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§イタリア・Siciliaへ 14:ポンペイ②都市編

 今訪ねているポンペイが、ヴェスヴィオ山噴火による火砕流で埋もれてしまった都市だと承知だったが実際目にすると驚かされることばかり。
 西暦79年の日本は、まだ弥生時代だ。今でこそ、地球での文化差は日毎境界がなくなっているが、79年8月24日の日本には都市は存在していない。

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 チケットを購入した後、この上り勾配のタイムトンネルを抜ける。

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 火山砕屑物や有毒ガスから成る火砕流は、温度摂氏700度、時速80キロで押し寄せる。火砕サージは火砕流に似ているが主な成分はガス。ヴェスヴィオ山の噴火では火砕流と火砕サージの両方が発生している。

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 こうした地図だと納得しそうになるが、実際ポンペイから見たヴェスヴィオ火山は下の写真。

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 とても遠くに感じる、見える。

 都市と云って問題ないほど、商業地区、娯楽施設が存在し、街は整然と区画整理され造られていた。
 繰り返すが、日本が稲作をようやくしていた弥生時代にスタジアムが娯楽の為に建設されていた。

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 歩道と排水溝には段差が施されていた。

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 発掘されたどの場所も今と変わらない程の構造と機能。

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 此処はアミューズメント施設などではない。この広大な土地に人々が住んで居た。それも、西暦79年既に階級差を持って生活していた。

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