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よみ人しらず:雑感

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#コラム

新鮮だった国内移動

 private、仕事を含めて昨年末から立て続けて3回飛行機にて国内移動した。  実は国内での飛行機搭乗は新幹線利用が多いこともあって前回をすぐに思い出せない程久々だった。  先ず新鮮だったことであり同時に気付かされたことが「日本語表記」案内による空港内移動の楽さ。当たり前のことはそれが「当たり前で無くなった時」になり初めて気付くように、この数年毎年二回は海外へ出ていた私にはこれほどinformationが目に入った時点で自動で理解できることがストレスフリーなことに笑みが零れ

名前を付けるということ:うさぎ計画

 [未曽有の経済危機に見舞われている南米ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領が、多くの国民にとって肉を食べることがぜいたくと化している現状を打開する方策として、ウサギを食用に繁殖する計画を打ち出した。「動物性タンパク質は切迫した課題だ。そのため『ウサギ計画』を承認した。ウサギは何しろ『ウサギ算』といわれるほど多産だからだ」。マドゥロ大統領は国営テレビで冗談を交えてこう語り、牛肉などの安価な代用品としてウサギ肉を導入する考えを表明した。マドゥロ大統領は、深刻化の一途をたどる経済

タイムスタンプ

 人は無意識の場合に物事を先ず自分sideから考える、つまり「一方通行」にだ。起点は自分からであっても、それから思い巡らすうちに次第に俯瞰するように全体像が見え、漸く相手から見た自分の姿を想像出来るようになる。此処で「双方向」が生まれる。  朝の通勤途中、ほぼ或る100mの区間で私立中高一貫校に通う男子高校生とすれ違う。そのすれ違い位置で今日は少し私が早く出た、或いは遅れ気味、などと時間確認し併せて歩くスピードを調整する。  私が彼を覚えているようにおそらく彼も「この人と此処

風の向き

 「風向き」ではないわ、「風の向き」が今の気持ちに近い。ただ其処に「の」が入るか否かのことに過ぎないのに自宅へ向かう帰路途中でそんなことを考えていた。  「風向き」は必要最小限に文字通り風の「方向」だけが気になり殆どはテキストの天気予報で事足りる。けれども、「風の向き」と呟く時は風の様々なことを確認したがっているようだと個人的に納得。風が吹いてくる方向に顔を向けて風を受けたい、その風はどの程度の強さがあり、どのような香りに染まって此処まで辿り着いたのか、観察すると色が見えるか

神の御心

 この3年間はChristmasをハワイの島、マウイ島やハワイ島で過ごしていた。冬服を纏ったサンタクロースではなくビーチに薄着のサンタクロースが居るところである。只、一番肝心な部分のクリスマスのごミサにはプロテスタントが多いアメリカ、特にハワイでは与ることが難しい。  一応、教会へは行ってみるが飾り付けがあっても「何か」というより「明かに」教会全体が違う雰囲気だ。明る過ぎるのだ。気候のストレスがないハワイでは寒さというファクターがないことは喜ばしいことでも雪がないChrist

一時的健常者・一時的障碍者

 おそらく私だけでなく仕事をしている多くの人は病気になった場合、その後、中々完全治癒できないままも見切り発車出勤をしているのではないか。  或る意味運にかけるように出勤「してみる」。十分な想像範囲内の休んでいた期間に生じた仕事が山積み、それをこなす身はまだ病み上がり。それを承知の上で出勤しても溜息生じる情景を見て改めて体力が必要な現実を知らされる。少なくとも出勤する以上は「私は仕事をしにきました」なのだから、出勤を択んだ以上はこなすしかないのだが。  今回、運は味方してくれず

Short Sleeper 1日は24hr単位か

 此処の処、完徹が週に1,2回入り流石に夏休みも終わりこの点だけは勤務に入る前に多少軌道修正したい。但し、そもそもの睡眠時間が長く眠っても3時間と平均睡眠時間よりもはるかに短い。  今に始まった訳ではないが(高校生の頃から既に短い)当初は睡眠障害かと悩んだ時期もあった。この「Short Sleeper」の言葉に出会ってどれほど救われたか。日中も睡魔に襲われることなく支障がないにも拘わらず「睡眠8時間」の呪縛が随分長い間あった。加えて最近は睡眠負債と耳障りな言葉も増えてしまう。

夫々の風景

 以前に「日々最後の晩餐」とUPした。あの時は互いの日程調整が出来ず私が単独でDublinへ向かった。普段の生活において出張等で一週間顔を合わせないことは日常茶飯事で気にすることはない。だが、会えない理由が外国滞在となると心情的に「If・もし」が顔を出す。  これまでは二人で各国を回っていたが今年の春(私のDublin)に続き夏、今度は彼が友人らと登山目的でスイス、フランスを回る。今年のすれ違いは私たちにとって少し特異ではある。(*彼は昨日日本を発った。)  私に関して春の旅

雨だれ最終形

 時間はおそらく傍目には確実に進み、初春を殆ど飛ばし梅雨になった。庭の木々の一枚一枚を文字通り洗いたての素顔に戻すように空から落ちてきれいな緑に変える雨だれら。これから夏に向かって一雨一雨、緑を濃くしていく。  一番好きな音は傘に落ちる音。言葉の代わりの様にその強弱、その速さで状況をおしゃべりして雨の歩きに楽しさを添える。  空からパラシュート部隊よろしく落ちてくる雨は、その途中では我々の聞こえる範囲の音は当然生じさせない。雨の軌跡のその最後にドラムを打つように「それぞれの音

言葉の質量

 言葉の「重さ」と当初書いた瞬間、これでは言葉が描く内容的重さと勘違いされそうだと判断して「質量」の文字を使う。  普段、5,6冊の本を並行して読み進めていると、この「言葉自体が持つ重さ」を感じることがある。仕事柄、ライトノベル通称ラノベを読まざるを得ない時がある。誰が称したのか本当にライトノベルだと納得するがラノベが進化し直木賞作家らを生む土壌までにならなければ「ノベル」の言葉さえ烏滸がましい。タイムイーター的なラノベ頁に並ぶ言葉は非常に軽いものが多い。  熟語だらけであれ

時差というまやかし

 海外へ行く際、私の腕時計は時刻を現地時間に合わせない。基本海外旅行では日本から意識を完全に遮断したいが実際は最小限の連絡がどうしても生じる。その為にメール送信目安用として日本の時間は常に把握したいと腕時計はそのままだ。だが、iPadは余計なお世話的に勝手に現地時間に変更する為、実際旅行先で目覚まし等で困ることはない。  日本に居て海外の時間を見る時には確かに二地点の間に「時差」は在る。いざA地点からB地点へ移動する時に時間はどう歪んでいるのだろう、と毎回考えてしまう。8時間

音の輪郭

 今、窓の外で風が揺らす葉擦れの音が聞こえる。今日は一日中風が強く作業の手を休めた時にその風の音が聞こえると云うより吹き込んできた。人は時々音を確認しようとしてその音の方を見るが云うまでもなく音は見えない、また発生した場所、過ぎた場所を確認するに過ぎない。本当は目を開けて音を追いかけずに「目を閉じる」方が音は掴まえられる。まるで耳にはswitchがあるようでON・OFFの切り替えで音をaroundにも或いは聴きたい音だけを聞くことも可能だ。小さな耳が繊細な精巧さを持つことを人

筆記具という名の翻訳機

 こうしてPCで言葉を記すようになって変化したことが幾つかある。敢えて云うまでも無く文体が変わってくることに加え、それの根本である表現されたものに微妙に変化が生じる。手書きの時は放出しようとする言葉を変換する手の動きが追い付かず立ち止まることがあった。それは捉え方では疾走する思考にブレーキをかけることでもあり文体は饒舌にはなり辛かった。手と違い疲れを知らないPCはどこまでも伴走してくれるが、それは自分の「言葉の濃度」の変化を感知し辛く、本当はもう少しあたためるべき言葉を発酵ど

流れ去る言葉ではなく

 今、マガジン「Dublin 1916-2016」に6日間という短い旅行ながら観たものの記録を自分の為に残している。ネットで「自分の為」と書くと違和感が生じるが時間を経て振り返った時に参照するもの、そのようなstanceで書き始めた。  動画はそこに言葉を差し込まずとも見る者が勝手に新たな物語を付け加えられる。或いは何も考えずとも言葉は「絵と共に」流れていく。それはこうしたtext(文字データ)であっても起こりうることで書き手通りの真意が時に思惑が読み手に伝わらず別物が生じる