見出し画像

一週間かけて鳥取を訪ねる:④東照宮

 滞在二日目は午前中に鳥取城、午後は此処東照宮を含め四か所を回った。
 東照宮と言っても流れで分かるように日光の東照宮ではない。

東照宮 鳥取

 東照宮という名称は容易に使用される訳が無く、江戸から遠く離れた鳥取も、又、徳川家の支配下にあった。現代のような通信網が張り巡らされた時代ではないにも拘わらず全国を隙間なく掌握していた江戸幕府。

東照宮 随神門

 1650年(慶安3)、初代鳥取藩主・池田光仲が日光東照宮の分霊として建立した。そもそも光仲の父・忠雄の生母は徳川家康の次女督姫。つまり光仲自身は家康の曾孫となる。光仲が曾祖父・家康を追慕しての東照宮勧進と言われている。

静かな参道

 訪問者が私たち二人ということも影響しているだろうが、派手がましさがない簡素な造りと静謐な空気は猛暑を一時忘れるようだった。

拝殿および幣殿 (重要文化財)
唐門 (重要文化財)
徳川家紋三つ葉葵

 東照宮と名が付く場所には、徳川家康が埋葬された地として静岡にある久能山東照宮と家康薨去の一周忌にあたる年に建てられた東照宮は別格におき、仙台東照宮もあるがここは徳川家との血縁ではない。紀州の地も超えて鳥取で徳川家血脈の東照宮に出会ったことはもう一度受験勉強ではない日本史の復習をしたくなった。

 今回の仕事がなければ、私は鳥取のイメージは砂丘と母と何回か行った三朝温泉しかなかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?