書くことも又習慣性
山の中で、いや孤島でも引きこもりでも状況は構わないのだが「外界」と遮断した生活スタイルでない限り自分で考えるような生活を維持することはかなりの意志力が必要と実感したこの半年あまり。
一旦これまでの仕事から離れることを決断し、一年間は現場を離れた。
まさか、期間限定でお受けしたとはいえ復職するとはカケラも想像していない現在の状況である。当初は一年間のブランクで仕事の感が戻るのだろうかと心配していたのだが、長期休暇の後のような深呼吸分程度の時間を要しただけの自身をみて、つくづくこの仕事が好きだったことも再認識する。
映画を観るペースはこれまでと変わらず月に6~8本は映画館で観ていた。
自分の記録として始めたこのnoteでありながら、流石にこの半年は余裕がなく何も残すことが出来ず、只「観る」だけ。
そうした中、本当にうれしかったことは過去の映画の記録を読んでくださりスキのアクションをしてくださった方々。
ありがとうございます。
最近、心身共に余裕が出てきたのか又以前のように書き残したい、と気持ちが起こってきた。
タイトルに書いたように「書くこと」は私にとって顕示欲の為の手段ではなく、楽器を奏でるようにことばを紡いだり織ることであって切り離すことはできないらしい。例のインスタにしても、写真にことばを添えてしまう。
仕事とは違い、収入のためでもない自由なこのことばの備忘録はやはり手放せない。
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