フジファブリックには、信じられるなにかがある。
2019年夏、フェスでフジファブリックのライブを見た。
鳴り響く重厚なバンドサウンド。それでいてゆるゆるなMC。
このギャップが、フジファブリックの魅力。
MCで、ギターボーカル・山内総一郎が言った。
「僕たちは絶対に解散しないバンドです」
この言葉を、わたしはにわかに信じることができなかった。
「絶対」なんて、ないと思っていたから。
その日のラストに演奏された「若者のすべて」。
言葉が信じられなかったからか、名曲だからなのか、夕方の雰囲気とあいまったからなのか。
なぜだかわからないけれど、涙が出た。
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絶対。ぜったい。
それはとてもとても強くて、儚くて脆い言葉。
「絶対また連絡するからね!」
「絶対会えるよ!」
そう言って叶わなかったこと、何度あるだろうか。口で交わした次なる約束は、どれだけふいにされただろう。どれだけふいにしただろう。
「絶対にできます!」
「わたしが絶対にやってみせます!」
なんて言って実際にできなかったら、どんなふうに言われるか。あいつはだめなやつだ、約束を守れないやつだ。評価は地に落ちる。そんなのいやだ。
断言することができない。自分に自信を持てなくなっていた。なにもできない無能なんだと、自分で自分を卑下してしまう。
いつからだろう。
絶対なんて、ないと思っていた。
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わたしは中学生の頃、軽音楽部でキーボードを担当していた。
所属していた軽音楽部は、固定のバンドは組まず、ライブで演奏する曲をまず決め、曲ごとにパートに人を割り当てるスタイルだった。当時はバンプやアジカンといった4ピースバンド全盛期。みんなそういう曲ばかりやりたがる。
しかしキーボード担当だったわたしは、バンプやアジカンを演奏することができなかった。ボーカルも、事前に歌の審査があり合格した人のみが担当できる選抜制だったため、歌のうまくない自分の出る幕はなかった。本当はドラムがやりたかったのに、入部時のパート決めじゃんけんで負けたから、キーボード。入部したときの運がちょっと悪かっただけで、みんなの流行りの曲に参加できない。やりきれない思いでいっぱいだった。
中学2年生の冬。CDショップでなにげなく聴いたアルバム。フジファブリック『TEENAGER』。
キーボード・金澤ダイスケが操る、縦横無尽に暴れ回る、時にダークで、時にポップな、キーボードのサウンド。一音一音丁寧に刻まれるピアノ。瞬時にしてわたしの目標は決まった。
こんな演奏がしたい。
それからたくさんたくさんこのアルバムを聴いた。
ダイちゃんみたいになりたかった。
中学生だからさすがに同じ機材は買えないけれど、必死に音を近づけてみようと手持ちの機材で音作りをしたり。「若者のすべて」のピアノを完璧に弾きたくて、何度も練習したり。
フジファブリックというバンドが、本当に大好きだった。
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しかしその「大好き」は、突然のできごとで崩れ去りかける。
2009年のクリスマス。
ボーカル志村正彦の訃報。
志村正彦の声という「絶対」が、なくなってしまった。
絶対なんて、この世にないんだ。
当時高校1年生のわたしは、部屋でひとり、思いっきり泣いた。もう志村の生の歌声を聴くことはできない。これから志村が作る新曲は聴くことができない。こんなにも悲しいクリスマスは、わたしの人生の中で、後にも先にもない。あってほしくない。
絶対的存在を失ったフジファブリックは、このままなくなってしまうのではないか。
不安でしかなかった。
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2010年8月、フジファブリックのアルバム『MUSIC』がリリースされる。
このアルバムには志村が遺した音源や曲をもとに作られた志村ボーカル曲のほかに、ギター担当だった山内がボーカルを務める曲が2曲収録されている。
そのうちのひとつ、「会いに」。この曲は歌詞も音源もほぼ残されていなかったそうだ。そのためベースの加藤慎一が歌詞の大半を作詞し、ギターの山内総一郎がボーカルをとっている。志村以外のメンバーが作詞とボーカルを担当するのは、これが初めてのことだった。
このバンドは続くのかもしれない。
一度は崩れかけたものが、また見えてきた。
その後、フジファブリックは再始動を宣言する。
山内を正式にボーカルに据え、新たな歴史を刻み始めた。
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あの日からもうすぐ10年が経つ。
月日が流れ、16歳の高校生だったわたしは26歳の社会人になった。
山内のボーカルはすっかり馴染み、気づけば山内がボーカルをとる時代のほうが長くなった。メンバー3人全員が作詞も作曲も行うようになり、多彩な楽曲を世に送り出している。フジファブリックは、今も進化し続けている。
それでも志村正彦という存在は、絶対的で永遠。いつだって決して忘れることはない。
ライブでは何度も志村の存在に言及されているし、志村ボーカル曲をライブで演奏するときは山内が歌い方を少し変えている(気がする)。今年8月にリリースされたベストアルバムも、志村ボーカル曲はすべて志村の声のままで収録されている。つまり、志村ボーカル曲を山内の声で聴くことができるのは、ライブとその音源だけ。
志村がいなくなったあとにフジファブリックを知った人にも、彼の存在が届くように。
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2019年10月20日、大阪城ホール。
フジファブリック、メジャーデビュー15周年ライブ。大阪は山内の地元であり、山内は大阪城ホールでライブをすることをずっと望んでいた。
「総くん、おかえり!」
開演前から、会場には暖かい雰囲気が広がっていた。
夕方5時、開演。
中学生のころ何度も何度も、擦り切れるぐらいに聴いて、そして練習したあのピアノのイントロからライブは始まった。
大切なライブの1曲目は「若者のすべて」。終盤に演奏されることが多いこの曲を、彼らは1曲目にもってきた。その不意打ちに、また涙がこぼれた。
この日のライブでは、曲披露後やMCの途中での拍手が、特に長いように感じた。冗長なわけじゃなくて、とても暖かい拍手。「ありがとう」というファンの感謝を届けるような、そんな拍手だった。
フジファブリックは暖かいバンドだ。だからこそ、ファンも優しくて暖かい。
大事なところで噛んでしまったり、あらぬ方向に脱線してしまったり、いつも通りのゆるゆるなMCの中、山内は力強くまた、こう言った。
「僕らは絶対に解散しないバンドです」
そうか。
これはフジファブリックだからこそ、言える言葉なんだ。
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絶対なんて、ないと思っていた。
けれど、フジファブリックだからこそ、絶対に解散しないって言いきれる。
なぜならそこには、彼らが作り上げてきた、磐石な基盤があるから。メジャーデビューして15年、喜びも悲しみも、転機も危機も、すべて味わい、乗り越えて、進化し続けてきた。
その姿はとてもかっこよくて、それでいてとても暖かくて優しい。
フジファブリックの言う「絶対」なら、信じられる。
2020年のツアーも発表された。これからまだまだ進み続けるフジファブリックを、わたしはずっと、そして絶対に、応援し続ける。
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