壱岐を訪ねる二泊三日・小さな島に150を超える神社を持つ島:⑬男嶽神社(おんだけじんじゃ)
今回の壱岐旅行訪問地では一番北にある場所となった。
男嶽神社は壱岐島では2番目に高い標高168mの男岳山に在る。又、此処は北の鬼門にあたり災いが入ってこないように強い神様を祀られているとか。
明治時代までは磐座(いわくら)を御神体とし山全体が禁足地の神体山であった為、麓のしおい掛石が遥拝所だった。
明治時代に祭神の猿田彦命が祀られてからは猿田彦命に因み家運の長久を願って石猿を奉納する習慣が生まれているが、当初は、農耕に使い家族同様だった牛の健康や繁殖を祈願して石牛が奉納されていたらしい。現在は圧倒的な石猿の世界になっているが、石牛も30体ほど残っている。
時代を遡って神仏習合の江戸時代までは、海人の壱岐氏(いきうじ)によって祀られた月神(海の干満を司る神)の信仰で、航海安全などの信仰があったらしい。
予定では麓からジグザグに上り続く400段からなる遊歩道を覚悟して上る筈だったのだが、あまり気にもかけずに道路案内にある男嶽神社通りに進んで行った結果、遊歩道とは反対側に位置する車でほぼ頂上まで辿り着く道を意図せず走ってしまう。あまりに手抜きの訪問で申し訳なかった。
路番号:風の路(8)
鎮座置:壱岐市芦辺町箱崎本村触1678-1
御祭神:猿田彦大伸
例祭日:
旧8月17日 宵祭 大神楽
旧8月18日 例祭 神幸・大神楽
観光ガイドでは奉納の石猿は200体以上とあるように、こんな所にもと驚くような場所で石猿らが出迎えてくれる。決して、「見ざる聞かざる言わざる」の猿だけではなくその姿態は様々で一体一体見ていても飽きない。
拝殿横に祀られた巨岩(玄武岩)の御神体磐座の存在に、沖縄の御嶽を自然と重ね合わせていた。古代の人には象徴的に具象化された像がなくとも男嶽神社の磐座もそうであるようにそこに原始的な力を見る能力が地域を択ばずあったのか。便利で機能的な生活に囲まれている現代人は満たされ過ぎてそうした秘めた力を失っていくのかもしれない。
今にも雨が降りそうな空模様だった為に、稲荷社をくぐれなかったことは残念だった。
急ぎ併設の展望台まで行ってみると男女岳ダムの向こうに女嶽神社がある女岳(149m)が見えた。写真を撮り始めた頃には雨がポツリと落ち始めてきた。
決して高い山ではないが、天候に恵まれた日であれば海の向こうに在る島影はもっと鮮明だったに違いない。壱岐から対馬は約60km、近そうで遠くに国境と接する対馬が控える。
男嶽神社と女嶽神社の両方を参拝すると猿田彦命の妻の天鈿女命(アマノウズメノミコト)が女嶽神社に祀られていることから良縁に恵まれるそうだが、私たちには(多分この先も・パートナーを変えない限り)不要だろうことから女嶽神社訪問は予定に組み込まなかった。*男嶽神社に関しては400段の階段を上り下りして訪問の予定だった。また、女嶽神社もハイキングコース並みの道を且つ上らなくてはならない場所に在った為、二か所訪問には時間的に厳しかった。
最後になるが、タイトル写真について補足説明。
この石猿群の中に「魚釣山」と記された男嶽神社の石額が見える。
調べてみると、この男岳山は以前「魚釣山」と呼ばれていた。この山は壱岐では最後の火山活動によって出来たらしく、今でも巨岩が残っている。
魚釣山は壱岐島を出て沖で漁業や航海においての自分の船の位置を割り出す山アテだったそう。
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