見出し画像

手を抜いてもよい世界とそれは控える世界のとても個人的な線引き:オーディオブック

 今回のタイトルに限らずほとんど全ての事柄に一択の正解はおそらく存在しない。そもそも価値観が異なる土台においては方法論にも千差万別の世界があることを承知で今回の私が引っ掛かりを覚えたオーディオブックによる寝かせつけについて。

 オートマチックトランスミッションは先天性障碍の方々だけではなく、事故や病気で後天的障碍を受けた方にとっては行動の世界が狭まることなく朗報だった。一方、このオートマチックトランスミッションが後期高齢運転者に度々事故を生じさせていることも現実にある。その車がマニュアルトランスミッションであればエンストは増えてもペダル踏み込み間違いや暴走も件数が少なくなるはずだ。
 そもそも運転自体を簡単にしてもそれに伴う安全確認を簡単にすることはできない。結果、誰でもハンドルを握るようになった現状は連日のニュース報道で交通事故が消えないことでも明らか。

 読書は生活から切り離せないが、朗読を聞くことは、字を追うことから解放され想像の世界を飛べそれは既に読んだ本であっても別の世界で楽しい。
 本来なら寄席で聞くべき落語なのだろうけれども、在りし日の名人の落語を Apple Music で眠られない夜聞くこともまた好きだ。
 オーディオブックが読み語りとは一線を画し進歩していること自体は有難い。
 先達てのTV番組の中で赤ちゃんの寝かせつけにオーディオブックが一役買っているという内容が私には腑に落ちなかった。
 親の読み聞かせとオーディオブックでの寝かせつけ時間差を出し、軍配をオーディオブックに上げていたが本当にそうかしら。
 赤ちゃん用のオーディオブックには体内時の音に似せたものや波音などf揺らぎを含ませているそう。そうであれば親の読み聞かせの際にスマートフォンでそれらの音をバックで再生する工夫など加える程度のことで差異には映らない。
 親と一冊の本を共有する時間。それは本当に人生の中で短い。それを切り捨てる、そこまで合理化する必要があるのだろうか。
 親がページをめくるその手は、幼い子にとっては次の世界を開けてくれる手。同じ本であっても読み手の親が変わると、父と母でもきっと本が繰り広げる世界の感触は変わるだろう。
 そうした子育て期限定時間を安直に手放すのは残念に映る。
(仕事しながらの子育てで自身の躰も疲れている時まで優等生を演じましょうという話ではない。便利という情報を考えずに飛び乗らずに上手に使い分けて欲しいだけ。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?