見出し画像

声出しが再開されると聞いて

スタジアムに響く、チャント、歓声、ブーイング。お互いのサポーターの感情が声や手拍子を通してぶつかり合う。サッカー観戦の醍醐味はここに詰まっていた。

そのことに関連して、高校3年生の時に読んだある現代文の問題にこんな話があった。なぜ人間はスポーツを見ることに熱中するのか。筆者曰く人間はスポーツを見るとき、選手と観戦する人間の体が一体化するらしい。それにより、まるで自分のことのように選手の一つ一つのプレーに熱中し、時には感情的になるのだ。

しかし大人の世界ではどうだろう。感情的に行動すると確実に損をする。感情とはコントロールするものである。これが社会の常識だ。

そんな社会でスタジアムは感情で溢れてる。贔屓チームのゴールが決まった時は、立ち上がり、声を出して喜び、相手にゴールを決められた時は全力で悔しがる。

その後、サポーターは選手たちに最後の1秒まで諦めるなという思いを乗せ、チャントが再開される。そこには老若男女関係ない、社長だろうが部下だろうがやることは皆同じなのだ。要するに、スタジアムは声を出して感情むき出しでいられる場所であった。
週末になるとJリーグがある。
「来週もスタジアムで会おうぜ」なんて言葉を交わしてサポーターは帰路に着く。そんな日常が突如として未知のウイルスによって奪われた。
あれから2年。スタジアムにはゴール裏から録音音声が流れ、手拍子で選手たちを鼓舞する。ゴールが決まった時は控えめに喜び、静かに観戦する。明らかにスタジアムは変わったのだ。「New Normal」なんて空虚なスローガンを掲げながら。

「Jリーグが声出し応援を再開へ」なんてYahooニュースの見出しを見た時、私は胸の昂りを抑えられなかった。

2年ぶりにチャントが生で聴けるわけである。

2年は短いようで長い。私は高校3年生から大学2年生になっていた。

自粛期間になり飼い始めた生後3ヶ月のハムスターは寿命を全うして天国へと旅立った(ハムスターの平均寿命は2年)待ちに待ったチャント解禁。

友人の中にはコロナ禍になり初めてスタジアムでサッカーを観戦したという友人もいる。スタジアムはお互いの感情が声となりぶつかり合う、魅力的な場所なのだ。
そんな世界を早く体験してほしい。

残念ながら我が贔屓チームのアビスパ福岡最初の声出し検証試合であるルヴァンカップの鹿島アントラーズ戦は見に行くことは叶わなかった。しかし焦ることはない。この後も声出し検証試合は予定されているのだから。(8月3日、8月6日、8月10日、8月14日、8月20日と声出し応援は5連戦である)

声出しに対するリスクを検証していくという名目のもと、現在は声出しを行うクラブは当該試合でのスタジアム定員に関する50%の観客制限を受け入れなければならない。これはクラブ側にとってはかなりの痛手である。簡単にいえば満員になると受け取れるチケット収入の半分しか得ることができないのだから。

それでも、アビスパ福岡をはじめ様々なクラブが関係自治体との協力の上で声出し応援実施に動いていただいてるのは、クラブに関わる人たちが、スタジアムにゴール裏の応援は必要不可欠なものであると考えているからである。日本のJリーグが置かれている現状を鑑みると「海外では、もうすでに声出しが〜、日本は遅れていて〜」と言っているだけで状況が好転するかといえば難しい。
ここは素直に、「行動してくれた人たち」すなわち段階的な解禁に向けて動き出してくれたJリーグ、各クラブ、関係自治体に対して感謝の拍手を送りたい。

ありがとう。サポーターが最後の1秒まで選手たちと共に戦える機会を与えてくれて。
一生懸命感情を表現します。声で。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?