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「ある男」:平穏ではわからない名の重みとしがらみ

 映画レビューではネタバレしないことを課している為詳しくは書けなかった部分と雑感。

 男性よりも女性は圧倒的に婚姻で苗字を変えることが多い。その意味ではこの作品を観て名前の重さや変わることへの思いが若干でも伝わるのは女性かもしれない。(*個人的なことでは属性が女性つまり女の子も含め女性である場合、ある程度人間関係の距離が近くなった時点で相手に許可を得て苗字ではなく名前で呼ぶようにしている。どのような個人的な事情が発生しようと基本名前は変わらない。)
 作品の中でも、女性の婚姻、親の再婚によって変わる子の苗字については触れていた。加えて、加害者家族の生き辛さから逃れたくての苗字だけではなく氏名を捨てたがった人も描かれていく。
 性同一性障害等で戸籍自体を変えることが許されるようであれば、法的に加害者家族が望むのであれば救済策が取れないものか。ネット社会ではTV報道よりも早く加害者家族のプライベートもさらされているのは周知のこと。

 では、名前を変えたならその後人生は上手くいくのか。
 この作品ではおそらく一例に過ぎなくとも「否」としての状況が描かれていく。単にラベルを変えても深い傷が消える訳ではないことを考えると難しい世界であることは理解できる。
 加害者家族の谷口の悲しみと伴走しながら、伴走が長くなるにつれ帰化した在日三世弁護士の城戸が表面上は収まっていた自身の出自に絡む生活に誤魔化しが効かなくなっていく。おそらく彼は自身の手で偽りだった生活を壊したようなエンディングだった。 

 この作品自体は一見ミステリー仕立てに見えても、描かれていることはラベル(レッテル)と差別(加害者家族・在日)だったのだろう。
 名前もラベルであり、仕事も当然ラベルだ。ラベルの真実性と現実との違い。中身をそう簡単に確認できないが故に一旦はラベルを信じるしかない現実の中で起きる本当のこと。

 バーに架かるルネ・マグリット作品「複製禁止」の絵から作品は始まり、この絵に重なるように城戸の後ろ姿で作品は終わる。まるで城戸の後ろ姿よろしくのルネ・マグリット作品「複製禁止」
 城戸も、また、複製禁止を知っていながら複製を手にする。
 どこにしあわせはあるのか。
 

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