
一方で、こうした生きものたちにとっては
死は悲しいことでも寂しいことでもありません。

なぜそんなことを言い切れるのかについては
また後日記したいと思いますが、
悲しいもの、寂しいものと思うのは人間の側。
ましてや“かわいそう”などと思うのは
まさに人のエゴのなせるわざ。

飼いたい、救いたい、こうしてやりたい、
なんとしてでも生きてほしい…。

愛猫の死を通し、私は自分自身がエゴの塊で
どこまでも傲慢なのだとあらためて気づきます。

我が身をもって痛いほどに思い知った、
このエゴという厄介なもの。
エゴそのものは善い悪いではなくニュートラル。
ごく中立なものだと思います。

エゴがあるからこその人間かも、とも思います。

この“エゴ”という言葉を聞いたことはあっても、
実は私にはよくわかってはいませんでした。

今回、この猫の死に直面して初めて

あぁこれのことか…これこそエゴだわ…

と腑に落ちました。

読んでくださってありがとうございます。
この続きはこちらです。

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