初産での双子妊娠・出産体験記
2023年7月、第一子&第二子を経膣無痛分娩で出産しました。
1月に双子と判明してから自身の心境や体調の変化をぽちぽち記録していたので、それと合わせて出産を終えるまでの体験記を書こうと思います。
読む上での参考程度に私のプロフィールです。長めなので出産からの記録だけ読む場合は妊娠後期②(33週〜)に飛んで読んでください。
初産、出産時年齢31歳、東京都在住
フルタイム勤務
Webエンジニアとして働いており、基本リモートワークで週1くらいの出社頻度
妊娠初期①(~9週)
年末、仕事納め翌日に病院で妊娠陽性判定を受ける。次行った時無事に心拍確認できるか、流産していないか不安だったが年始の心拍確認でまさかの双子と判明。人生で一番びっくりした瞬間だったし夫に即電話したらさすがに数秒言葉を失ってた。
心拍確認した病院で産む想定でいたのだが、双子の分娩はウチではできないので紹介状を書くから別のNICUを備えた周産期医療センターのある病院で早く分娩予約した方がいい、と言われ突き放された気持ちになる。
病院によっては8週あたりで分娩予約しないと間に合わず翌週紹介状出すからそれまで一週間で決めてということで、複数の大学病院と出産費用が高い有名な病院などをおすすめされる。そもそもまだ双子という事実を自分自身受け止めきれていないのに多胎妊娠対応可の限られた病院から希望する分娩施設を探さねばならないことに困惑。嬉しさより不安しかないが、報告した双方の家族や友人、仲の良い同僚などからはひたすらお祝いの気持ちを贈ってもらえて、不安を煽られるようなことを誰からも言われなかったのに救われた。
教えてもらった大学病院や都立のNICUのある病院をいくつか調べ費用感などを直接電話で聞いてみて、最終的に家からのアクセスがよく費用も(普通の病院より高いけど)妥当な某大学病院に決める。母子手帳をもらい、以降は大学病院での妊婦健診がはじまる。
そこでの初診まで、急につわり&胸の張りがなくなったので流産してないか心配になり、心拍確認してもらった病院で診てもらうというのを二回やる。出血なければ大丈夫だから、と言われはするがこちらは些細なことでも不安が尽きないのでちょっとでも心配だったら診てもらうくらいで良いと思う。(今となっては)
妊娠初期②(10週~)
葉酸サプリと、貧血で処方された鉄剤、便秘で処方された酸化マグネシウムと色々な薬を飲むのがしんどくなってきて放置しはじめる。二度目の妊婦健診に行き、ひとりが手足をジタバタさせているのを夫と経腹エコーで見る。これまではずっと豆粒だったのに急激に成長していてびっくりするし、かわいい。急に実感が湧いてくる。
仕事は在宅中心とはいえ、平日フルタイムが体にはしんどいのかとにかく眠くて土日は泥のように寝てばかりいる自分にストレスを感じる。水がまずくて飲めなくなる。つわり症状は以下のような感じで、おそらくひどい方ではなかったので良かった。
常に軽い車酔いのような状態で夕方以降悪化
匂いづわり、食べづわりはなく目立つ体重減少はなし
朝に胃が空の状態で胃液を吐くことが多くて喉が痛かった…
食の好みの変化
かむかむレモンとかレモン系のお菓子をよく食べてた
大好きだった和菓子洋菓子、ブラックコーヒー、肉などが自然と欲しくなくなった
14週くらいから夜の気持ち悪さに加えてお腹の張りが出てくる。当初上長に妊娠報告したころには体調もそこまで悪くないので働くだけ働いてから産休入りたい!と言っていたが、仕事してても「これ以上はセーブしないとしんどい」と思うようになりバリバリ働いて出せるだけ成果出すぞという気持ちが薄れてきた。仕事のストレスも前より感じるようになり、もはや休めるならもう休みに入りたいという気持ちと葛藤しながら毎週月曜を迎える。
妊娠中期①(18週〜)
安定期と呼ばれる時期に入ったが安定期はないと思ってねと主治医に伝えられる。大きくなって張るお腹と、内蔵が圧迫されるせいで常に気持ち悪さを感じていて体調万全と言える日がなく毎日落ち込んでいる。肌荒れはするし風邪も簡単に治らなくてしんどい。仕事のストレスは少なくなったけどやっぱ週5勤務って多い。
20週最終日に初めて胎動を感じる。金ローのボヘミアン・ラプソディで最後のライブシーンを見てる時だった。将来有望!そして21週からはポコポコモニョモニョと、一気に胎動を感じることが増える。
単胎妊娠を経験してないので比較はできないけど、お腹が単胎の人より早く毎週大きくなっていくこと、自分で自分の体を制御できないこと、双子というだけでハイリスク妊婦に分類され妊娠中に多数の疾患が発生する可能性があること、それらがこれまで辛くて仕方なかった。が胎動を自覚したあたりから、自分が妊婦であることと双子がお腹にいることにようやく慣れてきた気がする。お腹の成長スピードも仕方ない他の人と同じように体が動かせないのも仕方ない、なるようになれ。そんな風に腹が決まったらメンタルも安定してきた気がする。仕事のやる気もブーストかかってきたし、体力温存するために在宅を多めにした。性別もようやく確定する。なんだかんだ友人と会ったり、仕事帰りに同僚とご飯に行ったり案外好きに動いていた気がする。
妊娠中期②(24週〜)
産休は出産予定日の6週間前から取得できるのだけど、双子以上の場合は14週前から取得できる。ということで引き継ぎらしい引き継ぎは全然してないけど、チームメンバーに委譲してくところを徐々に増やしていきはじめた。
産休に入るまで残り一週間というところ、4週ぶりの健診で子宮頸管が短くなっていると言われる(これが短くなると早産の可能性が高まる)。単胎より早いペースでお腹が大きくなってるので、支える頸管も早く短くなるのももう仕方ない…。
とりあえずこのまま短くならないか来週も様子を見よう、安静にしろと言いたいけど寝てばっかりもそれはそれで良くないので程々にゆっくり過ごせという曖昧な指示で入院書類を持たされて帰るが、言われた頸管長で調べると病院によっては即管理入院レベルのようなのでとりあえずこれまでで一番安静生活をしようと夫と話す。
もう会える日が限られてきたので色々同僚との約束を入れていたのだが、悲しいけど最終勤務日まで完全に在宅で過ごすことにする。お腹が張ってきたら即横になるのを心がけたおかげか、最終勤務日かつ再健診の日出社前にまた病院で計測してもらうとほぼ変わらず、最終勤務日に顔を見せることなくそのまま即入院という事態は免れた。
妊娠は望んでいたのだけど、それはそれとしてやっぱりキャリアが分断されることへの恐怖はあって、仕事から離れるのは嫌だった。けど、同僚たちからとてもあたたかく送り出してもらえたので頑張って安静にして無事に産んで、また戻ってバリバリ働くぞ、と決心して最終日を終えられた。
25週で休みに入りやっぱもう少し働けばよかったなと思ったのも束の間、26週から本当に日常生活で動くのもしんどくなってしょっちゅう横になる生活になったのでとっとと入って正解だった。産休は双子は14週前となってるのは根拠があるんだ。強くなる胎動や動悸で眠れない日々。メンタルが死ぬ。基本安静で生活しつつ、産後は行ける時間がなさそうなのでいくつか保育園見学に行った。見学時にもう一人お腹大きい妊婦さんと一緒に案内されてこの人はもう臨月かなと勝手に思ってたら、案内してくれた園長先生に自分だけ「もう今月産まれる予定ですか?」と聞かれ、自分が思ってるより自分の見た目は臨月妊婦なのか…とやっぱり悲しくなる。
分娩方法の選択
双子は2人とも頭位(逆子でない)のでこのまま位置が変わらなければ帝王切開ではなく経膣分娩も選択できるが、分娩方法をどちらにしたいかということと、経膣の場合は無痛分娩も選べるけど無痛にするかどうかを先生から聞かれる。母体と赤ちゃんへのリスクは双子だと帝王切開も経膣も正直変わらんとのことでだったらもうこちらで選べないから先生決めて…と思いつつ、産後の回復を考えるとやはり経膣の方が良いのかと思い、同席した夫からも「(経膣の場合)無痛が選べるなら無痛にしない理由ないと思う」と背中を押してもらえたので一旦無痛での経膣分娩を希望すると伝える。
伯母(母の姉)が同じく二卵性の双子を40年程前に経膣分娩で出産しているのだが、その時は産んで初めて双子だったというのが発覚したらしい。それは起こりえないが、しかし1人目が出た後2人目が逆子になったりだとか、何かしらのトラブルが発生して緊急帝王切開になる確率は高そうだし、もうどっちにしろお産はしんどいだろうという不安しかなかった。
妊娠後期①(28週〜)
管理入院開始
やっと後期突入。そして子宮頸管が短くなってきてることを指摘されてから4週目、一定ラインを下回り、先生から「もう1週〜2週様子見してもいいかもだけど、もう入院します?」と切り出される。もう体が思うように動かないし病院で管理されてた方が万一の際安心だと夫とも意見が一致したのでそうする。ここまでよく頸管もったかもしれない…。切迫早産での管理入院となり、おそらく1ヶ月以上になる入院生活は初めてだけど、点滴使って安静にしてないといけないレベルではないのでひと安心。食っちゃ寝しかできず無為に時間を過ごすことのストレスはあるけど、むしろ双子に1日でも長くお腹にいてもらうためには何もしないことがやるべきこと、今の仕事と言い聞かせて食っちゃ寝する。
が、「まあ食っちゃ寝生活がんばろう…」という感じだったのが29週、30週と週数が進むとずっとベッドに張り付かざるを得ない体のしんどさになってくる。入院後は毎日の胎児心拍確認と、定期的にNST(ノンストレステスト)で胎児の心拍+お腹の張りがあり子宮収縮しているかを計測するのだが、このお腹の張りがほとんど検知されない。こちらは胎児が2人入っててお腹は常にパツパツなので張りと言われてもよく分からない状態で、それでも今は張ってる気がすると自覚症状を伝えても助産師にお腹を触ってもらうと「これは違いますね」と言われてしまう。張りがないのでただ頸管長を毎週計測し、急にお産にならないか穏やかに見守る日々。じわじわと短くなっていくが自分で制御できないので数ミリ短くなってるか保ってるかで毎週一喜一憂するのに疲弊していく。
退院したい気持ち、このまま病院にいるのが一番良いんだと思う気持ち、いよいよ後期に突入して母体と赤ちゃん2人が両方無事に生還できるのかの不安でメンタルが安定しない日々。コウノドリを読んで泣く。(この時期にコウノドリを読んではいけない)胎動はゴリゴリ痛いし寝るのも辛いので、切迫早産でいつ産まれるかって話以前にこの日常生活困難レベルで自分の体はどこまで持つのかも恐ろしくなってきた。今日も3人で1日でも週数稼ごうな…って毎朝決意しながら生きる。
計画分娩日決定
主治医と話し、経膣での計画無痛分娩が37週0日に決まる。無痛麻酔の説明を麻酔科の先生から聞く。また主治医にこの病院で双子の経膣分娩はどのくらい実績があるのかというのを聞いてみても多くはないですとしか回答が得られていなかったのだが、助産師に聞いてみたところ一番最近で一年前、しかもその人は経産婦だったということを知る。そもそも双子という時点で件数は少ないし、経膣で産むための条件が限られているのもあるが「初産で経験した人がこの一年以上居ない」という事実に不安になる。また双子の場合は37週0日以後に産まれようがどのみち一旦はNICUに入る、という説明も受ける。
妊娠後期②(33週〜)
血液検査結果の悪化
初期から指摘されていた貧血は改善したのだが、このあたりで採血すると血小板の数が少なくなっていることと、肝機能のAST(GOT)、ALT(GPT)という数値が悪化していることが判明する。血小板と肝機能数値の悪化からはHELLP症候群という疾患が疑われるのだが、これは妊娠高血圧症候群の合併症として発生することが多いらしく血圧に関しては全く問題ないのでHELLP症候群ではないだろうとのこと。しかしこのまま悪化すると早めに赤ちゃんを取り上げなければならず、その時は帝王切開になるということを説明される。数値を改善するには妊娠を終わらせるしか方法はなく、内服や点滴で改善はできないので二日おきくらいで採血し注意深く経過観察をする方針となった。
2週ほど経過を見て33週5日に採血をすると、肝機能の数値がかなり悪化したので37週0日まで待たずに帝王切開する可能性が高いと説明を受ける。またここから数日で更に悪化することは無いかもしれないが明日明後日(33週6日、34週0日)の手術になった場合を想定して肺の成熟を促す注射を打つことになる。
というのは37週からは正期産になるがその前に、34週を超えると肺が成熟して自力で肺呼吸できるようになるという一つの目安がある。これまでいくつか妊娠週数での壁があったけど34週を超えてようやくひと安心できるという話をされていた。もちろんきっかり34週に突入した時点で肺が出来上がる、ということではないがせめて急に手術をするとなった場合に備えて赤ちゃんの肺のためにしておこうということになった。ここで急に明日明後日に手術する事態に備えるなんて…と一気に不安になるのだが、まあ今まで何もなかったしこの2日くらい乗り越えられるだろうと楽観的に考えていた。
お産が始まる
と楽観的に考えていたその晩から、陣痛が始まってしまうのだった。
18:30 頃 腰とお腹が連動してギューっと痛み、一分ほど持続する…というのが数分おきに発生しだす。腰の痛みから陣痛とは思わずしばらくやり過ごす
19:00 頃 夫が面会に来る。腹痛で面会ルームまで行けないのでは?と思うが少しおさまったので夫と会う
が別れた後10分間隔くらいで痛み発生するので、スマホのメモ帳に時間を記録し始める
22:00 頃 助産師を呼んでNST開始。が、張りがなかなか計測されない。
翌 0:00 頃 張りはほぼ計測されずNST終了。しかし痛みはあるので当直医師に子宮頸管長を測ってもらうと、朝の内診時 11mm だったのがそこから 7mm まで短くなっていると判明。点滴や内服でNSTで現れていないような張りの進行を抑えるかどうか(主治医が不在だが)当直の医師複数名で方針を決める、と伝えられる。今晩中に今より強い腹痛が発生した場合緊急帝王切開になる可能性はあるとのことで、その旨夫に連絡。
1:00 頃 当直医師陣の話し合いの結果以下のように共有される。
張りを抑える点滴(子宮収縮抑制剤)を打つ効果はあまりなく、点滴の副作用による母体と胎児へのリスクの方が高いので点滴はしないつもりでいる
しかし仮にここで34週未満で緊急帝王切開となった場合、私自身がどうしても経膣分娩で産みたかったからあの時点滴をしていれば帝王切開せずに済んだのに…と後悔するということなら点滴打つのも検討する
前回、経膣でと決めたが正直経膣か帝王切開かにこだわりはなく2人が無事に産まれさえすればどちらでも良いし、点滴の副作用も調べたことはあったので、下手に点滴を打って万一にも赤ちゃんに何か悪い影響がある方が後悔してもしきれない。そしてここまでで「その腹痛はおそらく陣痛です」と伝えられなかったので確証を得られず、案外一晩経ったら腹痛は治まっているかも?という淡い期待があったので、今晩はこのまま寝てみます、と伝える。
あと診てもらった当直医師とは初対面だったので、今晩緊急帝王切開になった場合いきなり面識のない医師に切られることが恐怖で、なんとか耐えて朝を迎えて信頼してる主治医に対応してほしいという思いがあった。夫に今晩電話取れるようにしておいてほしいと伝えていたのだが、とりあえず自分も寝てみるので寝ておいて大丈夫、と再び連絡。
2:00 以降 5〜7分間隔での痛みが襲ってきて全く寝られず。陣痛カウントアプリに記録しながらこれやっぱり陣痛じゃね?と思いつつ、どうせまたNSTしても張りが計測されなくて助産師に落胆されるのももう面倒臭くなってひたすら痛みの波に耐える。病室は大部屋で他にも人がいたので声を出さずフーフー息を吐いて痛みをやり過ごしていたけど、逆に個室で痛い痛いと声を出していたらより精神的に追い込まれる気がするので大部屋の病室にいられてよかったかもしれない。
7:00 頃 そのまま一睡もできず助産師を呼び、再び当直医師の内診。すると子宮頸管長 7mm → 0mm になり子宮口も 7cm 程開いていて、かなりお産が進んじゃってる…と伝えられる。他の先生が出勤次第麻酔科医や小児科医と連携を図るから待ってとのことで、「もうダメだ37週までもたなかった今日出すの確定だ」と不安になりながら病室で待機。
7:30 頃 分娩室の前室のようなところに移動。痛みに耐えていると当直の若い医師に加えて、この大学病院の産科でトップと思われるベテランの先生と麻酔科の先生がやってくる。その2人から「もう子宮口もかなり開いてるから頭から陣痛誘発する必要もないし、ここから無痛入れて、当初の予定通り経膣分娩で進めようと思うんだけどどう?」と話される。もう双子が無事に出てくれるならなんでも良い(以下略)だったので帝王切開なら即出せるだろうけどこのまま経膣だとどうなるんだ??と「経膣で進めて今日中に出てこれるでしょうか…」と聞くが、「もう昼頃には出てこれるように進めるから大丈夫^^」と言われたので腹を括って経膣分娩に同意する。
8:00 頃 分娩室に移動。この日は自分を含めて4件のお産が進んでいるらしく周囲がバタついている。主治医が毎週この曜日は外に出ていて不在なので、お産を見てもらえないの悲しいなーと思っていたのだけどわざわざ顔を出してくれて「さっき採血した結果もまた悪くなってたし今日産むのが良いだろうね。私はこの後居なくなっちゃうけど皆ついてるので大丈夫ですよ」と言ってもらえて泣きそうになる。その後、無痛の硬膜外麻酔を注入。どうしても背中が反ってしまうのでエビのように体を丸めた状態で頭と膝裏を押さえつけてもらい薬を入れてもらう。次第に麻酔が効いてきて、胸から下がポカポカしてくる。
10:00 頃 点滴で陣痛促進剤を注入していく。麻酔科の先生、産科の先生達(ベテラン先生&当直医師・研修医など若めの医師複数人)、助産師が入れ替わり立ち替わり分娩室に来て様子をみる。痛みが消えてスマホ触れるくらい余裕が出てきて、思いの外リラックスしながら家族に連絡したりする。
11:00 頃 双子の下にいる子(第一子)の方を人工破水される。麻酔科の先生が「朝食食べられなかったよね。いきむ時エネルギー使うから食欲あれば食べといた方がいいよ〜」と言い、せめて何か体に良いもの…と「牛乳飲みたいんですけど飲んでいいですか?」と聞くと「麻酔中に牛乳はダメだね〜」と即却下される。夫がこの頃には病院に到着していたので、助産師経由でポカリを持ってきてもらってそれだけ飲む。
12:00 頃 陣痛促進剤によって子宮口全開になったらしい。赤ちゃんが産道を通るためにうまく向きを変えながら下りてきているかを先生達がこまめに様子を見にきて、手を突っ込んで赤ちゃんの頭を触ったりしながら確かめているらしい(頭触れる状態ってどういうこと?想像を絶する)。
14:30 頃 「赤ちゃんがうまく下りてくるの待ってたんだけどね、ちょっと時間かかってるのでそろそろ出してあげましょう」とベテラン先生に言われ分娩室に人が集まり始める。お産が想定通り進んでいないということはこれは緊急帝王切開になりそうだ…終わったフルコースだ…と怖くなる。助産師がガウンを着て正面にいるのを見て「コウノドリで見たやつだ…いよいよ出される….」と緊張していたらそのうちいきむ流れに。何度か言われるがままいきむ。陣痛の痛みはないのだが、この状況に緊張して息が苦しくなってくる。ベテラン先生に「1人目が出てきた後2人目が回って逆子にならないようにここからずっとお腹押さえてるからね」と言われ、頷く。左で麻酔科の先生が「いきむのすごいうまいよ!!」と応援してくれる。産婦の左隣という分娩時の重要ポジションぽい位置を、産科の人ではなく麻酔科の先生が陣取ってるの面白いなと思いつつ、よく声をかけてくれる先生ですごくありがたかった。会陰切開されるが切られる感覚がないので無痛に感謝。5回くらいいきんだところで第一子、男の子が誕生。大人達の声に混じって泣き声が聞こえて涙が出る。
15:00 頃 おめでとうございます〜と口々に言われるもその瞬間のお祝いムードは長く続かず、「このまま2人目もすぐ行けそうだから行くよ!またいきむ準備してね!」と言われ強制的に切り替えさせられる。ずっと聞こえてくる泣き声に涙がジワ〜っと流れてきて、34週を迎えられなかったことがずっと頭にあったので「すみません泣いてるってことは肺はちゃんと出来上がってるってことですか…」と話しかけると左右の助産師や麻酔科の先生がそうだよ〜良かったよ〜と言ってくれて、そして子を隣に見せに来てもらい、対面してまた泣く。
気付くと分娩室が大勢のスタッフで溢れていて、産科・麻酔科の元々いたメンバーに加え他の研修医らしき人や助産師が増えている。NICUの人らしい医師や看護師もいつの間にかいた(一つの保育器につき数名のスタッフがつくのだが、双子なので ×2 の人員になる)。2人目の分娩時には総勢30人以上分娩室にいたように思う。大勢のスタッフに見守られているのは安心するし、これだけの人が自分のお産のために関わっているのだと感動した。1人目が出てから15分ほど経過したところで2人目の女の子誕生。16:00 以降 保育器に入った子がそれぞれNICUに運ばれていき、自分は胎盤を出されたり会陰の傷を縫ってもらったりして後処理がされていく。ある程度スタッフがはけたところで夫と対面。麻酔が徐々に切れていくところで夫に延々と喋り続けていたせいか気分が悪くなり飲んだポカリを吐いたりしたがそのくらいで、自分の感覚では体調は悪くない。夫と別れそのまま寝る。
19:00 頃 分娩室に夕食を運んでもらい元気にたいらげ、病室に戻る。痛み止めを飲みそのまますぐ寝るつもりが、お産のことを思い出していたら興奮して眠れなかった。
産後の話
入院していた子どもの経過
翌日、NICUに入っている2人のもとへ面会に行く。結局第一子の兄の方は1800g台、第二子の妹の方は1900g台で、小さい兄の方はまだ呼吸が少し弱いので鼻に管が入っていた。2人とも小さいので経口哺乳はまだできないが週数を考えるとその辺は想定内とのことで、大きな問題はなくひと安心。
生理的体重減少というもので2人とも産まれた後は一時的に 200g ほど体重が減ったのだが、それもあってより小さくなっていた。2日ほど新生児黄疸で光線治療をしていたりして痛々しい姿を見るのが辛かったが、必要な治療はそのくらいだったし自分が退院するまでの間は悲観せず前向きでいられた気がする。しかし退院後はNICUの面会時間がかなり限られてしまい、なぜ37週までお腹に居させてあげられなかったのかともうどうにもできないことを考えながら夜中に搾乳する日々が続いた。
結果的に兄の鼻の管も生後1日でとれ、温度管理された保育器からもすぐ出られて抱っこと授乳練習も開始でき、そのまま当初の予定よりも早く本来の37週を迎えたあたりで退院できた。小さな体で頑張って退院までのステップを一つずつ乗り越えている姿を毎日見て、2人の生命力は本当にすごいなと感動させられっぱなしだった。今後辛いことがあってもNICUでの2人を思い出して乗り越えられる気がする…。
現在は双子も1ヶ月健診を終えたところだけど、毎日スクスクと成長しており日に 50g くらいのペースで体重も増えていて保健師や医師に驚かれた。
自身の体の経過
私はといえば、上述の通りNICUに行ったり双子の入院手続きのあれやこれやで産後1日目から忙しくなった。母子同室はできないのに…。
入院後の1ヶ月くらいは日に100歩程度の歩数だったのが産後から急に一日5000歩くらいに増えた。退院後も毎日酷暑の中NICUに通い、いきなり体を酷使しすぎでは?と思いつつなんとかやれたのは、出産を終えたからこそ思うがやはり経膣分娩だったのが大きいと思う。会陰切開の傷もお尻も痛くてしんどかったけど帝王切開だと産後の回復にはより時間がかかったと思う。(退院直前で会陰切開の抜糸をしたらメチャクチャ痛くて叫んだけど)また早産により子どもと一緒に退院できなかったのは精神的に辛かったが、その分多少自身の回復に充てられたり家の準備も進められたのでそこは結果的には良かった。
母子手帳に書かれた出産時の出血量は 1600 ml ほどで、経腟分娩では 500ml 以上で多量とみなされるらしいことをふまえるとエグい量の出血だったが貧血などの症状もなかった。また出産ギリギリで問題になった血液検査での血小板や肝機能の検査項目も産後はどんどん数値が改善し、産後1ヶ月健診も問題なく終わったのだった。
母子ともに無事に出産を終えそろそろ新生児期の育児に体も心も慣れ始めた頃だけど、本当にこれまでの人生で一番体もしんどくて色々と濃い時間を過ごした妊娠期間だった。
何が辛かったかというと双子を妊娠したという点だけでいうと
初期からハイリスク認定され他の疾患や赤ちゃんの発育不全が起こりうる可能性について常に不安にさらされること
他の単胎妊婦さんよりお腹が大きくなるのも頸管が短くなるのも早くて臨月に入る前に体が限界を迎えること
何か不調が起きても「それは双子だからなりやすいです」で全て片付けられてしまう
37週までもって出産する人は少ないらしいが、やはり早産になってしまったこと
等々書ききれないが、改めて出産というのは人それぞれで単胎多胎に関わらずいつ何が起こるか分からないし、単胎だから多胎より楽ということもないしどの分娩方法なら安全で楽だということもないし、どの出産も命懸けだと実感した。「母子ともに健康です」と出産報告できるのは当たり前じゃない。また初めて長期入院して支えてもらい、この病院で出産できて心から良かったと思うし医療従事者を尊敬する気持ちが強くなった。
夫含む家族や周囲の友人、同僚にも沢山支えてもらって出産を終えられたことに感謝しつつ、今はかわいい子どもたちの成長を毎日楽しんでいる。つらつらと書き綴ったけどこの note が妊娠してこれから出産を控えている人、その周囲の人にとって何か心に留まるものになったらいいな。
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