読書感想文『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』/長谷川晶一

読むのに時間がかかった。分厚い本だから?それもある。普段本を読んでいないから。そのとおりだ。しかしもちろん、それだけではない。気づいたら同じページを読んでいる。何なら、最初のページに戻っている。何度も何度も、行っては戻りの繰り返しだった。

28年経った今も、ヤクルトファンの心にしみついているこの日本シリーズ14戦は、当然当事者の選手たちにも鮮明な記憶として脳内に留まっている。
そしてその多くは、「後悔」だった。

92年第7戦。印象に残る広沢克己のホームへの走塁。「あと一歩届かなかった日本一」の試合を象徴するあの場面は、翌年の日本シリーズ第7戦、古田敦也の「ギャンブルスタート」の伏線として語り継がれている。
しかし、当たり前の話だが、当事者の広沢にとっては、その伏線の元を辿ったところに自分がいるなんて、許せない。「お嬢さんスライディング」と揶揄されていることだって、面白くない。
BSフジで放送された「The GAME~震えた日~」の中で、この古田のギャンブルスタートを、「あれはね、“ギャンブルスタート”じゃなくて“広沢スタート”です」と言って笑いを誘っていたが、内心は、28年ずっと悔いていたのだ。

飯田哲也は、93年第4戦、鈴木健のセンター前ヒットからのバックホームで、2塁走者の苫篠誠治をタッチアウトに仕留めた。このプレーも、ベンチからのサインを無視して前進守備を敷いた飯田の独断だった。
そしてその独断の背景には、前年の第7戦、「取れた」と述懐する落球があった。ベストプレーとなったこのバックホームで、あのエラーは帳消しになっていない。28年もの時間を費やしてもなお、この後悔は一生続くのだろうか。

このプレーでは、苫篠誠治も「スタートが遅れた」と後悔している。この14試合に出場した全員が、グラウンドの中で判断し、行動し、後悔していた。

野球選手は、いつも苦しい。追う苦しさ、追われる苦しさ、勝てない苦しさ、負けられない苦しさ。
懐かしい思い出、笑える昔話にならない後悔を抱えながら、指導者になり、解説者になり、野球を見つめ続けているということだ。

記憶の中にあるはずの日本シリーズは、そのほとんどが知らないことばかりだった。ヤクルトの選手と何の関係もない私にとって、裏話など「知らない話」で間違いない。
そんな、選手のエピソードという「点」が、「線」でつながったときの爽快感と達成感の残る「歴史小説」だった。

試合の答え合わせは、こうしてするものなのかも知れない。

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