壱岐を訪ねる二泊三日・小さな島に150を超える神社を持つ島:⑰八百万の神に守られた静かな壱岐
どこで見かけたのかは忘れてしまい、正確な記憶でも無いながら未だに「神さまに呼ばれましたね」という壱岐のキャッチコピーが頭の中に残っている。
今となってはネットの中において目新しいコピーどころか使い回された感は拭えないが、カトリック教徒の私が、加えて長崎の友人からも言われたように東京からわざわざ、なぜ壱岐? の言葉にも現われるよう説明が伴わない事柄にはこのキャッチコピーは有効に見える。
訪問地16ヶ所を時系列で以下:*四十二社◆ 壱岐七社◆◆
◆國津意加美神社(くにつおかみじんじゃ)
初瀬の岩脈
鬼の足跡
◆鏡岳神社
◇天手長比売(あめのたながひめ)神社跡
◆天手長男(あめのたながお)神社
◇月讀神社
(鬼の窟古墳)noteに記録せず
◇龍蛇神社
◇小島神社*干潮時・満潮に向かって・完全満潮時の3回訪問
◆◆白沙八幡神社
文永の役 新城古戦場跡
◆新城神社(樋詰城跡)
◆男嶽神社(おんだけじんじゃ)
御手洗水(おちょうず)の滝
◆◆住吉神社
友人の best 3 は順不同で以下:
・國津意加美神社
・小島神社
・天手長比売(あめのたながひめ)神社跡
・新城神社(樋詰城跡)
「いづれも心惹かれるというか、去りがたい気持ちになったところ」という理由。
私の best 3 は以下:
1.小島神社
潮の満ち引きという人が抗えない場所に敢えて造られた神社の姿。
島全体がすっぽり海の囲まれている全容は静かながら圧巻で忘れられない。人を拒絶してはいないが、海の中から人々を見守るその無音と絶妙な距離感。
2.天手長比売(あめのたながひめ)神社跡
神社跡とあるように階段から手前には名残が見られるものの階段を上った先には静寂しかない。
時の波にも消されなかった幾つか遺物が今にも雄弁に語り出しそうに見えながらも押し黙ったままの世界。この場所は、今とどこかの世界を繋ぐ時空の入り口なの、と言いたくなるような空間だった。明らかに空気が違った。
ほぼ何も無いに近い神社跡の筈が、寧ろその神社の魂に触れるような場所だった。
2.龍蛇神社
献上の鳥居も参道も無い、荒々しい海岸の崩れそうな岩の上で天命を全うするためにおいでの姿が異教徒であっても頭(こうべ)を下げたくなった神社。自然の中で厳しく対峙している姿が強く印象に残る。
3.國津意加美神社(くにつおかみじんじゃ)
東京であれば生活圏に神社が在っても違和感は無い。けれども、歴史を携えているように見える神社が町中に在ったことに何故か驚いてしまう。社は緑深い場所に在るといったこちらの勝手な思い込みに過ぎないのだが。
現在地は町中に見えても遠い昔は鎮守の森に在ったのかもしれない。
出迎えてくれたのは雨に穿かれ彫刻の跡も薄くなった狛犬。それでも、赤ちゃんを抱いたやわらかな姿に癒される。
3.文永の役 新城古戦場跡
教科書で学習した元寇は博多湾が舞台、そして、神風等の逸話があって終わりだった。それ以上を聞かされることもなかった歴史の一行。
北から攻めてくる蒙古軍が壱岐対馬を素通りする訳がない。
当時国交がほぼ無かった日本は世界の戦い方も知らず、集団戦法の蒙古軍に対して名乗りを上げて一騎ずつ戦う作法を取ってしまう。武器の精度も破壊力、そして、体格も違う世界は戦っている人々の感覚はさながら進撃の巨人のようだったかもしれない。
この狭い地で古の人々が日本を守って戦ってくれたことが、とても心に沁みた。歴史が繋がっていることが不思議でもあり、なぜか体感出来た。
一生の中で短期間にこれほど多くの神社を訪れることは、もうないかもしれない。実質二日間で11社の訪問を可能にしたのは神社の規模が比較的に広大ではなかったことと、神社へのアクセスが容易だったことが要因。
事前計画中はあまりの神社の多さに何を基準に選択すべきか悩みに悩んだが、結果としては実際にリストアップした神社にはどこも魅了された。そもそも、寺社仏閣で期待を裏切られること自体がない世界だったのだ。
今回時間の関係で全く訪ねられなかった北部や他の神社は次回訪問の楽しみとなる。
壱岐旅行復習にあたっては普段縁遠い神話の世界にも足を踏み入れた。古文書の世界も中々興味深い。
祈りの場へ伺うにあたっては神社も教会も同じ、そこは礼を欠かない服であること。只、細かいルールごとは改めて確認した。
参道の中央を歩かないことは常識だが、その参道にも最上位は中央、上位は左側、下位は右側であること。*社殿から見て
鳥居を潜るにあたっても中央より左側からの場合は左足、右側の場合は右足と知らないことがまだ残されていた。
壱岐の小さな島で広い世界に包まれる。
八百万の神々に守られた平和な島。
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