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どこまでも真面目な男たち~Swallows DREAM GAME

安田猛さんが亡くなった。

私がヤクルトファンになった時、安田さんは引退していた。現役時代に投げる姿は、たまたま出くわしたテレビのアーカイブを見て知った。
私はつい、「安田スカウト」と言ってしまう。コーチ時代もちゃんと見ているはずだが、編成部長まで務めた安田さんのイメージは、背広組だ。

ずっとヤクルトの中の人だった安田さんが退団し、母校・小倉高校の指導に当たるというニュースに、「遠いなぁ」と思ったことを思い出す。しかしその直後、胃がんが見つかったという事実は、そこそこ後になって知ったことだ。
診断は、スキルス性胃がん。ステージⅣ。余命1年。2017年2月のことだった。

2019年7月11日木曜日。ヤクルト球団創立50周年の記念行事「Swallows DREAM GAME」が開催された。ヤクルト球団初の、OBゲームだ。
現役時代を見てきた選手が、懐かしいユニフォームに身を包み、動かなくなった体でグラウンドに立つ。当日は、雨。あいにくの天気など、楽しむことに何の関係なかった。ずっと笑って、ずっと泣いていた。

録画した中継も、何度も見た。2020年2月11日。野村克也さんが亡くなったその日にも、繰り返し繰り返し見た。

「今は最下位!何をやってんだ!」

野村克也の喝が神宮球場にこだまする。場内は大爆笑。16連敗に疲弊したあとに、そういう「前の向き方」をするのが、ヤクルトファン流なのだ。

録画を見ていると、いろいろなことに気づく。
3塁側「Swallows LEGENDS」チームは、1978年ヤクルトスワローズ初優勝当時のメンバーを中心に構成された。
監督は、若松勉。2000本安打達成の「小さな大打者」、背番号1のレジェンドだ。ヘッドコーチは、当時の監督・小川淳司。
中継では、3塁側ダグアウトの様子を捉える。若松監督と小川ヘッドコーチは、ホワイトボードの前で編成会議をしていた。

……いや、誰でもいいでしょ!

レジェンドチームには、60~70代になったレジェンドの身体状況を考え、引退したての30~40代も名を連ねていた。50代は、ヤクルト黄金期のメンバーで構成された1塁側「GOLDEN 90’s」に集中していたが、平均年齢なら同じくらいになるのだろうか。
レジェンドが出続けるのが難しければ、若い衆を出せばいい。OB戦だよ?そんな、ホワイトボードを使ってまで作戦練ること?

八重樫幸雄は、大車輪の活躍だった。マスクをかぶり、そんきょとスクワットを繰り返す。打撃では、ショート後方へ落ちたレフト前ヒットで出塁した。後が続き、八重樫は3塁まで進塁。八重樫は3塁到達時、左大腿部に手をやった。無念の故障交代だった。
インタビューでそのときのヒットについて聞かれ、八重樫は答えた。
――激走、大丈夫ですか? 「左足やってしまいました」
――ヒットはうれしかった? 「どうなんだろ。詰まってたからね」

真面目か!

そう、この世代のヤクルトの選手たちは、とにかく真面目なのだ。お祭りのOB戦でも手を抜かず、メンバー編成に頭を悩ませ、ポテンヒットに納得しない。リップサービスができない、遊びの部分がない、どこまでも真面目な大人を見て育ったオールドファンの私は、これが心地よく、幸せなのだった。

始球式には、中学時代にテレビで安田猛を見てヤクルトファンになった、ファンクラブ名誉会員No.1の出川哲朗が登場した。
先発投手の安田と、マウンドであいさつを交わす。背番号は「DEGAWA 22」。同じ背番号を付けた憧れの野球選手に見守られながらの始球式だった。振りかぶった出川のズボンが落ちるハプニング(という計算?)もあった。

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プレイボール。スタメンマスクは、大矢明彦だ。同級生バッテリーの復活に、神宮は雨を吹き飛ばす熱気を帯びていた。しかし安田は、2球投げたところで自ら交代を申し出る。監督・若松勉が交代を告げ、安田はマウンドを降りた。

試合後、閉幕の式典が終了した後、選手たちが場内一周をした。ゆっくり歩きながら、スタンドに手を振る選手たちの最後尾は、カートに乗った野村克也と安田猛だった。
野村監督が車椅子生活なのは知っていた。当日も、黄金期チームの息子たちに支えられバッターボックスまでたどり着いた。足はやせて、細かった。歩いて場内一周はできないだろうことは容易に想像できた。

しかし、安田さんも?たしかに、手術の影響なのか、たどたどしい足取りだった。場内一周するには時間がかかるということなのか、それとも場内一周するだけの体力がないということなのか。野村監督の隣に座る安田さんを見て、急に突きつけられた厳しい現実に気づかぬ振りをして、私はビデオでその様子を撮影した。

試合の途中、実況席にゲスト解説として呼ばれた安田さん。がん闘病中ということをまったく感じさせない、嗄声もないハキハキとした口調でだった。
2017年2月の余命宣告から2年5か月。ステージⅣの胃がんも、こうして克服できるものなのだと、希望を持った瞬間だった。

それから1年7か月。1年だった余命が4年まで引き延されたその間に、あの日のドリームゲームがあり、安田さんに会えたことを、せめて今は感謝するしかない。

安田さん。あの2019年から「私はヤクルトファンでよかった」と、そんな風に人生を振り返る日々が続いています。こうして、野球を書くということも始めました。
春季キャンプにやって来た古田敦也臨時コーチは、初日のあいさつで「スワローズをつくってくださった歴代の先輩も含めてオールスワローズで戦おう」と選手たちに言ったそうです。
そのオールスワローズの中に、安田さんがいます。苦しい闘病生活を終えたばかりですから、まずはゆっくりお休みいただきましたら、神宮の上空から、現役たちの勇姿を見守ってください。私は、村上宗隆のホームランのたびに、その空を見上げます。

ありがとうございました。

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