君を好きな以上に僕が好きな俺

自分の属性に「スピッツファン」というのが加わってから20年経った。

スピッツが好きな理由は色々あるけど、他と違うなぁと思うのは、私は歌詞についてが多い。単語の使い方とか比喩表現とかの手法もそうだし、こんな風にものを見るのか、こんな部分に光をあてるのか、なんでこんな気持ちがわかるんだ、なんてぴったりな言葉を見つけたんだ、みたいな感嘆と畏怖の念をよく抱く。日常とは離れた世界、だけど自分のどこかで接した覚えのある世界を歌ってるのが素敵だなと思う。それに、歌詞に描かれる「僕」「俺」が強い人間でないことや、隙だらけだったり独り善がりだったり、木を見て森を見ない感じが愛おしいと思った。
そういうのが中学1年生から20年続いた。あの視点がスピッツ(草野さん)の好きな部分のひとつで、邦楽ロックは他に色々聴きつつ、自分が聴く範囲(狭い)では、スピッツの歌詞を追った時ほどの感動を何年も味わえていなかった。

ところで、この1、2年で急に好きになったのがヒップホップの曲達、アーティスト達。全く別のところから足を踏み入れたジャンルで、ここまで深みにはまる予定じゃなかった。自分のことを話すと同時に、ヒップホップとはこういうもの、ということを話すアーティストが沢山いたので、「なるほど、自分のリアルを主に歌うんだな」と学んで、今まで聴いていた邦楽ロック、というかスピッツとは完全に違う聴き方をしていた。リンクするともさせようとも思ってなかった。

このツイートをした時点で既にDOTAMAファンではあったのだけど、曲を色々聴き込んでいるうちにstrike backの主人公が、スピッツでよく描かれる「僕」「俺」に近い人間じゃないかと思うようになってきた。
その内容は上のツイートでほとんど言ってるんだけど…。強い人間でないことや、隙だらけだったり独り善がりだったり、木を見て森を見ない感じ。の上で、自己愛!社会的地位も身体能力も特に高くないような、目立つタイプでもなさそうな男性(言い過ぎ?)が、受け身なのに強気の目線で「君」を見てるっていうのが、すごくいいと思えて。
曲全体で見れば、自分から行動したり待ったり色々してるし、もっと面白い考察ができるような気がする。でもこのフレーズが無性に好きで、凄く感動した。スピッツの歌詞を追った時の感覚と再会したのだった。
ヒップホップにもそういう視点での表現はあるんだ!ヒップホップというジャンルでそんな表現できるんだ!こんな人がいるんだと。
いや他にも先にも沢山あるのかも。でもここでこの感動を体験できたことは嬉しかった。

スピッツの草野さんは昔、自分が歌うのは僕と君の世界で、ラブソングしか書かないというようなことをどこかで話していた。今もそうなのかは明確にはわからないけど、スピッツの作品はほぼ、ラブソングと言って差し支えないと思う。沢山のラブソングの中で色んな「僕」や「俺」が浮かび上がってくる。
DOTAMAさんはstrike backについて、自分には珍しくド直球のラブソングだと言っていた。普段書かない、ラブソングだから見える「僕」「俺」のスタンスってあるのかもしれない。収録アルバム「DOTAMA & OLD MACHINE」について、この作品をつくった頃はテーマを色々模索していたとラジオで話していたし、ヒップホップ=リアルだからって、ヒップホップアーティストが歌う曲の主人公が全部、イコール本人だとは思ってないのだけど、この曲では、意図してかどうかわからないけどそういう人物像を表現してるDOTAMAさんについて、めちゃくちゃ興味が湧いたのだった。

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