風と共に去りぬ、でカマド燃ゆ。
こんにちは。花の4連休いかがおすごしですか。こちらは真っ青な海ではしゃぐお客さんを遠い目で見ながら、ステイホーム中のじじょうくみこでございます。
いきなり古い話で恐縮ですが、わたしが生まれて初めて夢中になった本はマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』でありました。あれは確か、中学のころ。学校の図書室で借りてきた分厚くて大きな単行本を、ちょっと背伸びした気分で持ち帰ったことを覚えております。
(あたしったらこんな大人の小説を読んじゃったりするのよ)的なカッコつけで借りたはずが、開けたら最後ユーキャントストップ、ページをめくる手が止まらなくなり、そのまま部屋に閉じこもってほとんど飲まず食わずで読破。読んだ後は数日間、自分がどこにいるのかわからないくらい、身も心も持って行かれて放心状態になったのでありました。
思えばオジサン好きのルーツはこれかもしれない
あの衝撃はいまでもわたしの宝物なわけですが、ああそれなのにわたしったら長らくこのタイトルを「風と共に去らない」という意味だと勘違いしていたのであります。
バカか。ああバカだ。
だって「去りぬ」って。「ぬ」って。あまりにクラシックな響きなもので、時代劇でよく聞く「それは殿に申し訳が立たぬ」とか、電車で車掌さんが言う「お忘れ物などございませぬよう」的な否定の言葉だと勝手にイメージしちゃったんですよねえ。
レットバトラーは去ってもわたしは去らないわ、生きていくわタラへ帰るんだわっていう決意表明かと思っておりました。それじゃ「風と共に去らぬ」ですよね、全然意味わかってなかったのがバレバレですねトホホ。
というわけで、今回は風と共に去るとか去らないとかいうお話。カマド一族シリーズ第3弾です。
シマ島のスーパーでバイトを始めて、3ヶ月になろうかというころのことです。
はじめこそスーパーを経営するカマド一族に悩まされっぱなしのわたくしでしたが、慣れというのはおそろしいもので、彼らの自由さにもだいぶなじんでまいりました。頭で考えてからでないとできなかった作業も、毎日反復しているうちに自然とカラダが動くようになり。NBK(ノロい・ぶきっちょ・気がきかない)のわたしでもそれなりに形になってくるものだなあと、改めて人間の底力に感動すら覚える日々。
緊張のあまり、お釣りをわたす手が震えていたレジ打ちも、
「大丈夫よ。覚えること多くて大変だもんね。落ち着いて、もう1回最初から打ち直してみようか」
なんてお客さんに泣けるフォローをしてもらって、どうにかこうにかこなしております。レジに入ってよくわかりましたが、シマ島のひとは本当に優しい。失敗しても誰ひとり怒るひとはいないし、商品が品切れしても「あるもので食べるよ」と笑って帰っていかれます。ザビ男にも感じたことですが、やはり島民は肝の座り方が違う。
ただまあ岡本夏生似の副社長夫人、カマドアケミの攻撃は相変わらずで、
「くみちゃん、えのきの値段、間違ってるよ」
「くみちゃん、ここはこうやって陳列するように言わなかった?」
「くみちゃん、混んでいたら自分でレジに入ってよ」
と毎日毎日くみちゃんくみちゃん呼ばれております。なかには誰かのミスをわたしのミスだと勘違いされることもあり(新人の宿命ですね)、キリキリしたりモヤモヤすることもありますが、
「くみさん、ちゃんとレジ入ってるのにねえ」
陰でそんな風に励ましてくれるハートウォーミングなバイト仲間がちょこちょこ現れてきたので、あまり気にならなくなってきました( ´ ▽ ` )
ところで。シマ島へ移住するにあたって、いろんなひとから言われていたことがあります。
「シマ島の冬はつらいよ。鬱になるひともいるから、気をつけて」
夏はごきげんリゾートなシマ島ですが、冬になると暴風が吹き荒れ、どこにも出られず誰も来ない絶海の孤島と化すというのです。その風というのが尋常じゃない強さで、家に閉じ込められて風のゴーゴーというおそろしい音を聞いているうちに精神を病むんだとか。逆にいえば「冬を越したら島民として一人前」と認知されるようで、新米島民としてはどんな冬になるのか戦々恐々としておりました。
ある日のこと。いつものようにバイトに入っていたのですが、朝来たときは穏やかな陽気だったのに、突然スーパーのガラス窓がバリバリと音を立てて揺れ始めました。そしてひとりのおばあちゃんが店に入るなり、興奮気味にこう言ったのです。
「吹いたな!」
冬の西風がやってきた瞬間でありました。
西風キタコレ
まっさきに動き出したのは、島のおばあちゃんたちです。風が吹くか吹かないかというころから次々と入店し、「吹いたな」「ああ吹いた」「吹いたよ」「ええ吹いたわね」と小津安二郎映画ですかという感じで口々に言い合っては、いそいそと食材を買い込んでいくのです。
つづいて食材確保できないと困る飲食店の仕入れ隊、そして小さなお子さんを連れたお母さんたちがどんどこやってきて、小さなスーパーはあっという間に通勤ラッシュ状態に。
この景色には見覚えがある。ああそうだ、東日本大震災直後の東京だ。
あのときもスーパーに長蛇の列ができて、陳列棚からものが消えていきました。ただあのときと違うのは、わたし以外の誰もがこの状況に慣れている、ということ。あわてることなく、ぬかりなく、風が吹くであろう日数を計算しながら食材を黙々と買い物をこなしていく様子に、島民の静かな熱のようなものを感じたのです。
あのときと同じように、最初に品切れしたのはパンでした。島のみなさんは畑で野菜を自家栽培しているので、冬に栽培できない葉ものも順番に消えていきました。やがて惣菜が消え、牛乳が消え、乳製品が消え、カップ麺が品薄になっていきました。
さあ、ここからがスーパーの腕の見せどころです。早速カマドアケミがやってきました。
「くみちゃん、いくよ」
「は、はい」
「バックヤードにある野菜をどんどん袋詰めして」
「はい」
「葉ものは足が速いけど、全部なくなると夕方買い物に来るひとが困るから、様子を見ながら出して」
「はい」
「レタスが切れたら、白菜を多めに出して。1玉と半玉はなしで、全部1/4カットね。棚の手前にダンボールごと積んでいいから」
「はい」
「キャベツは1玉を半分にカットして、ラップでくるんで出してみて」
「わかりました」
「かまぼこは出る? 納豆は?」
「練り物系は売り場にたくさんあったので出ません。納豆は出ます」
「じゃあ納豆だけ出そう」
「へい」
その日はまさに、戦争でありました。いつもはあまり動かない野菜まで、品出ししたそばからなくなるという驚異のハイスピード。切れては出し、切れては出し、あれないのこれ出るのという問い合わせに応え、帰宅後はあまりの疲れでごはんも食べずにコンコンと眠りました。
翌日も風は吹き荒れ、外にいると顔が痛くてとても前を向いていられません。風速は25メートル。それってアレですよ、台風が来て「ケガをする恐れがありますので、外出は避けてください」って天気予報で言われるレベルですよ。それが数日続くのが日常となれば、そりゃメンタルやられるわ島の冬…。
そんななか、いつものように出勤すると、青果コーナーはすっかりからっぽになっていました。まばらにないと不安になる陳列棚も、ここまで何もないとむしろ清々しい。棚ってこんなに白かったんだ、などと考えながら、どこかゾクゾクするような興奮を感じている自分がおりました。
バックヤードの冷蔵庫にも、ほとんど何も残っておりません。船は当然、欠航。荷物はしばらく入りそうもありません。さあ、どうするカマド一族!
「おっはよ〜♪(´ε` )」
精肉担当の副社長、カマドナツミが拍子抜けするほど陽気に現れました。肉は在庫が豊富なようで、いつもは適当に並べているミートコーナーが、今朝はびっしりと商品が埋まっています。カマドナツミ、今日は働いている(失礼)
いつもはお店がオープンしてからやってくるカマドアキラ社長も、この日は出勤済み。華麗な包丁さばきで魚をさばきながら、
「根菜はまだ在庫があるから、それ出して。カップ麺は倉庫から持ってきて。今日の特売は荷物が来ないから延期しますって札を貼って。そのかわり昨日の特売はそのまま特売値段のままにしといて」
と次々に指示を飛ばします。カマドアキラがこんなに喋っているところを初めて見ました。
本土から帰島するはずだったカマドサユリ社長夫人が、欠航をくらって足止めされたため、店の切り盛りはすべてカマドアケミの仕事。朝一番からいつも以上にくるくる動き回り、でも心なしか、ちょっと楽しそうです。
「くみちゃん、根菜を並べられるだけ並べて。品切れしている野菜の棚まで広げて置いてかまわないから」
「はい」
「果物の在庫は?」
「みかんが少しと、りんごはまだあります」
「じゃあみかんは全部出そう。おばあちゃんたちが取りやすいように、手前に低く並べて」
「へい」
「私はカップ麺を倉庫から取ってくるから」
「わかりました。あと、今日はカレーが出るんじゃないかと……在庫がバックヤードにあります、出していいですか?」
「オッケー。あるだけ出しちゃって!」
「へい!」
結局、風はしばらく吹き止まず、欠航が続いて食材は4日間も届きませんでした。最終的にはスーパーの棚から食べ物はほとんど消え、
「なんもねえな!」
「ないですねえ」
「明日もねえかな!」
「船、来るといいですねえ」
「んだな。明日来るわな!」
「はい!」
そんな風にお客さんと笑いあいながら、嵐の日々は過ぎていきました。
5日後。ようやく風がやんで、念願の船がやってきました。今度は荷物がバックヤードに入りきらないほど入ってきて地獄を見ましたが、流通が当たり前に動く幸せをかみしめると共に、ないならないなりに工夫する楽しさを知った、そんな冬の日。ちなみに「4日も来ないなんて大変でしたねー」とおばあちゃんに声をかけると
「むかしは10日船が来なかったことがあるんだよ。あんときはヘリで食べ物運んでもらったなあ。それに比べれば4日なんて屁でもねえ。極楽、極楽、温暖化サマサマだべ♪( ´▽`)」
と言われて島民おそるべし、と改めて畏敬の念を覚えた、じじょうくみこでありました…。
それではみなさま、また〜。
Illustrated by カピバラ舎
*この記事はウェブマガジン「どうする?over40」で2015年に掲載した連載の内容を一部アレンジして再掲載したものです。
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