花散らしの雨

 「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」
 在原業平の歌。高校の担任は古典の教諭だった、彼曰く「君らは大人になった時、私の授業の大半は残念ながら忘れるだろう。でも、この歌だけは覚えていて欲しい。」と授業を進めた。他のクラスメートのことは解らないが私に限って云うと、春が来るたびに、桜を見る度にこの歌を思い出す。そして、一年毎に在原業平のこころに近づく気さえする。
 DNAの成せる業なのか、神の秘儀なのか…、どうして我々日本人はその形は様々であっても「桜前線」の言葉にも見えるようこうもさくらに思いを寄せるのだろう。花がほころび、そしてはらはらと風に舞うまで私達はその姿を見届けている。開花だけではないのだ、散る姿まで迄こころに収めている。寒さが残る季節に咲く梅とは春を呼ぶ強さが顕かに異なる。妖艶さから愛おしさ全てを表現する桜は見る人の数だけ其処に意味が生まれているのだろう。
 「風に散ること」「雨に散ること」そこまで人々に心寄せられる花が他にあるのだろうか。

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