見出し画像

小説トンデロリカ EP05「ダークネス」

■prologue

こんにちは。
はじめまして。
卵の中でまどろむ未来派チルドレンよ。
私からの餞別としてこのストーリーをお届けするね。
生まれてしばらくすると忘れちゃうと思うけど、一つ一つの細胞は覚えているはずだから、気にしないでね。

■chapter1

今日は校外学習……という名目の、遠足です。
私の街を流れる川を、川船で下っていくんです。
海まで出たら、そこで美味しい物を食べて、帰りは電車の予定。

「んん~。風が気持ちいい~」

船の縁に手をついて、ヨミやクラスの皆と笑い合う。
天気は快晴。
酔い止めも飲んだし、睡眠もバッチリ。
それになにより……。

「ほらほら、あんまり乗り出すと落ちちゃうよ」

小紗院(こさいん)先生の歯がキラリと光る。
小型の川船はクラスごとに乗船だから、つまり、こういうことなのだ。

「とは言え、実は僕もいささかはしゃいでいるんだ。何せ今日の為に船舶免許も取ってしまったからね。船長さんに万が一の事があっても心配いらないよ」

さすが先生~。
キュンときちゃう。

「ロリカ、お菓子シェアしようよ。私はバッタとザリガニと野草の素揚げ持ってきた。ロリカは?」

「さすがヨミ、しぶいね。私はね~」

背負っていたリュックを下ろし、口を開け……開け……開かない。
というか、ナイロン生地やファスナーに触れているはずなのに、手触りは全然違う。
ふぁさっと柔らかな、まるで獣の毛のような……。

「ま、まさか……」

私は、リュックのファスナーをグイグイ引っ張りながら呟いた。

リュックが、ジジッとノイズを走らせ、その真の姿を一瞬現した。

「そのまさかだ。愚か者め」

ファル君が、唇をグイグイ引っ張られながらそう言った。
つまり、ファル君がリュックに化けていたってこと!?
例の、「変わり身モード」で!

「いつまで経っても気付かんとは、心底飽きれたぞ。実戦だったら、お前の首が落ちるのは無論、暗殺者を基地に招きいれて全滅していたところだ。まったく貴様という奴は何度言っても……」

「え、え、じゃあ、私、ずっとファル君をおんぶしてたってわけ? じゃあお菓子は? お弁当は?」

「ロリカー。どしたの? あ」

「ヨ、ヨミ。えっと、こういう事みたいで……」

ヨミはため息をついて、クラスの皆には気付かれないように、背中で隠してくれた。
説教したがるファル君を黙らせる為に、ヨミの持ってきてくれたお菓子(?)を食べさせ続けた。
もう、まいったよ。


そんなこんながあったけど、川下りは楽しいものだった。

♪五時の目覚まし 各駅停車
 車内でニュースと 書き物を

 朝礼報告 つるし上げ
 無茶な約束 飲むほかない

 手袋作業じゃ 電話無理
 溜まるメールに テンプレ謝罪

 体ガタガタ 若くない
 疲れ取れない 眠れない

 欲しいものなど 特にない
 欲しいものなど 特にない♪

船のポンポン言うエンジンのビートに合わせて、皆で合唱したりして。

川岸を眺めるのも楽しかった。
川沿いのグラウンドでは少年たちがサッカーをしていた。

「ははは。どっちも頑張れー!」

小紗院先生が声援を送る。
私も嬉しくなって、

「きばれー! 負けるなー!」

なんて、いい加減な応援をする。

釣りをしているおじさんがニコニコしながら手を振ってきた。
こっちも振り返す。

まったくもって平和そのもの。

ファル君はと言えば、ホログラムでリュックの姿をキープしたまま、船縁に大人しく座っていた。
でも、船が通るそばで、川魚が時々お腹を見せて浮いてくる。
きっとファル君が暇つぶしに含み針で仕留めてるんだ。

■chapter2

しかし……。

「うわあ。すごい霧が出てきたねー」

あんなに晴れていたのに、いつの間にかもうもうと霧が立ち昇るエリアに来ていた。

「ここら辺は支流が合流するからかな」

「他のクラスの船も見えないね」

「なんか不気味ー」

ボボボ……と、船のエンジンが唸りを上げる。
こんな霧の中なのに、さらにパワーを上げるなんて、やっぱり船頭さんはプロだねえ。
なんて感心していたら。

「あれ、川を遡ってない?」

ヨミが言った。

その言葉に、皆で川面に目を凝らす。
確かに、船は流れに逆らって進んでいた。
しかも元来た筋を戻っているんじゃなくて、見覚えのない、グネグネした川を進んでいる。

どこかの支流に入っちゃったんじゃない!?
他のクラスの船もいないし!
はぐれちゃった!?
霧で迷子になっちゃったとか!?

「先生! 大変です!」

でも小紗院先生は落ち着いたものだった。

「心配ないよ。今日は校外学習だ。ちょうどいい、他の学区も見学してみよう」

いつの間にか霧ゾーンを抜けていた。
でも、空には灰色の雲が、重々しく垂れ込めていた。
さっきまであんなに晴れていたのに。

船が進むにつれ、川岸の模様も変わっていった。
整備された土手は減り、丈の高い葦が鬱蒼と茂り、草叢の向こうにはポツポツと団地が建っていた。

船はゆっくりゆっくりと川を遡っていく。
それでも、支流ではぐれてから、もう一時間くらいは経つだろうか。

もう隣の県に入っているはずだ。
地図の上では、私の街からも大した距離じゃない。
でも、微妙に交通の便が悪いから、滅多な事では行き来をしないんだ。
だから、隣の県とは言え、実はよく知らない。

土手の上の道を、中学生らしき自転車の集団が、私達の船と速度を合わせるようにして走っていた。
スポンサーステッカーをめちゃくちゃ雑多に貼り付けたヘルメットをかぶっている。

こっちに向かって何かを叫んでいるけど、妙に巻き舌で、何を言っているのか聞き取れない。
でも、それが凄まじい敵意を含んでいる事は分かる。

学区が違うだけで、県を跨いだだけで、まるで違う文化圏に迷い込んだみたい。

「源流に近付いているからね……」

小紗院先生が言った。

■chapter3

船は進む――。

少し平らな川原では、あちこちで煙が立ち昇っていた。
バーベキューをしているんだ。
ガチャガチャした服装の男女が大騒ぎをしている。
金色のネックレスが、焚き火の炎を反射してギラギラしていた。

どこかの学校のボート部だろうか。
屈強な男達が漕ぐ細長いボートが、凄い速度で通り過ぎていった。
メガホンで叫ぶ声は、まったく聞き取れない謎の言語だった。

土手には、昔の漫画に登場するような土管やドラム缶の類が多く見られるようになった。
そこでは太いズボンの改造学生服を着た変な髪型の集団が、しゃがみ込んで、ビニール袋を口に当ててスーハースーハーしていた。

風に乗って、やたらとバイクの音が聞こえてくる。

焚き火の数はますます増えていった。

「本を焼いているんだ」

先生がぽつりと言った。

パンパンと音がすると思ったら、川岸で子供達が花火で遊んでいた。
皆半裸で、全裸の子供もいる。
私達の船に気付いたのか、一斉にこっちを見る。

「うわ!?」

こっちにロケット花火を打ってきた!
それも、何十発も。
奇声を上げ、爆竹を投げつけてくる子もいる。

「なんて子達なの……。どうかしてるよ、絶対」

土手に沿って野犬が追いかけてくるが、飽きたのか、いつのまにかいなくなった。

向こうの葦の茂みで、カラスの群れがついばんでいるのは何の肉か。


船は進む――。

岸には大人の姿も多い。
ボロボロの服装をした県民が、こちらをじっと見つめてくる。
裾の千切れた服。膝が露わになったズボン。野球帽。
上半身裸の者も多い。
退色して、自然に溶け込みそうな服装だが、目だけがやけにギラギラと光っている。
剣呑な雰囲気……。

「彼らを刺激しないように。目を合わせないように」

小紗院先生が囁くように言った。

私達は恐怖を紛らわす為に歌を唄った。

♪残業はダメ 早く来い
 休日出勤 昼返上

 在宅業務は よりキツイ
 休み翌日 仕事倍♪

「皆、歌わないで。歯を見せると、彼らが興奮する」

一瞬で、皆は口をつぐんだ。

アヴさん小説05前半

■chapter4

「この土地もね、三年前までは綺麗な街だったんだ」

小紗院先生が目を細めて言った。

「三年前まで、競艇と競輪で潤っていた。ギャンブルの収益で街が潤うなんて都市伝説と言われていたが、実際にこの街は個人の税金も安かったし、インフラも整備されていた。街の美化や教育にも力を入れていた」

信じられない。

「しかし人権派弁護士出身の市長に変わってから、一変。ギャンブルを廃止したんだ。で、このざまだよ」

「賭け事を、廃止したから……」

「この街の背骨だったんだね。世の中は清濁合わせてバランスを取っているのさ。宇宙そのものがそうなんだ。マクロでもミクロでもね。人間の口の中にいったいどれだけの細菌が住んでいると思う? ま、そういうわけで、街の悪徳を引っこ抜こうとしたら、逆に体全部が腐ってしまったってところだろうね。まつりごとは崩壊さ」

土手の向こうにぼんやりと見える家屋は、ほとんどが半壊していた。
高層マンションらしきものも見えるが、あちこちの階から煙が上がっていた。
神々の墓標のようだ。
死の世界。

「でも、でもたったの三年で!?」

「三年は長いよ。赤ん坊が歩けるようになり、乙女がメスブタになる。だが、ギャンブル依存症はそう簡単に癒えるもんじゃない。ギャンブルは地下化し存続。単に税収がストップしただけだ。そして、ひたすら民度だけが下がった」

川岸で叫び声を上げていた一団が、川に飛び込んだ。

驚いていると、こちらに向かって泳いでくる!?

先頭を泳いできた一人が、船のへりに手をかけた。
ざばっと、汚れた川面からさらに汚れた顔を出す。
口を開けると、シンナーでまばらになった歯が見えた。

「うわあ!? 乗り込んでくる気だ!?」

悲鳴が上がる中で、

「皆、下がっていなさい。この! この!」

小紗院先生がオールを手にし、冷静に、侵入者を叩き落していく。
その度に、汚れた歯が飛び、ぽちゃん、ぽちゃん、と川に落ちる。

川岸の一団は、自分達の仲間が痛い目に合っているのに、それを見て爆笑している。

もう、いや!

船は進む――。

川幅は狭くなり、川岸に生える植物の種類も変わってきた。
両岸から、捻れた木々が、川に覆いかぶさるように生えている。

風は止み、湿度は増していた。

バナナのようなクチバシを持った鳥が、ギャアギャアと恐ろしい声で鳴いている。

「きゃ! 何か背中に落ちてきた!?」

「あんた、それヒルだよ!」

ヒルだけじゃない。
小さな猿がけたたましく叫び、木の上から石を投げつけてくる。

そして雲のように密集して襲いくる蚊の群れ……。

■chapter5

ボボボ……ボッ……ボスン。
船のエンジンが止まった。

随分と以前に落ちたらしい木製の橋の残骸が、川の中央に小山を作っている。
堤防の石材は砕け、大半が川に滑り落ち、川縁でごちゃごちゃと固まっている。

エンジンを切った船は、その瓦礫の堆積した岸辺へ、惰性で滑るように寄せ、そして停まった。

「さあ、着いたよ」

小紗院先生が言った。

「着いたって、え、ここ?」

小紗院先生は自分のカバンを抱えて、船縁から瓦礫の上へ飛び降りた。
瓦礫の先はコンクリートの剥がれたむき出しの土の斜面となり、その向こうは鬱蒼としたシダ植物の林となっていた。

鳥のように巨大なトンボが、ホバリングしながら「ギチギチギチギチッ」と鳴いた。

「んんーっと」

先生はコリを解すように伸びをする。

「暗くなる前について良かったね。さ、皆も降りて。足元に気を付けて」

「え、でも。戻りましょう、先生!」

「どこへ?」

「どこって……、学校へ……私達の街へ」

突然、先生が笑い出した。
のどの奥で、つっかえた物を吐き出そうとするような、痛々しい笑い方だった。

「あんな……あんなゴミ溜めへ?」

小指の先で、目尻の涙を拭う先生。

「ゴミ溜めって、ここよりはずっと綺麗です!」

「ここが、君達の学校さ。ユートピアだよ」

そうして、小紗院先生は語り出した――。

■chapter6

確かにこの土地の有様には面食らうものがあるだろう。
たったの三年でここまで文明が退化したんだからね。
ここには、腐った性根を仮面で隠す連中はもういない。
全ての仮面は剥ぎ取られ、剥き出しの欲望しかない。
原始に帰っている。
カオスだよ。

でもね、じゃあ、君達の暮らす街はここより上等だと思うかい?
そんなわけはない。
毒されているのさ。
無自覚な分、たちが悪い。
そして穢れたまま、安定してしまっている。

狂った内面を正気の仮面で隠した大人達。
汚濁にまみれた、ゴミを食らうウジ虫以下の人間ども。
野獣のごとく乱れた性生活。

そんな中で、子供がまともに育つはずがない。
分かるかね。
あの街にいる以上、諸君の将来は決まっているのだ。
僕の計算では、諸君の内、75パーセントが二十歳までに……。
地獄だ!
僕は……、そんな君達を見ていられない……。
社会が安定している以上、この計算結果も確定したものなんだ。

しかし、ここにはそんな安定はない。
ここはカオスだ。
可能性だけが息づいている。

ここには邪魔なものは何もない。
貨幣経済も機能していない。
国連も赤十字も見て見ぬ振りをしている。

だから僕は、この地に僕の理想の学び舎を構えたいのだ。

教師の本分は、生徒を導く事だ。
それは、外部から薬と毒でドーピングする事ではない。
精神の新陳代謝を上げる事だ。

分かるね?

諸君は私についてきてくれるものと信ずる。
ともに理想の学校生活を送ろう。

もちろん、強制はしない。
君達には自由意志がある。
ここで引き返してくれて構わない。
だが、今一度よく考えてくれたまえ。

■chapter7

「よし!」

ヨミがパンっと手を打った。
その音にビックリして、私はこの瞬間まで金縛り状態だった事に気付いた。
先生の話があまりにあんまりだったから、絶句してたんだ。

「じゃ、一応、話し合いますか」

と、ヨミ。

「話すも何もないんじゃない?」

他の子が言った。
私もそう思う。
だって、ねえ?

船の船長さんは、先生から渡された札束を数えていた。
それから、上を向いて、ぽっぽっと煙草の煙の輪を吐いた。

「そうだね。でもね、これだけは言わせて。小紗院先生は、いつでも、本気で私達の事を考えてくれた。こんな人、私は知らないよ。私……、ロリカ、あんた私のうちの事情、知ってるよね。うちもいろいろあってさ。私ね、先生みたいに私の事を心配してくれる大人がいるなんて、考えた事もなかった。私、これだけは断言出来る。先生は本気だよ。本気で私達一人一人を救おうとしている」

ヨミ……!
私は、心臓に楔を打ち込まれたようなショックを受けた。
恥ずかしさで顔が燃えるようだった。

「そうだよ、先生は私の悩みにいつも本気で応えてくれて……」
「俺が海パンを忘れた時も……」
「僕の母さんがパーマを失敗した時も……」

皆も、口々に先生との大切な思い出を、絆を、涙ながらに披露する。
それら温かいエピソードの一つ一つが、私の魂を揺さぶった。
嫉妬、だったのかもしれない。
私の方が、皆よりも先生と親しいと思ったのに……!

「私だって私だって!」

「おお~? どんなラブ・ハプニングがあったのかね~?」

ヨミが言って、皆は笑った。
目に涙を溜めて笑っていた。

「言わないよ! とにかく、これで決まりだね!」

私は(ファル君の化けた)リュックを掴んで、船から飛び降りた。
一番乗りで先生の元へ駆け寄る。

「小紗院先生! 私達、先生と一緒に行きます! 頑張ってみます! ね、ヨミ!」

振り返ると、船が岸を離れたところだった。
川の流れに身を任せ、ゆっくりと元来た方へ進み出した。

あれ?

「ロリカー、気を付けてね! 後でメッセージ送るから! あ、そっか、電波入らないんだっけ? とにかく、お腹冷やさないようにね!」

ヨミが船上から手を振る。
クラスの皆も全員乗ったままだ。

それから、ヨミは口の動きだけで「あとは二人でうまくやりな」と言って、ウインクした。

■chapter8

木製のベンチはすっかり苔むしていて、思い切って座ると、ちょうど良いクッションになっていた。
半分しか残っていないステンドグラスから強烈な夕陽が差し込み、得も言われぬ、色とりどりのレーザービームが私を照らした。
まるでワープしてる時の亜空間の光景みたい。

ここは半壊した教会だった。

私と小紗院先生、そしてリュックに化けたままのファル君は、教会の会衆席に座っていた。
屋根は落ちていて、壁もほとんど崩れている。
柱や梁には太い蔦が絡みついて、見た事もないイボイボがいっぱいついた巨大な実がなっていた。

「この教会、以前はお寺だったんだ」

小紗院先生が、砕け散って足首しか残っていない彫像を見つめながらそう言った。

「戦前は神社だったらしいし、その前はまた別のお寺だったと聞く。そもそも、石器時代の精霊を祀る遺跡も発掘された場所だ」

「聖地……だったんですね」

「言いようによってはね。まあ、宗教による侵略戦争の前線基地だよ。時代が変わるたびに、古い神をどかして自分たちの神を据え付けようとしてきた場所だ。救いようのない連中だよね」


あれだけ私の体を嬲っていたステンドグラスからの光線が、しぼみ、消えた。
日は落ちていた。

教会の外を伺っても、街明かりなどなかった。
インフラが滞っているんだもの。仕方ないや。
あ、でも、遠くでバイクの音が聞こえる。
それもすぐに、わけの分からない獣の吠える声にかき消されてしまった。

「ちょっと怖いかも……」

それを言い訳に、私はベンチの上をスライドして、先生のそばに寄った。

それから、天井の落ちた空を見上げて、

「あ、月が……綺麗ですね……」

と、言った。
私と先生は、触れるか触れないかの距離で、隣り合っていた。

「うん。ブーメランみたいだね」

「ビックリした」

先生の予想以上に色気のない応えに、私は思わずそう言ってしまった。
口に出してしまってから、恥ずかしくなる。

そんな私に、先生はニッコリとほほ笑んだ。

「そうかな。世界には不思議な事は一つもないんだよ」

月明りに照らされた先生の顔は、とてもシャープで、優しくて、観光地で売ってる一刀彫の民芸品のようだった。

「あらゆる事象は論理的に構築されている。偶然というものはないんだよ。選択肢があるだけ。思考し、分析すれば、事象の流れは見い出せる。最適解は必ず導き出せるんだ。ただね、真の始まりと真の終わりだけは、仮定するしかない。その間の流れのどこに解答地点を持ってくるかは自分の意思次第。どの段階で辻褄を合わせるかだ。分かるよね。答えは既に君の中にあるんだから。学問とは、世界を知り、世界と和解することだ。こちらの発見とは関係なく世界は存在しているんだから。分かるね。理解すれば恐怖は消える。学問とは愛なんだ」

どうしよう。
先生の言っている事、全然分かんない。
私って、結局ただの子供なんだな。

でも、二人でこんなにお話するの初めてだ。

「先生……。今、世界には私と先生だけなんですね」

「俺もいるぞ」

いつの間にか、イボイボのある果物がリュックの口に乗っかっていた。
ファル君、それ食べるんだ……。

「ふふふ。さて、授業は明日からにしよう。夜は冷えるからね。まずは文明の第一歩、火を生み出そうじゃないか」

■chapter9

でも、どうやっても火は起こせなかった。
マッチもライターもない。
原始人がやるように(?)木の枝を掌で挟んで、板に押し付けてグリグリ回転させても、煙一つ昇らなかった。

「ははは。もうダメだ。ここまで連れてきておいて、申し訳ない……」

先生が俯いた。
膝の上に、ボロボロと涙をこぼす。

え、そんな、本格的に挫折しちゃったんですか!? もう!?

「これでは夜を越せない……。待っているのは、死、だ……」

「先生! 諦めないで下さい! 先生、さっきご自分で言ってたじゃないですか! ほら、なんかほら……、為せば成る……? なすがまま……? みたいな事……?」

「そ、そうだね。事象の流れの中で、何もこの瞬間を結末に設定しなくてもいいんだ。今火が着かなかったのも、これから何らかの事象が発現する為に必要なステップだったのだ。よし。別の手を試してみよう。火打石になる物を探して……あいったたた! 腰が!」

「え、ギックリ!? ンモー!」


先生は肉体的にも精神的にすっかりまいっちゃってて、外の藪が風で鳴るたびに、

「ほら……! ほら……!」

とうわ言のように呟いている。

これもうヤバイよ。
限界だよ。
こんなカオティックな場所で二人の聖なる王国を造るなんて、私達には早すぎたんだ。

湿布、お湯、粉ミルク。
なんでもいい。
何か、先生を癒す物資が必要だった。

「先生を、助けなくちゃ。でも……」

ギィギィギィギィ……。
ギチギチギチギチ……!
アオッアオッアオッアオッ!

この教会を取り巻く闇の奥から、恐ろしい鳴き声が絶えず聞こえてくる。
夜の冷気が、重い霧となって体にまとわりついてくる。
こ、怖い……。

「ロリカ」

ファル君の声に顔を上げる。
さすがにもうリュックの姿は解いて、私の隣に立っていた。

「この男はスットコドッコイだが、一つだけ良い事を言ったな。理解すれば恐怖は消える、ってやつだ。とは言え、物事の神髄を本当に理解するなど、誰にも出来ない。せめて出来るのは、モノマネだけよ。ロリカ、闇に飲まれるな。お前が闇になれ。お前が、飲み込む側だ」

■chapter10

私は走っていた。

戦闘服は、星の銀色も、生命の赤色も、失っていた。
木々のオリーブドラブと、砂埃のカーキ、泥のレッドブラウンに染まっていた。
装甲だけでなく、髪も肌も同じ三色迷彩となっていた。

艶の無い戦闘服が、夜闇の中に溶け込んでいく。

「お前は闇だ。お前こそが夜だ」

ファル君の声も風の吹く音に溶けている。
ファル君も同じ色をして、私のすぐそばを走っているはずだ。

私は走る。
呼吸もする。
鼓動も打つ。
木々の枝葉を折り、草を蹴散らす。
それらの音も、人の立てる音ではなく、自然の一部となっていた。

「良い顔だ。夜の獣の顔だ。闇の狩猟者に実体はない。獲物にとってそれは抽象的な恐怖でしかない。死神は生者の目には見えないのだ」

僅かな月明りで、ここまで周りが見えるとは思わなかった。
外から闇の奥は見えないけど、闇の中からは外がよく見えるんだね。

私は風のように走った。
大木の枝をくぐり、瓦礫の山を駆け上り、水の張ったクレーターを飛び越えた。
その一瞬。
水面に、私の顔が映った。
黒い顔の中、目がギラギラと光っていた。
口は笑っていた。

アヴさん小説05後半

砕け、波打ったアスファルト。
倒壊した建物群。
死んだ街……。

その中で、明かりが見えた。
人がいる!


近づくと、それは大きな焚火だった。
いくつもの焚火の周りで、スキンヘッドの県民が踊っている。
誰もが顔に禍々しい化粧を施し、体中に入れ墨が入っていた。

そこら中で裸の男女がくんずほぐれつしている。
意味不明な絶叫がこだまする。

そして、もっとも巨大な焚火の横にいるのは……。

「ツルコロン!? こんな所にも!?」

ツルコロンは手に捻じくれた杖を持ち、大げさな身振りで県民達に支持を出していた。
まるでシャーマンのようだ。

そんなツルコロンの前に、ちゃんと服を着て、髪形もまともな、いわゆる文明人の一団が引っ立てられてきた。

「あれは……、そんな、皆!?」

それは確かに、私と先生を残して船で帰ったはずの、クラスの皆だった。

「ヨミー! ヨミー! うわー!」

数人の女生徒達が泣き叫んでいた。

「ヨミは……!?」

体が震えた。
歯がカチカチ鳴る。

見回す。
クラスの皆を連れてきた県民が、ニヤニヤ笑いながら、ツルコロンの前に、骨の突き出た大きな肉塊をドサッと置いた。

「いやー! ヨミー!」

女生徒達の絶叫。

■chapter11

一度、瞬きをした、と思う。
それでスイッチが入ったみたいに、視界が白と黒のコントラストの強い、作り物のような世界に変わっていた。
夜の闇も、焚火の明かりも、消し飛んでいた。

足の裏でアスファルトが溶けて、踏み出した時に、雫が飛び散った。
空気がゼリーのように固く重かった。

「ロ……リ……カ……!」

物凄く遠くから、物凄く間延びした、ファル君の声が聞こえた。
でも私は、ゼリーのような空気をかき分けて、柔らかいアスファルトを一歩一歩蹴って進む事に忙しくて、返事をする暇はなかった。

長い長い時間をかけて、長い長い距離を走って、やっとツルコロンにたどり着いた。
私はジャンプして、ツルコロンの頭に飛びついた。

そこでやっと、一つだけ息を吸った。

その時に初めて、ツルコロンは私に顔を向けた。
三つの黒い眼が、驚いたように広がった。
周りの県民は誰一人として、まだ私には気付いていない。

気付かれる前に、私が走る時に発生した衝撃波がやっと追いついてきて、彼らを吹き飛ばした。

県民も、クラスの皆も、炎も、骨もが、吹き飛んでいく。
その中心地で、私は口を大きく開いていた。

「戦闘服のシールドが……プラズマ化している……!」

ファル君の声。
「時間」は元に戻っていた。
ゼリーのように重かった空気は、ただの空気に戻っていた。
どうでもいい。

私は何も考えていなかった。
ただ、ツルコロンの首のキリトリ線に、歯を立てていた。
火花が飛び散り、ツルコロンの全身が細かく波打って、もち肌の表面が沸騰してガス化していく。

「馬鹿な! 高速振動犬歯(ワイルド・ヘヴン)!?」

ファル君の声。
そんなの知らない。

私はただ噛みついて、食い千切っていた。
ツルコロンの「皮」を吐き出す。

クタクタと崩れていくツルコロンを踏み締めて、私は叫んでいた。
月を見上げて吠えていた。
私の声ではなかった。

■chapter12

全然覚えてないんだけど、気絶しちゃった私をファル君が連れ帰ってくれたみたい。
クラスの皆はその夜の間にレスキュー隊のヘリで救助されたんだって。

船が襲撃された時、船長さんはあろう事か皆を見捨てて、動力付き救命ボートで逃げたらしい。
まったく酷い話。
もちろん、後日逮捕されました。
警察では、一人の生徒にそそのかされたって訴えてるんだけど、そんなの聞いてもらえるはずないよね。

で、問題のヨミだけど。

「ちょっとヨミー! 私、ヨミが食べられちゃったかと思って焦ったんだからー!」

「メンゴ!」

ヨミは救命ボートで先に帰宅していたわけで。
家でのんきに、スルメにマヨネーズを付けて食べていて。
なんだかんだ私は、パリパリの小麦粉焼きとかで誤魔化されちゃって。
まあいいけど。

ところで。
小紗院先生は、一ヵ月後に「森の神を求めて」というドキュメント番組のロケ隊によってようやく発見されました。
その時には、言語を忘れ、極端に火を恐れるようになっていたといいます。


おしまい

小説エピソード6はこちら!


登場した戦闘服カラーは……

迷彩スタイル「ぬりえ応募作品18(渡辺 ヤマトさん)」

ぬりえ応募作品18(渡辺 ヤマト)

無敵スタイル「ぬりえ応募作品38(チャキオのようなものさん)」

ぬりえ応募作品38(チャキオのようなもの)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?