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遠く離れて(5)

こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。

『遠く離れて』と題して綴ってきたこの一連の記事は、私自身を癒すために始めたアウトプットでした。

ひとつ前の記事はこちらです。

この(4)の記事を書いた頃から次々に内面での変化がありました。
そのため、今回で一旦このお話はお仕舞いにしようと思います。
いえ、そうは思いましたが書き始めるとやっぱり長くなったので、さらにもう1〜2回続くかもしれません。

愛猫の死を通して私自身の我欲=エゴ、と、執着というものに気がつき、これらがどういうものであるか、身をもって知るという体験をしました。

また、自身の癒しのためにアウトプットしたことで、こうした執着やエゴ、悲しみのエネルギーがいかに重いかについても思い至りました。

この重いものを読んで私の浄化にお付き合いくださった皆様に心からお礼申し上げます。読んでくださりありがとうございます。

よろしければ、最後に今しばらくお付き合いくださいませ。

|眠れない夜

ある日突然、あちらの世界に還ってしまった猫。
なきがらを抱いて帰ったその夜は、なかなか寝付けませんでした。

それは子供も同じ。

深夜、私が別室で作業をしていると遠慮がちにドアを叩く音がして、聞きたいことがあると言われました。
それは、本当に他に尽くせる手がなかったのか、また、最後にベッドで猫が発見されるに至った状況や、動物病院でどのようなことがあったのか、中毒の可能性や、突然死を防ぐ手はなかったのか、確かそのようなことごとをポツリポツリと訊ねてきたと思います。

この子供が、ここまで私に近づいて口を開くのは何年振りだろうかと、そんなことをぼんやり考えながら、なるべく細かく正確に、誠実に答えようと思いました。しかし私の心中には「責められないように」とか「責められたくない」という恐れの心があり、身構えての説明になっていたと思います。

部屋の入り口に立ったまま、静かに涙を流しながら聴き入る子供。

途中口を挟むこともなく、最後にただ一言
「ありがとう」
と言い残し、自室へと戻っていきました。
その姿に、心臓が締め付けられるようでした。

このときされた質問と同じ問いはこれ以来、ただの一度もされていません。

寝つけないながらも体を休めようと横になりましたが、いつもいるはずの猫が、昨夜はいた猫が今はもう傍らに居ないのだとあらためて寂しさに襲われ、猫の居ない布団の冷たさもあって、泣けて泣けてしかたありませんでした。
片や、動物病院から帰宅後、ひと段落したのを見届けたあとはいつもと変わらない様子でスヤスヤと寝ている夫。

気が抜けない長時間勤務の後、さらに長距離を運転して帰ってきて、その後にこんな突然のドタバタがあれば相当疲れているだろうことは想像に難くありません。それでも私には「えぇ…っ…」という思いもありました。

私と子供がしばらく食事が摂れないほど悲しみにくれていた頃も、彼はいつもと変わらず食事をし、他の面でもいつもと同じ生活リズムで全く変わった様子はありません。
ふと、「この人は私が死んでもこんな感じなのだろうか」という思いが頭をよぎります。悲しみを共有できない、共感されない気がしたことで、神経が昂っていた私は苛立ちさえ覚えました。そして、そんな自分に驚きました。

…じゃあ私は夫にどうしてほしいのか?

…一緒に悲しんでどんより沈んでいてほしいのか?

いやいや私と子供だけでなく夫まで沈んでしまったらみんな浮き上がれなくなる…そう、これでいいんや…

いちいちこんなことを考えてみないとわからないほどに、自分自身が混乱していたとも言えます。

こうした「多様性」がない集団は環境変化に弱いので、自然界ではなるべく多様性を保とうと、種の保存(どんな生物も絶滅させないように)ということが声高に言われています。
大小の違いはあれど、自然界も家庭も同じなんだなと思ったことでした。

|野辺の送り

一夜明けた翌朝、火葬の手配をしました。
市営の動物専用炉は収骨をするなら3日後でないと空きがないとのことでした。民間のペット葬儀業者さんであればいつでも可能なようです。

伴侶動物を火葬すること自体、昔の田舎では珍しいことで、私も大人になるまでしたことがありませんでした。大人になってからも、火葬はしても収骨はかえって辛いので、したことがありませんでした。

しかし、この少し前、立て続けに印象深い出来事を経験していました。

一つは、Instagramでフォローしていた方の投稿に、突然その方の飼い猫の、ぼかしも何もない亡骸の写真と火葬後の写真が上げられたこと。なんでこんな写真をわざわざ投稿するのだろうかと思いつつ、初めて目にする火葬後の猫のお骨が強烈な印象として残りました。

もう一つは、昨年暮れに猫と暮らせる家を探していて、オーナーさん居住中のお部屋を内覧させていただいた時のこと。
いざお部屋に入ると、リビングにある祭壇にはずらりと並ぶ小さな骨壷。
その数10を越えていたと思います。また、急なことだったので敷きっぱなしで…と移動させてくださったオーナーさんの寝具の中からも小さな骨壷が3つ4つ出てきました。
とても可愛がっておられたのだろうとは思いましたが、さすがにこれだけの数の骨壷となると何年もこのまま一緒に暮らしてらっしゃると想像がつき、早いうちに自然に還すのが最善と考える私とは違うなぁと、とても印象深くて覚えていました。

どちらも記憶にまだ新しく、これもまた予め「見せられた」ということだったのかもしれないなと思っています。

子供の希望も聞いたものの「わからない」とのことで、結局はまた私がこうするのがいいだろうと「決めつけ」て、3日待って市営炉で荼毘に伏すことにしました。

3日というのは長いです。
私としては、抜け殻となった猫の身体が傷むかどうかという、実にギリギリのラインだろうと考えていました。

できれば寝ているのと変わらない、この姿のままでいてほしい。
なんとなく、根拠なくそれは叶うのではないかと思いました。
まだ真冬並みに寒かった上、寒波も来ていました。

子供はそんななか暖房もつけず、ずっと棺に寄り添っていました。

それでもしきりと保冷強化を勧めてくる夫との間で、私はまた小さな感情のズレを感じていました。これまでの私であればかなり荒れたであろうズレでしたが、しばらくよく思慮したのち、夫の勧めに従うことにしました。

生まれて初めて大切なものの具体的な「死」を経験している子供にとって、こうした現実的な面は気の毒ではありましたが、綺麗事ばかりではない世の中。これもやむなしと近所の葬儀社に電話をし、ドライアイスを分けていただけないか問い合わせました。
結果、大変よくしてくださり、お悔やみの言葉からドライアイスの使用に関するアドバイスに至るまでお気遣いの数々をいただいて、こんなにありがたいことはないなと思いました。

おかげでいつもとなんら変わらぬ寝たままの姿で、無事に野辺の送りができました。

この、野辺送りの日。
受付を済ませた後、車で動物炉まで行って棺を預け、再び控え場所まで車で戻ります。控え室に入ろうと車を降りたほんの一瞬。

香ばしい匂いがしました。

煙は見えないけれど、あぁ…これ副葬品のカリカリ(キャットフード)やおやつが焼けた匂いだと思いました。私のほかは誰も気がつかなかったようです。
あらためてたまらなく寂しさを覚えたけれど、以前記事にした鹿ちゃんのことを思い出していました。今にして思えばこの鹿との出会いも、この別れの日のための伏線であったのかとも思えます。

また、猫と私は別々の存在から、物理的には再び一つになったとも思いました。

|悲しみの沼

実は私自身は猫が急死した日の深夜、アニマルコミュニケーターとしては活動されていないけれども動物とお話ができる方から、今回の猫の死についてのお話も聞かせていただいていました。

それに、私に初めてフラワーエッセンスを調合してくださった方のお宅のワンコさんも一足先に星に還っていったのを知っていたこともあり、当初、そこまでの不安定感や悲しみは私にはありませんでした。

もちろん猫がなぜ急に逝ってしまったか、お話を伺うまでは悲しみと混乱あるのみでしたが、お話を伺って得心がいき、もう猫の身体に触れられない寂しさはあるものの

「まぁ仕方がないか…いつでも呼べば来てくれるし…見えんけど…」

という諦めの気持ちの方が大きかったのです。

では、なぜ一ヶ月以上も悲しみの沼に落ち、引きずっていたのか。

一つには、子供の悲しみに深く同調してしまったことがあります。

夫はいつもと変わらないので(夫が悲しみの沼に引き込まれては家庭が成り立たないのでそれはいいことなのですが)、私は子供の深い悲しみに寄り添いたいと思ってしまったのでした。自らうっかり丸腰で沼にハマりに行くスタイル。

もう一つ、先に触れたフラワーエッセンスの先輩のブログを拝見していたので、死別の悲しみにどのエッセンスを摂ればいいかということはわかっていました。
非常時用のエッセンスはフラワーエッセンスのカウンセラーさんであれば、ほぼ必ずと言っていいほど常備してもいて、私も手元に持っています。

https://blog.goo.ne.jp/faerygarden/e/c3b95f1f3f25ceda98a463a7f59b5034

しかし今回、私はあえてフラワーエッセンスを使わないことにしました。

フラワーエッセンスを使うと、大きく揺さぶられた感情も、次第にスーッと海が凪ぐように穏やかになっていきます。
悲しいとか寂しいという感情が消えるわけではないけれど振れ幅が緩やかになり、いつしかこれもやむなし、自然の理だと受け容れることができるようになります。

この先もおそらく一生フラワーエッセンスを使い続けるであろう私。
エッセンスで感情が整うと、もうここまでの深い悲しみの感情というのは味わいたくとも味わうことはできなくなるかもしれない。

しかも、もうこの次にまた猫と暮らせるかどうかもわからない。

ならば。
最後になるかもしれないこのひどく辛い感情を、肉体がなければ味わえない感情を、味わおう・感じきってみよう…と考えたのでした。
なんでそんなことを考えたのか今となってはわかりません。
そのくらい精神的に混乱していたのかもしれません。

読んでくださってありがとうございます。
この続きはこちらです。

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