Edinburghから始まるスカイ島アイラ島17日間:新市街へ&Strathberry&地下都市
ロイヤル・マイルの凡その土地勘を掴んだ頃にはお土産も6割程購入出来たこともあって、新市街へ行く前に一旦ホテルへ立ち寄り購入品を置いた。
この旅程では帰路 Stirling から直接空港へ戻る為にこのEdinburgh4日間の内にどうしても行きたい所が二か所あった。
Strathberry 本店訪問はパートナーには退屈な時間になる為申し訳なかったがいつも OnLine 購入だったこともあって現地のみ購入可能な品があるのかどうしても確認したかった。
結果としては、全ての品が OnLine 購入可能とのこと。
けれども、確実に色味やサイズを確認できたこととスタッフの中に日系の方がいらしてスコットランド情報の雑談が出来たことは予想外で楽しい時間になった。
OldTown 旧市街に対して新市街が両者の間に在る谷を挟んで位置する。
新市街と言っても日本の第二次世界大戦後とは全く異なり、最初の計画は1767年に始まりその後数十年をかけて発展し今の姿になっている。
城塞都市としての歴史が長い Edinburgh は城壁に囲まれ、加えて高台に展開する都市という特殊な地形条件の為に極めて限られた範囲の中だけで街は栄えていた。
そのため、産業革命の影響もあり新天地を求めて大量に流れ込んでくる人々の居住スペースは当然需要には不足状態が生まれ、住宅難が続く。
そうした状況下での居住選択肢は2つ。物理的に既存の建物の「上」、あるいは「下」のどちらかに住むことしかなかった。
結果、想像通りに上流・中流階級の人々や裕福な商人などは建物を増築することを選び、上階で暮らし始める。16世紀には2~3階建てであった家々は7~8階建てに姿を変え、中には14階建ての住宅も登場したらしい。建物は急速に上へ上へと伸びていき現在の観光資源になる姿が形成された。
一方、貧しい人々や他国からの移民は地下に潜らざるをえなかった。貧しい者ほど、より地下深い部屋で生活していたという。韓国映画の半地下のレベルではなく住居だけではなく商業地域も含むその地下都市は、Edinburgh 地下で最大で4階建ての構造を持つとされていた。
そうした過密状況は治安にも問題が生じ、衛生面でも病気の蔓延を生み易い劣悪な環境と化してしまう。
こうした背景を打破するために、建築家 George Henry Anderson などによって指導され、ネオクラシカルな建築スタイルが取り入れられた新市街が生まれる。因みに現在ではその美しい街並みとともにユネスコの世界遺産にも登録されている。
私はこの地下都市へ行ってみたかったがパートナーが嫌がり見送りになったことはとても残念。
地下には、このようにヴォールトとよばれる通廊が張り巡らされていた。
これらの一部は以降の建設や改修で埋められたり失われているが、現在はツアー形態ではあるものの観光名所として訪れることが可能。
表層と地下。
観光で訪れる時は本当にその街の点のような部分と表面だけをトレースして終わる。だからこそ、一度ではなく再度訪問の楽しさが生まれるのだろう。
どのように地下都市が造られていたのかも非常に気になる。
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