古田敦也はさぞかし悔しかろう

——本当に見事なホームランでした。そしてこの満塁ホームランなんですが、ヤクルトの満塁ホームランはこれまで古田敦也さんの38歳8か月が最年長の記録でした。それを塗り替えました。

「ありがとうございます」

—— 負けず嫌いの古田さんの記録を抜いた今の気持ちはいかがでしょうか。

「僕も負けず嫌いなんで、はい。古田さんの、その記録を抜けたことは嬉しく思いますけど、はい」

2021年9月28日火曜日。対DeNA戦。39歳8か月の青木宣親は、古田敦也の持つ球団最年長満塁本塁打記録を塗り替えた。
ヒーローインタビューでその記録に触れられた青木は、 素直に「うれしい」と笑顔で答えた。
インタビュアーはフジテレビ・竹下陽平アナウンサー。古田敦也が負けず嫌いだということをも知る、ヤクルトを知り尽くした人だ。

◇◆◇

古田敦也を知る、数多のOBから聞く古田敦也像は、「負けず嫌い」だ。
ID野球の申し子。「野球は頭のスポーツ」「キャッチャーはグラウンドの監督」という信念の下、野村ID野球を叩きこまれたキャッチャーは、ヤクルトの黄金期をつくり上げた。

古田敦也は、頭がいい。2004年の球界再編問題で奔走するスーツ姿は、そのクレバーさをより際立たせた。
理想の上司第1位となり、「メガネのキャッチャーは大成しない」と言われたそのメガネというアイテムでさえ、古田モデルが売れに売れる現象を引き起こした。

古田敦也イコールスマート。そんなイメージのある古田だが、実は野球という勝負事にはただ熱い漢だった。
それを最初に感じたのは、古田が引退して、野球解説者デビューをしたときだった。

「ゴーゴーゴーゴー!」
「いけるっ!いけ!」
「よっしゃー!」

……まるでベンチに居るかのような、感情むき出しの言葉の数々。かつての野村克也のように、「野村スコープ」を駆使した冷静な解説を想像していた私は、拍子抜けした。
しかしそのあと、古田敦也という人の概念が変わるインタビューを、私は見ることになる。

1992年、93年の日本シリーズ。相手は、常勝軍団・西武ライオンズ。92年、7戦目までもつれたゲームは、西武の勝利で幕を閉じた。
あと一歩のところで日本一を逃したヤクルトは、「打倒・西武、日本一奪取」を合言葉にに、93年のペナントを戦い、日本シリーズの舞台に上がった。
第7戦。2対3ヤクルト1点リードで迎えた8回表の攻撃。1死3塁から、ショートゴロの間に1点追加。終盤にリードを2点に広げることができ、そのまま2対4でヤクルト勝利。念願の日本一に輝いた。

そのときの三塁ランナーが、古田だった。
ヤクルトには、前年の日本シリーズ第7戦、1死満塁で三塁ランナーの広沢克己がセカンドゴロで本塁生還できず敗戦し、目の前で日本一の胴上げを見た屈辱の過去があった。それを教訓に、春のキャンプからいわゆる「ギャンブルスタート」の練習をしていた。
しかしこのとき、三塁の古田へギャンブルスタートのサインが出なかった。

「今やらないで、いつやるんだ」

古田は、ベンチのサインを無視してギャンブルスタートを強行。ホームに突っ込んだ。

「そりゃあ、強いはずだよ」
野村克也が回顧する。「一人一人が、自分で考えて野球をしている。そりゃあ強いわけだ。ダメなのは、これ」
そう言って、自分の鼻の頭を指した野村は、ニヤッと笑った。
サインを無視したことなど比べ物にならないほど、考える野球を体現した教え子が誇らしい。頭を使う野球の勝利は、何物にも替え難い宝だった。

そして古田は、監督のサインを無視した理由をこう語った。

「悔しかったんで」

古田敦也なら、計算づくで、冷静に、「ここはギャンブルスタートだ」と判断したと、ヤクルトファンなら誰しも思っていただろう。
しかし古田は、前年の敗戦が悔しかったのだ。計算なんかじゃなく、悔しかったから、監督を無視してホームに突っ込んだだけなのだ。

古田敦也という人は、負けず嫌い。そして、頭もいい。そんな人だ。

◇◆◇

2021年の中村悠平を見ていて、配球を工夫して戦うその姿に、私は92年から2001年のヤクルト黄金期を重ねていた。

ヤクルトの歴史は、キャッチャーありき。
古田敦也は、レジェンドというより、神だった。だから、「その水準に到達しなければヤクルトのキャッチャーとして認めない」という機運がファンの間で盛り上がり、それが直接、ヤクルトのキャッチャーたちへのバッシングにつながっていた。

古田敦也が臨時コーチとしてチームに戻ってきた2021年。中村は、「自分の価値観にとらわれず配球を考えるようになった」と振り返る。
そして、「お前が本気になってチームを勝たせるんだ」という古田の助言を胸に、1年間戦い続けた。
負けず嫌いの古田敦也イズムそのままに、「キャッチャーが率いるチームスワローズ」を中村が体現した21年シーズンを目の前で見て、私はとうとうそのときなのではないかと、そう思っていた。

球団から、背番号27を付けることを打診された中村は、古田に「27をください」と頭を下げに行った。
古田は「いいよ」と答えた。
中村は、日本一になった背番号2を手放すことを一瞬躊躇したが、憧れの背番号を継承することを決意した。

2022年1月9日日曜日。古田がスポーツキャスターを務める「サンデーLIVE!」で高津臣吾と対談した古田は、高津から「嫌じゃなかったですか?」と聞かれ「全然、全然」と答えた。

古田「今まで自分のサインに“27”って書いてたけど、書けなくなっちゃった」
高津「027ですね」
古田「027?俺が“0”付けんの?笑」
高津「育成になっちゃいますね笑」

背番号27が、15年の時間を経て自分の手を離れる。今はまだ、茶化すのが精一杯。27の継承について、しばらくは冷静に語れなさそうだ。さぞかし、悔しかろう!古田敦也!

——そして青木さん、チームリーダーとして伺います。このところヤクルト投手陣、4試合連続、無失点!青木さんから見てどんなふうに見えてますか?

「いやーほんと素晴らしいですね。あのピッチャーもそうなんですけど、やっぱりキャッチャーも、本当にもう中村が、先ほど古田さんの話ありましたけど、ほんとにそういう、強い意識を持ってシーズンに臨んでたと思うんで、本当バッテリーですね。本当に。それと同時に野手もみんな、しっかり守って、少ない点数でもこうやって勝ってるんだと思いますし、本当にいい流れですね、はい」

誰の心からも、古田敦也は消え去っていない。だから、ムーチョと張り合うのもいいけれど、これからも、ヤクルトを、ヤクルトのキャッチャーを導き続けてくださいよ、

負けず嫌いの、古田敦也さん!

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