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壱岐を訪ねる二泊三日・小さな島に150を超える神社を持つ島:⑯最終訪問地・住吉神社

 二泊三日のとても短い旅行ながら予定を大きく超え幾つも神社等を訪問した。壱岐中心部から距離がある御手洗水(おちょうず)の滝を訪ねても16:55発のフェリー乗船までまだ時間が余ってしまう中で訪問地に加えたのが、地元の方に薦められていた住吉神社。この旅行の最後の訪問地となった。

Google map screen shot

 神社に対して学究的なアプローチもなく、かと言って御朱印帳収集或いは願掛けもない私たちには神社を当然として全方向面見ることに関しては欠けている部分があったかもしれない。例えば、カトリック教会であれば当然存在すべきものがないことを認識した時点で即違和感があるようなこと。

 記録にあたって今頃になって住吉神社の一の鳥居の写真が一枚も無いことに気が付いた。それは、友人も同じだった。
 御手洗水の滝から若干遠回りして住吉神社へ向かった私たちは北からアプローチした。
 上記写真のように住吉神社訪問後は既に訪問した感も加わりフェリー乗船場の郷ノ浦に気持ちが向いていた私たちは車の左に位置していた幹線道路脇に在った一の鳥居には気付けなかった。

Google map screen shot

 もし、郷ノ浦方面から北上していた場合は容易に探している住吉神社を右手の一の鳥居に見つけたことだろう。勿論、車での訪問の場合100m弱先にある駐車場まで進む必要がある。
 駐車場の心配など不要だった遠い昔は、この高台に在る一の鳥居から社へと下って行ったのだ。

二の鳥居

 二の鳥居は平戸藩主松浦鎮信が建立したといわれる。
 高さ4.4m、肥前鳥居と呼ばれる作りの鳥居。
 (*肥前鳥居は室町時代の末期から江戸時代初期にかけて多く造られた。その特色は笠木と島木が一体化し木鼻が流線形に伸びている。笠木・島木・貫・柱の各部分が継材となり、原則的には各部分が3本継ぎになっている。柱の下部に亀腹を設けず、柱の下部を削り出して生け込みになっている。柱の上部には、台輪をつけ楔を設けないなどがあげられる。)
 由来を知らずとも歴史の背景が伝わるようで、しばらく此処で足を止めてしまった。タイトル写真もこの二の鳥居である。

境内から見る二の鳥居

 二の鳥居をくぐる際、確かに数段階段をくだった為に、これを地元の方が仰っていた「全国でも下に下って参る神社は珍しい」のことだと勘違い。
 振り返ると、溜息をつきたくなるような階段の先に多くの神社は在った。
 確かに、幹線道路からかなり下って住吉神社は存在している。

境内

 古事記によると、神宮皇后が三韓征伐から帰る際、住吉大明神が先導し半城湾の御津浜(みつのはま)という海岸に上陸。
 当初はこの浜に住吉3神を祀る神社を建てたが、住吉大神が「波の音が聞こえないところがよい。」と言われた為、現在の場所に落ち着いたらしい。
 1700年の歴史を持つ神社だとそれもありなんと頷けそう。
 海の神さまが波音を嫌い、今は緑深い地にいらっしゃる。これはこれで御伽草子のよう。

路番号:風の路(5)
鎮座置:壱岐市芦辺町住吉東触470-1
御祭神:底筒男神・中筒男神・表筒男神・八千戈神
例祭日:
新4月第2日曜 春大祭 神幸・大神楽
新11月第2日曜 例祭 神幸・大神楽
新12月20日 奉賛 大大神楽

1841年(明治4)に国弊中社に列格し、壱岐で唯一の官社となった「住吉神社」。大阪の住吉大社をはじめ、下関、福岡の住吉神社と並び「日本四大住吉」と称されるほど有名です。平安から室町時代の貴重な文化財が多数保存され、境内の神池からは、非常に貴重な神鏡17面が発見されています。
(*壱岐観光ナビより引用)

 住吉神社のその手入れが行き届いた立派な佇まいは、初詣、お七夜、七五三祝いなど市民の生活に結び付いた神社所以かと勝手に考えていたが、こうして復習すると住吉神社もまた古事記まで遡る古い歴史を纏っていた。


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