息を吹き返した背番号

3連休。ずっとベッドの上だったはずなのに、いくら寝ても朝から寝不足だ。開かない目でスマホを見る私。そんな私の目をびがーんと開かせるニュースがスマホの画面から飛び込んできた。

2020ドラフト4位、東北福祉大学・元山飛優に、背番号「6」が与えられる。

ヤクルトには永久欠番がない。ただし、「準永久欠番」と称される“空き背番号”が存在する。その一つが、6番だ。

背番号6は、2014年から2020年までの7年間、誰もつけていなかった。
前任者は、宮本慎也。入団から1995年から19年間つけた番号だ。

ヤクルト球団は、背番号の系譜にこだわる。いや、どこの球団もそういう一面はあると思うが、ヤクルトはファンの目も厳しい。

その背番号にふさわしい実績を上げない限り、つけることを許さない。

そんな気風があるのだ。それはそれで、理解できる。

実際、ヤクルトの背番号「1」をつける選手は、“ヤクルトの顔”という役割を担っている。
今は、山田哲人。前任者を辿ると、青木宣親、岩村明憲、池山隆寛、若松勉。
それぞれの時代で、ヤクルトの顔としてその存在感を示し、活躍したレジェンドだ。そのレジェンドのうち2人は、未だ現役。いかに一人がつける期間が長いかが分かる。

若松勉が初めて背番号「1」をつけたのが、1972年。2年目のこの年、若松は首位打者となる。人一倍練習する野球選手が、ヤクルトの顔として、背番号とともに歩み始めた年だった。

それから若松は「小さな大打者」として、現役生活19年、2000本安打という偉業を達成した。若松引退の前年、讀賣巨人軍の背番号1が永久欠番となっており、「ヤクルトの背番号1を永久欠番に」という署名活動も展開されたそうだ。
もし当時、その署名活動を知っていたら、私は賛同していただろうか。なんだか想像つかない。
どういう経緯か、永久欠番になることのなかったヤクルトの背番号1は、しかしこれ以降、「ヤクルトの顔がつける」という暗黙の了解の下、受け継がれてきた。

背番号「1」以外にも、ヤクルトには象徴となる背番号がいくつか存在する。

たとえば、背番号「17」。球団を越えたエースナンバーは「18」で間違いないが、ヤクルトのエースナンバーは「17」だ。
初優勝の立役者、沢村賞を受賞した松岡弘のつけた番号。90年代の黄金期には川崎憲次郎が、2000年代に入ってからは川島亮が、その後を成瀬善久が、そして今は、今季30ホールドポイントで最優秀中継ぎとなった清水昇がつけている。

背番号「6」もまた、宮本慎也という遊撃手が19年間熟成させた背番号だ。その跡を継ぐのは、その功績に見合った人であること。これが、背番号1同様、“暗黙の了解”としてファンが納得する、7年間の欠番の理由だった。

背番号には、たしかにステイタスが存在する。もらった二桁三桁の“重い背番号”を一桁に“軽くする”。それがひとつの成果指標であり、モチベーションともなるのだろう。

たとえそうだとして、何番であっても、その番号がグラウンドにいなければ、意味がない。私はいつでもそう思ってきた。
背番号を背負って野球をする、野球選手。笑顔のときばかりではないだろう。苦しみ、辛く、泣くときだってたくさんある。そんなとき、寄り添うファンは、いつでもその背中に手を当て、さすり、押す。ともに闘うファンには、番号の大小は関係ない。

まずは、グラウンドにいること。その背番号とともに、野球をすること。それを、7年もの間、背番号「6」はできていなかったのだ。

そして、その背番号を育てるのは、今このときつけているその人。その人の、“背番号○○”。それでいいじゃないか。

ヤクルトの背番号「1」。若松勉、池山隆寛、岩村明憲、青木宣親、山田哲人。“ヤクルトの顔”という以外は、バッティングスタイルも守備位置もキャラクターも違う。“その人の背番号「1」”なのだ。
今は、山田哲人の背番号「1」。それ以上でも、それ以下でもない。

夕方には、松岡健一以降3年間空き番号だった「21」も決まっていた。
元山飛優のチームメイト、東北福祉大学・山野太一が新たな主だ。

ニュースには“継承”の文字が置かれる。偉大な前任者のように、躍動してほしい。でもそれは、前例踏襲では決してない。
元山飛優の「6」を、一から作り上げてほしい。背番号「6」に息を吹き込んでほしい。

息を吹き返した、背番号「6」。今から楽しみだ。

そしてまだ、ヤクルトには空き番号がある。早く、息を吹き返させてほしい。「4」、「7」、

「27」

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