侍ジャパンのキャプテンは誰だったのか 山田哲人のキャプテンシー

2021年8月7日土曜日は、日本野球に新たな歴史が刻まれた日だ。

オリンピック初の金メダルは、悲願でもあり、責務でもあった。
公開競技として野球が採用された1984年ロサンゼルスオリンピックの金メダルを最後に、日本はオリンピックで勝ち切れなかった。
そして、2012年ロンドン(英国)、2016年リオ(ブラジル)では、オリンピック競技から除外された。

オリンピック憲章(抜粋)
3- 種目
3.3 オリンピック競技大会のプログラムに含められるのは、男性によっては、少なくとも50か国3大陸で、女性によっては、少なくとも35か国3大陸でおこなわれている『種目』のみとする。

アマチュア編成だったナショナルチームにプロ野球選手を参入させてまでこだわった金メダルに手が届かないまま、野球のオリンピックの歴史は途絶えた。

正式競技数の上限撤廃によりオリンピック競技への復活を果たした野球。帰ってきた舞台を盛り上げたい。そのために、自国開催での優勝は必須だった。トップチームの監督を引き受けた稲葉篤紀には、相当な重圧がかかっていたことだろう。

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山田哲人のキャプテン就任は、驚愕だった。キャプテンと山田哲人の間には、何の相関もない。山田哲人は自由奔放に野球をすることに意義があり、野球を極めることに専念させることで、チームもファンも納得していた……はずだった。

山田は2020年7月、国内FA権取得という野球人生の転機を迎えた。
パ・リーグの野球をしてみたい。悩み、行き着いた答えは、FA権を行使せず、ヤクルトに残留するという決断だった。
そんな転機に、自分で環境を変えるべく、キャプテンに立候補した。前任の青木宣親キャプテンの姿を見て、自分もそうありたいと心動かされた。
哲人がキャプテン。しかも立候補。まぁ、今までどおり、てっちゃんらしくしていればいいよ。そう思いながらシーズンを迎えた。

2021年、神宮で私は、少しずつ少しずつキャプテンになっていく山田哲人を見てきた。
神宮はどんなに遅刻しても全試合見に行く。つい、キャプテン山田哲人に視線が向きがちになる。
そうして見えてきたものは、徐々に加速を増す、山田哲人のキャプテンシーだった。

5月23日日曜日。対DeNA戦は、10-5のダブルスコアで大勝した。先発のスアレスは6回2失点。5点のうち3点は、9回に取られたものだった。
2年目の杉山晃基。2アウトながら満塁の状況で、佐野恵太から2点タイムリーを打たれる。0回2/3で降板した。

被安打2、1四球、1死球。不動のクローザー・石山泰稚の不調によりクローザーを増やしたいチーム状況で、失点の印象が色濃く残る登板になってしまった。
試合後、神宮球場は球場内を歩いてクラブハウスまで戻らなければならない。内野フェンス沿いに客前を通って帰るこの日の「神宮ロード」の風景。
そこには、杉山と肩を並べて歩く山田哲人が映っていた。

打たれたピッチャーに、こんな風に寄り添えるキャプテン。

静かだ。だが、力強い。これが、山田哲人流のキャプテンシーなのだと、納得しながら胸を打たれた瞬間だった。

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8月2日月曜日。オリンピック準々決勝、対アメリカ戦。3ー3の同点から5回、2番手の青柳晃洋(阪神タイガース)が3失点を喫し、3ー6とリードを許してしまう。
テレビ画面の向こうで起きた悲劇に息を飲むうち、5回の守備が終了したそのとき私が目撃したのは。

ダグアウトに戻る青柳の肩に手を掛け、迎え入れる山田の姿だった。

ここで負けても、まだ先はある。ただ、ここで負けるわけにはいかない。この大会は、どうしても金メダルを勝ち取らなければならないのだ。ダブルスコアのビハインドは、そんな重圧をさらに重くした。
そして、その重さを背負ってしまったのは、青柳だった。そんな青柳に寄り添う山田の姿に、神宮の若いピッチャーに寄り添う山田の姿が重なった。

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東京ヤクルトスワローズのチームメイト、村上宗隆は、侍初選出。代表チーム内では、平良海馬(埼玉西武ライオンズ)とともに最年少だった。
ヤクルトでは4番を任され、「村神様」という呼び名も付いている村上も、国際試合の経験のない、人見知りの21歳。チームに溶け込めるか不安だった。

そんな村上の面倒を見るかのように、いつもそばに居る山田の姿に、私は感慨を抑えきれなかった。

今回の侍ジャパンに、キャプテンはいなかった。ただ、最年長の坂本勇人(讀賣巨人軍)は、経験も実績も申し分ないキャプテンとして、チームはもとより監督・コーチも支えていたと思う。

そんな坂本のチームで見た山田哲人は、誰に言われるでもなく、神宮のキャプテンシーを代表チームに持ち込んでいた。

そうして個々が自覚を持って行動する、いいチームだった。優勝できて、幸せだ。

おめでとう、侍ジャパン。おめでとう、てっちゃん!

1984年 ロサンゼルス(米国) 金
1988年 ソウル(韓国) 銀
1992年  バルセロナ(スペイン) 銅
1996年 アトランタ(米国) 銀
2000年 シドニー(オーストラリア) 4位
2004年 アテネ(ギリシャ) 銅
2008年 北京(中国) 4位
2021年 東京(日本) 金

8月9日 野球の日に

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