生まれ育った地が観光地の時、視点もまたバイリンガルか
観光地が生活の場である人々も同じような感覚を持っていらっしゃるのではないかしら。帰省ではなく、此処に住み続けているのであれば定点観測を楽しんでいただろう。
今は年に3、4回の帰省。これはこれでコマ落としのように観光都市として新陳代謝を繰り返す変化を見てとっている。
ビルに囲まれ取り残された家を展望台から見る時と、普段通りその家の前を通る時とでは気持ちの有り様が微妙に違ってくる。
買い物へ行く途中にふと目に入った風景が上の写真。地元の人は気にしもない絵だ。
関東で暮らすと、冬この季節は17時にはもう空に明るさはカケラも残っていない。けれども、ここ長崎では17時でもまだまだ明るい。狭い日本の筈だが、明確に距離を感じさせる日没時間の差。
マンションの横で気になった、坂道に設定された駐車場。長崎市内には人口に対して平地が限りなく少なくてこのような信じられない風景が生まれる。この18番にも19番にも私は割り当てられたくない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?