人の心にいる人 渡辺直人

ヒット狙いの内野ゴロで凡退した。西武・山川穂高。ベンチに戻ると渡辺直人に「何やってるんだ!」と叱られた。

「そんなことは俺がやるから、お前はホームランを打てばいいんだよ!」。

考えがまとまらないうちに、1アウトを献上しただけだった。そこで、自身の持ち味を檄を飛ばしながら気づかせてくれた渡辺に、山川は感謝していた。*1

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元ヤクルト・田代将太郎は、2017年オフに西武を馘になった。
フェニックスリーグに参加中の自由契約。予期せぬ“宣告”に、野球を諦めようとお世話になった人へ報告の電話をする中、野球を続けるよう助言したのが、西武時代の恩師で広島を退団した河田雄祐コーチと、渡辺直人だった。
折れかかった心を支えた二人の言葉に、田代は「もう一度野球をしよう」とトライアウトに挑戦し、ヤクルトと契約に至った。
同時期に、河田のヤクルトコーチ就任も決まった。*2

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まただ。またこの名前が出てきた。
渡辺直人。どんな人なんだろう。

渡辺直人は、現役最終年の2020年、選手とコーチとして二足のわらじを履いていた。
兼任コーチの現実は厳しい。選手としての役割がないまま、若手の活躍を喜び、微笑ましく見ている自分に気づき、勝負の世界から身を引くことを決意した。*3

2002年、ヤクルトスワローズ・池山隆寛の引退会見が頭をよぎった。
「活躍している昔の自分が他人のように見えて、“もうダメだな”と……」
そこから先は、涙で言葉にならなかった。

引退を決断するということは、もうそこにいない自分を認めるということだ。
ずっとスポットライトを浴びてきた野球選手にとって、人生最大の辛苦に違いない。

しかし、渡辺直人の引退で、たくさんの野球選手とOBから惜別と感謝の言葉が集まった。
楽天、横浜、西武と3球団を渡り歩いた人脈も当然あるだろうが、語られるエピソードはすべて、「渡辺直人に救われた話」ばかりだった。

人の心にいるということは、グラウンドの真ん中にいることより、難しいことなのではないか。

渡辺直人は、それができる人だ。

つくづく、マイボーイとして彼を見つめられなかったことを残念に思う。

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