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よみ人しらず:雑感

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#雑感

「顔が見えない」がdefaultの世界

 ここ最近の話ではなく、もう長い時間世の中は表記の世界を抵抗なく受け入れ結果「生活スタイル」が変化してしまったことに多くの人が無頓着だ。  営業であるならインスタ等閲覧数は評価に繋がり、経営にも反映されよう。けれども、一般人にとって閲覧数が伸びることがそれほど大切なのか。或いは、Twitterの見知らぬ人の反応に一喜一憂する必要があるのか。そこに承認欲求を満たすものがあるのか疑問だ。  週末レストランで中学生と高校生だろう娘さんを連れた母親の三人がお隣だった。注文が終わる

書くことも又習慣性

 山の中で、いや孤島でも引きこもりでも状況は構わないのだが「外界」と遮断した生活スタイルでない限り自分で考えるような生活を維持することはかなりの意志力が必要と実感したこの半年あまり。  一旦これまでの仕事から離れることを決断し、一年間は現場を離れた。  まさか、期間限定でお受けしたとはいえ復職するとはカケラも想像していない現在の状況である。当初は一年間のブランクで仕事の感が戻るのだろうかと心配していたのだが、長期休暇の後のような深呼吸分程度の時間を要しただけの自身をみて、つく

「変わらないこと」へ費やすエネルギー

 現状とは違う事(もの)への変化にエネルギーが要ることは殆どの人が経験済みで納得してくれる筈だ。  同じように「変わらないこと」つまり「現状維持」にもエネルギーは必要となる。「変化がないこと」が equal「進歩がない事」と決して常に同意語ではないからだ。タイトル写真はポルトガル:エストレモス(Estremoz)に在る城内の階段に沿ったアズレージョ。この小さな町は中世の城や城壁が残る観光としての「上の町」と生活の場である「下の町」と簡単に線引きできるほどの規模。(*マガジン「

タイムスタンプ

 人は無意識の場合に物事を先ず自分sideから考える、つまり「一方通行」にだ。起点は自分からであっても、それから思い巡らすうちに次第に俯瞰するように全体像が見え、漸く相手から見た自分の姿を想像出来るようになる。此処で「双方向」が生まれる。  朝の通勤途中、ほぼ或る100mの区間で私立中高一貫校に通う男子高校生とすれ違う。そのすれ違い位置で今日は少し私が早く出た、或いは遅れ気味、などと時間確認し併せて歩くスピードを調整する。  私が彼を覚えているようにおそらく彼も「この人と此処

風の向き

 「風向き」ではないわ、「風の向き」が今の気持ちに近い。ただ其処に「の」が入るか否かのことに過ぎないのに自宅へ向かう帰路途中でそんなことを考えていた。  「風向き」は必要最小限に文字通り風の「方向」だけが気になり殆どはテキストの天気予報で事足りる。けれども、「風の向き」と呟く時は風の様々なことを確認したがっているようだと個人的に納得。風が吹いてくる方向に顔を向けて風を受けたい、その風はどの程度の強さがあり、どのような香りに染まって此処まで辿り着いたのか、観察すると色が見えるか