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何故か仕事でもプライベートにおいても自身の文章ではないものをチェック、或いは校正、校閲することが多少多い気がする。自身は私に頼んでも良いの?と不安ながらも人助けとして受けざるを得ない。 そうした中で起こることが「読点」の位置にとても個人の特性が出ること。それをどこまで校正範囲に入れるべきかを悩むことがある。 日本語(母国語)であるなら高々読点・句点ではないかと捉えていても、それは他人の文章を見る時は様相が変わる。 中学1年生になったばかりの国語の授業で「読点を打つ時
日常に、もっと正確に云うと「猛暑」に振り回されている間に律儀な季節だけが今年も淡々と次の季節の準備を滞りなく行っていたことを唐突に気付かされた。 連日の34℃は流石に日中外を歩く気温ではなく、このところ珍しくバッテリに負担をかける近距離に車を度々使ってしまっていた。 車の場合余程落ち葉の厚い絨毯にならなくては運転最中に路面の落ち葉には気付き辛い。庭木がまだ緑の葉を十分に付けていることもあって、桜がもう落葉し始めていたことに気付きもせず、今日久しぶりの徒歩で足元の黄色の桜