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「ムーチョに27番を」中村悠平、その人 ●B×S○日本シリーズ2021第6戦

ヤクルトの歴史は、キャッチャーありき。

それまで万年Bクラスだったヤクルトに黄金期をもらたしたのは、野村克也と古田敦也という、二人のレジェンドキャッチャーだった。

古田は、とにかく厳しく育てられた。配球は全部覚えているのが当たり前。守備が終わりベンチに戻ると「あの球はなんや!根拠を言え、根拠を!」と叱られる。
「お前が中途半端に構えてるから変なところに投げるんだ!」。ピッチャーの投げ損じも、すべて古田のせいだった。

野球を知らない、したこともない私も、そんな野村の教育を受けた一人だ。笑
だから、野村ー古田の師弟コンビのキャッチャー論がそのまま、“キャッチャーのあるべき姿”として刷り込まれていった。

そして実際、その古田が牽引し、92年から2001年までの10年間で5回の優勝、4回の日本一を果たす「ヤクルト黄金期」を築いたことで、ヤクルトファンのキャッチャー像は、イコール古田敦也になっていった。

だから、古田が脱いだユニフォームに書かれた背番号『27』は、神格化された古田敦也に見合った人しかつけてはならぬという不文律が、ファンの間に生まれた。
古田が2000本安打を達成した“打てるキャッチャー”であったことも、「ヤクルトのキャッチャー 」という“職業”に付加価値を付けた。

ヤクルトには、永久欠番がない。しかし、背番号「27」は、2007年、古田の引退とともに「名誉番号」となっている。他球団で言うところの「準永久欠番」だ。球団または古田本人のお許しがなければ、“誰もつけてはならぬ番号”。それがヤクルトの背番号「27」だ。

今年、2月の浦添キャンプで古田敦也臨時コーチが誕生し、ヤクルトバッテリーが直接指導を受ける機会に恵まれた。
令和に復活した、野村ミーティングならぬ“古田ミーティング”では、ピッチャーとキャッチャーに向け「お前たちで勝つんだよ」ということを伝えた。
キャッチャー特守では、練習前に「俺たちで勝つぞ!」と円陣を組み、「もっと感情を出せ」と、捕逸1回につきモノマネを披露するという罰ゲームも取り入れられた。

キャッチャーの中村悠平は優勝会見で、「古田さんに“お前自身がチームを勝利に導くように必死にやりなさい”と言われた」と言っている。
古田敦也が、野村克也に必死に食らいついたように、今度は中村が古田の教えを守り、一年間戦い抜いた。

財を遺すは下 仕事を遺すは中 人を遺すは上

野村克也の愛する言葉のひとつだ。そのとおり、古田敦也という人を遺し、その古田敦也が、中村悠平を育てた。
そしてこのヤクルトの伝統が今日、日本シリーズ制覇という成果をもたらした。

日本シリーズMVPのインタビューで、ずっと鼻声だった涙目のムーチョを見つめ、私は、2015年から抱いていたこの気持ちを、とうとう抑え切れなくなっている。

ムーチョに27番を。

日本シリーズ第4戦 ゲームセット

今ではないのか。中村悠平、その人ではないのか。日本一の、キャッチャーだ。


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