鼻炎娘

過去にあった自分の話。 文章を書くことが好きです。 超陽キャ小学生から一転、中学から不…

鼻炎娘

過去にあった自分の話。 文章を書くことが好きです。 超陽キャ小学生から一転、中学から不登校に。 中二の最後頃に沖縄の中学に転校後、不登校を克服。 志望の商業高校に合格し、IT企業に就職後、退職しアパレル職経験の後に現在に至る。そんな私の話。

最近の記事

不登校だった私の日記 15

こんにちは。前回までの話は、中一から高二までの私の記録でした。 ここからは、高三から現在に至るまでの私の話になります。 ・ ・

有料
150
    • 不登校だった私の日記 14

      毎日塾に行きながら志望校を目指し ロスしていたぶん(2年間分)の勉強をしました。 そして、3月 私は志望校に受かりました。 そして、1.2年ほぼほぼ学校に行ってなかったのに出席日数足りなくて、第一志望に行けるなんて不可能じゃない? と思う方もいると思います。 たしかに出席日数は全く足りていませんでした。 塾でも、模試の点数はA判定でしたが 内申点はE判定でした。

      有料
      200
      • 不登校だった私の日記 13

        皆さんは、 「内地」という言葉をご存じですか? 内地とは、沖縄以外の都道府県。本土のことです。 では、「ナイチャー」とはご存じですか? ナイチャーとは、沖縄の人からみた 本土から来たひとのこと、または本土に住んでいる人のことを呼ぶ呼称です。 沖縄には、すこしだけ ナイチャーに対する嫌なイメージがあるんです。 理由は後に説明します。 ある日の授業中のことでした 後からコソコソと男子の声が聞こえました。

        有料
        250
        • 不登校だった私の日記 12

          先生は私が昔は不登校だったことを知っています。 「先生、私、あの班いやです」 「え?どうして?」 鼻から否定せずに先生は理由を聞いてくれました。 私の不安に思うことを全て話し、 春香が一人ぼっちの班は可哀想だと話した。 もしこの要求を飲んでくれないのであれば、私は修学旅行へは行かないとまで言いました。 先生は沢山悩んでこう言いました。

          有料
          150

        不登校だった私の日記 15

          不登校だった私の日記 11

          深く考えてもらわなくてもいい。 ただ、頭の片隅に、 普通に学生生活を送れない子供たちがいるということを置いていてと思います。 普通に、毎日学校に行くこと日々を焦がれ続けている子達がいます。 平和な日本で、学校に行くのが当たり前な世の中で「学校だるー」って言える幸福のある日々に手を伸ばせない子達がいるということ。

          有料
          100

          不登校だった私の日記 11

          不登校だった私の日記 10

          そのとき、隣の女の子が 「筆箱可愛いね」と声をかけてくれた そのときなんて会話したのか覚えていないけど、うまく受け答えができたようで、前の席の女の子も会話に加わってきた。 たびたび、会話は途切れるけど 緊張とともに少しだけ楽しさが滲んできた。

          有料
          200

          不登校だった私の日記 10

          不登校だった私の日記 9

          ついに、2月の終わりごろ。 私は水曜日の朝、その学校へお母さんに見送られながら、足を踏み入れたのだ。

          有料
          200

          不登校だった私の日記 9

          不登校だった私の日記 8

          付き添いはお母さん。 見知らぬ学校に足を踏み入れて私は震えが止まらなかった。 でも必死に隠した。お母さんにバレたら、絶対に心配して、大変なことになりそうだったから。 「綺麗な壁だね」と平気なフリをして会話した。

          有料
          150

          不登校だった私の日記 8

          不登校だった私の日記 7

          ついに沖縄の地についた私たち。 愛犬も愛猫も連れて、知り合いの一人もいない地へやってきた。 それは当時の私からすると、恐怖よりもワクワクしかなかったのです。 沖縄での生活が楽しみでたまらなかった。

          有料
          150

          不登校だった私の日記 7

          不登校だった私の日記 6

          「聞いたよ。転校するんだってね」 すごく驚いた顔をしていた。 「はい、突然ですみません」 「寂しくなるよ」 そんな他愛のない会話をした。 そして 「転校する前にクラスのみんなに、何か言いたいと思わない?」と提案をされた。

          有料
          150

          不登校だった私の日記 6

          不登校だった私の日記 5

          こんにちは! 1~4まで読んでいただきありがとうございます。 私のつたない文章が皆さんの力になればと思い、書き残していてよかったと心の底から思いました ですが当時中学生の私は、あまりにも文章力がなく、まとまっていなかったので、これからは少しずつ編集しながら、短めにしていこうかと思います! それでは、本編へ すでに、決まっていた、いやいつからだったろう。 父親が「沖縄に行きたい」と言い出したのだ。

          有料
          150

          不登校だった私の日記 5

          不登校だった私の日記 4

          始まり一年生のすべての学期がおわり 私は春休み真っただ中だった。 二年生こそは、普通の中学生として生きていくと心に誓って やってきたのは新学期。 クラス替え表をみると、小学校のころから仲良かった友達の名前がひとつ、あった。

          有料
          500

          不登校だった私の日記 4

          不登校だった私の日記 3

          決意私は、ついに親に正直に言おうと決めたのです。 それは、金曜日の夜でした。   お母さん、私、学校に、行きたくない ぽつり、ぽつりと言葉を紡いだ。   私は、母の顔を見ることができず

          有料
          500

          不登校だった私の日記 3

          不登校だった私の日記 2

          不登校になった私私は中学生になってすぐ学校に行くことができなくなりました。 理由は、新しい環境に慣れず友達が一人もできなかったこと。 そのため教室ではいつも一人で机と毎日にらめっこ。 耳から入ってくるクラスメイトの男子の、戯れる声。 女の子たちの楽しそうなしゃべり声。 

          有料
          500

          不登校だった私の日記 2

          不登校だった私の日記

          はじめまして、平凡です。 私は中学一年生のころから不登校でした。 小学生の頃は天真爛漫な女の子で、クラスの中心的な存在でした。 でも私は学校に行けなくなりました。 そんな私が不登校になってから当時の思いをノートにつづるかのようにブログに書きだめていました。 小学生のころは自分の言いたいことが言える女の子だったのに不登校になってから、そしていまどんな人間になっているのか、リアルをお届けしたいと思います。

          不登校だった私の日記