寄り添う人 久保拓眞の話
令和元年6月21日金曜日。その日も私は神宮にいた。
16連敗明けの6月2日、大引啓次の「去年の交流戦覇者として堂々と立ち向かっていきたいと思います」というヒーローインタビューに巻き返しの望みを託し、始まった交流戦。
夢見たヤクルトの快進撃は展開されぬまま、交流戦も終盤を迎えていた。遠ざかっていく“優勝の可能性”に気づかぬ振りをして、私は神宮の神様に祈り続けるように球場に通い続けていた。
とはいえ、平日は大抵遅刻だ。仕事を切り上げ早退するにも限度がある。
この日も到着したのは7時40分。移動、球場周辺の撮影、球場飯の買い出し。入場し三塁側内野席に到着した頃には8時をまわっていた。
5回裏2アウトの時点で3対10。5回表大量7失点。
「またか」の言葉を封印し、カメラのレンズを望遠レンズに付け替える。
三塁側カメラ女子の課題は、自軍のベンチを撮ることだ。敵チームのユニフォームの中、野球少年をひっそり撮る。気楽な自由時間だ。
一塁ベンチに向かって最大までズームしファインダーをのぞくと、ベンチの端で先発のブキャナンが座っていた。少しも動かない。表情もない。視線の先はどこも見ていない。
まさに呆然。スクリーンにはすでに名前がない。交代させられたのは5回途中か。遅刻したら、先発のピッチングも見られないのかウチのチームは。
意地悪なファンは、ピクリとも動かないブキャナンを、必要のないスポーツモードのまま連写した。
シーズンは9月に終わり、選手同様、長いオフを迎えた私は、時間制限のない写真整理をし始めた。
SDカードに入れっぱなしだったこの日の写真も、増税前に買い替えたラップトップで一枚一枚チェックしていく。
あぁこの日か。弱り目に祟り目。ひどく傷ついた敵チームのコールがあったなぁ。やっぱり、絶対に相容れないファンだった。この日の疲労感が写真とともに再生される。
しかしそのとき私の目に入った光景は、神宮で見たものとは少し違っていた。ブキャナンはたしかに打ち込まれ、打ちのめされていた。しかし、その隣にもう一人いるのだ。
久保拓眞。ピッチャー。2018年ドラフト7位で入団した大卒ルーキーだ。
私は急いで、当日の野球速報を確認する。
ブキャナンが交代したのは5回表。スコア2対3からノーアウト満塁で2点タイムリーを被弾。4回3分の0、5失点で降板。そのあとを継いだのが久保だった。
久保は1アウトを取ったところで3ランホームランをあび、点差を3から6に広げる。さらに2打者連続タイムリーで8点差となり、0回3分の2、5失点で、マウンドを蔵本治孝に明け渡していた。
蔵本が1人を抑え攻守交代。私が神宮に到着したのはそのあと。ブキャナンと蔵本の間に久保が投げ炎上していたことを知らなかった。
連写した写真を見る。
連続写真の意味がないほど、ブキャナンは動かない。そのブキャナンの隣に久保が座る。ブキャナンの後ろには通訳の久野朗大が立っている。ブキャナンと久保はそのまま座っている。時折体勢を変えながら、ふたりで座っている。久保は、話しかけるどころかブキャナンを見てもいない。
ただ、ブキャナンの隣に座っているだけだった。
10月24日。ピッチャーの田川賢吾がフェイスガードを装着し秋季練習に参加する姿が報道された。
10月2日の練習中、フリー打撃の打球が顔面を直撃し、鼻を骨折。手術を受けていたというのだ。
田川のようなイケメンは、フェイスガードもよく似合う。松山の秋季キャンプにも間に合うようだ。やはり危険な仕事だ。なんとか無事でよかった。
そんなことを思っていたとき、1枚の写真がSNSに上がった。
田川の事故直後の写真だ。
打撃練習が続く中、飛んでくるボールに備え、うずくまる田川の手前に立つ久保の姿がそこにはあった。
久保拓眞は、こういう人なのだ。
先発が勝ちをつけて流れを作りたい状況で負け試合を展開してしまったブキャナンと、不意の事故で身動きの取れない田川。
共通点は、“痛み”と“孤独”。
それを埋め、語らずして「ひとりじゃない」とメッセージを贈ることができる人なのだ。
6月に至っては、ブキャナンのピンチを救うこともできなかった。それでも逃げず、自分を責めるブキャナンの傍にいた。
久保は、そんな状況でも“寄り添う人”なのだ。
久保拓眞は年末年始、故郷に戻り、リフレッシュしたようだった。
友人と過ごす様子がインスタグラムに上げられ、そのコメントには度々「僕は友達に恵まれていると思う」というフレーズが出てくる。
私は思う。それは久保くん。あなたが“恵む人”だからじゃない？
2020年。オリンピックイヤー。ブキャナンは自由契約となり、韓国・サムスンライオンズに移籍した。
デービッドさん。たまには思い出してほしい。孤独の淵でただ寄り添ってくれたチームメイトのいた神宮を。
これが私の応燕する、誇り高き球団だ。寄り添う久保拓眞には私が寄り添う覚悟だ。
新たなシーズンが始まる。さぁ、ともに闘おう。
※2022.10.30 確認できた事実関係について一部改編しています。
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