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日本語バイリンガル

 昨夜、長崎行の飛行機予約を済ませる。
 晩秋に里帰りすることを春に予定として挙げていた。随分先のつもりでいたが、盛夏を過ぎると季節が駆け出すような感じを受ける。実際、もう11月後半の早割座席は時間帯によっては無くなっていた。

 私と同じように地方から中央で生活する人の多くは日常方言は使わずに味気ない一律共通語を話しているはず。(関西出身者は同じに語れないかもしれない。)個人差があるとすると、同郷同士、或いは電話で親との会話で方言に戻るか否か。

 タイトルの話:
 長崎行の搭乗口ではまだ東京という立地もあって周囲で方言が聞こえる訳ではない。けれども、長崎空港に到着し出迎えの人々の声が聞こえ始めると、しばらくの間「長崎弁」が耳について仕方ない。わざわざ鼓膜を震わさせる段になってあたかも「長崎弁」のスイッチをタッチしながら言葉が通過するように耳の中に長崎弁が残る。希釈はされていない強調文字で残る。電話で親と会話する時とは違い、この状況に近いのはTV等で方言を聞くことに近い。例外はなく毎回帰省の度に経験している。
 普段使わない言葉は先細っていく。
 長崎に帰郷しても、もう長崎弁を話すことが出来なくなった。
 読むことも、相手の話す内容も理解しているが私が返すのは標準語。帰国子女と一緒にしては失礼かもしれないが、時間と共に使わない言語が薄れていく意味では似ている。
 耳について仕方なかった方言も二三日すると違和感がなくなっていく。でも、繰り返すが、違和感が消えても私はやはり地元に戻っても長崎弁で話せない。生粋の長崎人である母と私の会話を聞くパートナーは何を感じるかしら。

*タイトル写真:翼の下方、大村湾に浮かぶ海上空港の長崎空港

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